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本番直前に故障も最後まであきらめなかった。キヤノン庭井祐輔、日本代表への視線。

2020.09.08

日本代表復帰を目指すキヤノンイーグルスの庭井祐輔(撮影:向 風見也)


 東京は味の素スタジアムのスタンドにいたあの日の心境を、慎重に語る。

「ずっと目指していたので。負けた時は、唖然としたというか、なくなってしまったんだという、呆然とした気持ちになったのは、いまでも覚えています」

 2019年10月20日、キヤノンイーグルス所属の庭井祐輔は、ラグビーワールドカップ日本大会の準々決勝を観ていた。

 ノーサイド。3-26。初の8強入りでブームの渦中にいた日本代表が、後に優勝する南アフリカ代表に敗れる。

 それは庭井の大会出場への挑戦が終わったこと、つまり「なくなってしまった」ことも意味していた。あれから約10か月が経った2020年8月下旬、こうも述懐する。

「ほっとしたというのは違うのかもしれませんが、ある意味、肩の荷が下りた、とも」

 小学5年で地元の西神戸ラグビースクールに通い始め、兵庫の報徳学園高、立命館大を経て2014年にキヤノンへ入社した。サイズは現在の公式で「身長174センチ、体重95キロ」。国際舞台にあっては決して大柄ではないが、HOとしてスクラム最前列の中央で低い姿勢を取り、大男の懐をえぐるような突進、タックルを繰り返す。

 2016年秋に発足したジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ体制の日本代表へは、2017年に初選出された。一時は主力候補にもなった。前ヘッドコーチで現在イングランド代表を率いるエディー・ジョーンズからも、当時、こう評されていた。

「庭井に感心しました。いまのベストなHOではないかもしれないですが、潜在的に2年後にはベストになっているかもしれない」

 その年の夏には、代表と連携するサンウルブズのゲームで左足首を脱臼骨折。社員からプロに転じた2018年には戦列へ戻ったが、まもなく、悲運と出くわしてしまう。

 ワールドカップイヤーに突入した2019年1月。アピールの場に指定されたサンウルブズの練習場で、右のアキレス腱を断裂したのだ。

「(2017年の故障後は)不安なく治ったと言えるわけではない状態で復帰していたので、ある意味、負担がかかった部分はあるかもしれないです」

 思い返せば、走りながら方向転換をする時に右の足首ばかりに体重をかけていたような。時間が経てば「自分の身体を見直すきっかけにはなった。あながち悪いことばかりではない」と振り返ることもできるが、この時は夢の大舞台の直前期だ。気が遠くなっても、不思議ではない。

 それでも庭井は、目標を変えなかった。けがをした1月時点の診断は「全治6か月」。そうだ。夏に復帰できるのなら、9月下旬からのワールドカップでもプレーできるではないか。

「最後までワイダースコッド(候補)には残してもらっていた。ワールドカップ、ワールドカップ…と。モチベーションを切らさずにやっていました」
 
 手術を終え、退院できたのは2月、もしくは3月だったか。キヤノンはシーズンオフに入っていたが、庭井は誰もいない都内の本拠地で走り、鍛えた。通称「ジェイミージャパン」でのプレー経験も多いだけに、仲間たちがどんなメニューに取り組んでいるかは想像がついた。そのためこの時も、代表と同種のトレーニングができていたと感じている。

2017年6月のルーマニア戦で日本代表デビューした庭井祐輔。これまで8キャップ獲得(撮影:Hiroaki.UENO)

 ジョセフは春以降、海外での試合やキャンプなどで選手の絞り込みを進める。庭井はその輪から離れてこそいたが、自身の状態や変わらぬ意志を指揮官へ報告し続けた。

 8月上旬には、チームの練習試合に出られた。決して満足のいく出来ではなかったが、ここでもジョセフには自分がゲームのできる状態だと伝えた。毎度、毎度、返事も受け取っていた。

 ひときわ心理的にタフだった時期は、その、状態の戻り始めた8月だった。最後の選手選考がなされる網走合宿の参加リストから外れ、目標との距離感を痛感させられたのだ。

「その週のトレーニングは、めっちゃ、しんどかったです」

 31名の大会登録メンバーが発表されたのは、8月29日のことだった。HOには3大会連続出場の堀江翔太ら3名が選ばれる。庭井は名前を見つけられなかった。

 大会期間中は、多くの熱戦を楽しんだ。日本代表にとって最後の試合もそのひとつだったが、国の期待を背負ったメンバーを「心の底から応援していました」と話す。

 9月28日には、日本代表が静岡のエコパスタジアムで強豪のアイルランド代表を19-12で破るのを画面越しに見た。その日は、パブリックビューイングの会場へゲストで呼ばれていた。

「涙、出ましたね。皆がしんどいことをしてきたことをわかっていて、観ているので」

 特にしびれたのは、前半35分頃のワンシーンだ。

 自陣22メートル線付近での相手ボールスクラム。塊が、大型選手たちを押し返す。長谷川慎スクラムコーチが庭井たちに伝授してきた、8人一体型の組み方が奏功したのだ。

「成し遂げてくれたな…って」

 日本代表の快挙達成への思いをこう述べる庭井は、「肩の荷が下りた」かもしれぬあの日までをこう、総括するのだった。

「ワールドカップ期間中、いつでも行けるという準備を最後まで保てた。そこは、自信になったかなと」

 大会後の国内トップリーグは、わずか6節で終止符が打たれた。新シーズンは2021年1月開幕の見込み。キヤノンはいま、再生を図っている。

 沢木敬介新監督は、日本代表のコーチングコーディネーター、サントリーの指揮官などを歴任。前年度まで主将を務めてきた庭井には、ワールドカップ日本大会組である田村優主将のもと副将を任せた。

 今年の10月に29歳となる庭井自身もまた、生まれ変わりつつあるチームで日本代表復帰を見据える。身体のわずかな変化にもアンテナを張り、入念なケアを施す。

「沢木さんは僕の足りない部分もはっきりと言ってくれる。パフォーマンスを高める意味では、やりやすいです」

「これだけ大きなけがを2回、したのです。もう、したくない」

 現在、水面下で編成される約50名の候補群には「入っていない」ようだが、ジョセフとは落選理由などについて対話。背中を押されている。

「出場時間が短すぎて、判断できる材料が少なかった」

「やっていること自体は間違っていないと思うから、頑張ってくれ」

 連勝を重ねるチームの原動力となれば、かつての立場を取り戻せると信じる。2023年のワールドカップ・フランス大会は、観客席ではなく芝の上で体験したい。

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