夜のとばりが下りた大阪・柏原市の住宅街。
暗い夜道の隅っこで、電信柱に両手をついて苦悶している坊主頭の男がいる。スクラム姿勢をとり、アスファルトに脂汗を垂らしている。
ガムシャラな男の名前は、溝川雅之(みぞかわ・まさゆき)。強烈なディフェンスを売りとする23歳のプロップだ。
大阪・日新高校でラグビーを始め、在学当時は関西C、Dリーグに所属していた大阪国際大学(2019年度は関西Bリーグ5位で全国地区対抗大会出場)でプレー。現在は強豪クラブの六甲ファイティングブルに所属している。
本来なら今年4月からオーストラリアに留学予定だったが、渡豪はコロナ禍で1年延期になってしまった。
現在は京都・夢道接骨院のジムでトレーニングをしながら、自身のSNSにトレーニング動画をアップ。動画はどれも夜中の道端で撮影されており、なりふり構わぬ男の情熱が剥き出しだ。
明確な目標がある。
「自分のような無名の存在でもトップリーガーになれるところは見せたい、と思っています」
2人兄弟の次男として大阪・柏原市に生まれ育った。運動会で応援団長をしていた明るい少年は、幼少期から中学まで水泳に打ち込んだ。
転機は中学3年の秋だった。
「高校で部活をやると決めていたのですが、実家のテレビで2011年のラグビーワールドカップの日本対フランスを観ました。『ラグビーをやれば強くなりそうだ』と思いました」
強豪ラグビー部のある高校を志望し、大阪の日新高校へ。
「日新高校はプレーの『熱さ』『声』で有名で、特にディフェンス、タックルには命を懸けていました。球技は苦手でしたが、日新高校でタックルが武器になりました」
タックルが僕にスポーツマンとしての居場所を与えてくれた、と溝川は言う。
ラグビーを続ける自信もタックルで得た。高校3年の大阪府予選は準々決勝で敗戦したが、大阪桐蔭を相手に好タックルを繰り出した。
スポーツ推薦で入学した大阪国際大学は、当時関西Dリーグにいた。
しかしそこから1シーズンでCリーグに昇格すると、溝川が4回生の時に8勝1敗でBリーグ昇格を決め、花道を飾った。
「自分たちが入学した年から強化クラブに指定されて、17人の同期は興国や金光藤蔭(ともに大阪)、御所実(奈良)の出身者もいました。1回生でCに上がり、自分達が4回生の時に最後でBリーグに昇格しました」
ただ大学時代の1年間を関西Dリーグ、3年間をCリーグで過ごした溝川が、トップレベルのリクルーターの目に止まることはなかった。
大学卒業後の進路はどうするのか、溝川は悩んだ。
就職活動をしていた大学4年の夏だった。元トップリーガーと対話し、本心に気付いた。
「夢道整骨院の院長で、近鉄ライナーズOBの山口伸矢さんは学生時代からトレーニングでお世話になっています。山口さんには心から感謝しています。大学4年の時に進路相談をして、自分の心の声を引き出してもらいました」
本当はトップリーガーになりたい。
プロのラグビー選手になりたい。
「大学卒業後の1年間はアルバイトをしてお金を貯めて、2020年の春にオーストラリアに行こうと決めました」
本来は積極的に自己アピールする方ではない。トップリーグの関係者を見かけても「自分なんかがおこがましい」(溝川)とアピールできないタイプだ。
しかし2019年5月に「トップリーグへの道」というブログを開設すると、SNSでもトレーニング動画を発信した。目標を公言し、覚悟を示した。
ところが2020年春、新型コロナの影響で予定が狂った。
渡豪は中止となり、参加予定だった3月16日、23日の「トップリーガー発掘プロジェクト2020」もなくなった。
だが、もちろん進路変更はない。
現在は週4日、片道1時間半をかけて京田辺の夢道接骨院でトレーニング。母校の日新高校ラグビー部に部活指導員として関わりながら、自宅前では夜な夜なトレーニングに打ち込む。
「これだけ打ち込めるのはラグビーが初めてだと思います。ほかのスポーツにはない感動を与えてくれるような気がします」
来春にオーストラリアへ渡る予定だ。
しかし、もちろん実現するかどうかは不透明。
それでも、歩み続けるしかない。溝川は目の前のトレーニングに全力を尽くす。8月29日にブログを更新した。出だしにこう書いた。
「自分は諦めないことが得意です」