W杯日本大会開幕から、もうすぐ1年。
列島では多くの少年少女がラグビーを始めた。
うれしいことだが、そんな子どもたちの受け皿となっているラグビースクールのある新米コーチから悩みを聞いた。W杯の影響でラグビーボールに触れたことのない、これまでスポーツをしたことない子どもがスクールに入ってくれた。一方でチームには、パスやキックが自在にできる子どももいる。できれば、その子たちを一緒に練習させたい。どうやって教えればいいのだろうか?
東京都世田谷区立千歳中学校を訪ねた。ラグビー部監督の長島章さんに話を聞くためだ。都内の二つの公立中ラグビー部を率いて24年。千歳中では11年連続で関東大会出場、昨年は私立の強豪校を倒して関東制覇という快挙を達成した。ユースレベルで名将と知られるようになった今でこそ、経験者がこぞって越境入学するようになってはいる。それでも、未経験者を育てることは今も変わらぬ楽しみという。そんな長島先生の指導哲学は、悩めるコーチの参考になるかもしれない。
千歳中は練習でA、Bとチーム分けしない。1年生から3年生まで一緒に球を追う。FWバックスの垣根もない。経験者の新入生には、こう諭す。「ラグビーをやっていたからといって、偉そうにしたらだめだよ。今は上でも、将来は分からない。ラグビーではどんなポジションの、どんな人もリスペクトされなきゃいけない。人の楽しさを阻害したらいけないよ」。リオ五輪に出場した豊島翔平(東芝)ら、日本代表のジャージに袖を通した教え子は未経験者ばかり、とも説明するそうだ。
長島先生は「人それぞれのツボ」を見つけるのが得意だ。足は遅くても、ぶつかって人をどけるのが上手な子。相手を抜き去るよりサポートプレーが好きな子。校庭で、教室で、子どもたちの長所、先生の言葉でいう「楽しめるポイント」を見つけていく。分からなかったら、「ラグビーのどこが楽しい?」「練習はどこが楽しかった?」と直接聞くこともある。そこに「教えてあげる」という上から目線は皆無だ。
タッチフットでパスをなかなかもらえない子どもがいる。そんな光景を見つけると、先生はすかさずルールを変える。「タッチした人はオフェンスに回って」「ブレークダウンも作っちゃおう」。前提を変えれば、ゲームの流れは変わる。時には先生が参加して、その子にパスをすることもある。「褒める場面をいっぱい作ればいいんですよ」。もちろん、練習はきつい時の方が多い。でも20分のメニューなら、一個でいいから、ラグビーを楽しめる、好きになれる場面を作るよう心がける。苦しさの先に喜びがあることを知ってほしい。
「自己肯定感より、自己有用感を高めたい」と先生はいう。指導者が、仲間が、認めてくれることで、己の価値に気づける。ライバルに勝ちたい。優勝したい。去年を超えたい。それはあくまでチームの目標。でも、千歳ラグビーのクラブとして目標は、そういう日々を積み重ね、互いを認め合う文化を醸成することなのだという。
豊多摩高校、国際武道大学でラグビーをしてきた長島先生。教員としてのキャリアは江戸川区立松江五中で始まった。最初の受け持ちは障害者学級。体育だけでなく、九九を教え、劇も指導した。最初はできないことばかり。対話も満足にいかない。粘り強く伝え続けると少しずつ変わっていった。当時はなかったラダーを自作し、毎日生徒たちに足の運び方を教えた。ある日、ファーストベースまでまっすぐ走れなかった子が、一直線に走れるようになった。49歳になった今でも鮮やかによみがえる思い出だ。
障害者学級を受け持った3年間が、長島先生の原点にある。他の指導者との違いは何かと聞くと、「ラグビーより先生であることを大事にしているところかもしれない。生徒指導や学校行事が何より好きなんです」と笑った。
8月末。千歳中は成城学園中と、約半年ぶりとなる練習試合に臨んだ。カテゴリー別に振り分けた最後のゲーム。はじかれ、つながれ、走られて、50点差をつけられた。なすすべなく敗れ、下を向く教え子たちを集めると、長島先生は唇をかみしめつつ、開口一番、問いかけた。
「みんな、楽しめたか?」
ラグビーを楽しめるようにするのが、コーチの役割なのだ。もちろん、悔しさはある。でも、ファーストへ駆け抜けた教え子の姿に心を震わせた長島先生が伝えたいことは、いつだって変わらない。