ラグビーリパブリック

清水塁 元A1級レフリーが語った「してあげるシアワセ」。

2020.08.31

TBSドラマ『ノーサイド・ゲーム』の最終話でも笛を吹いた清水塁さん(撮影:大泉謙也)

 トップレフリーでプロップ出身は稀な存在である。清水塁さんのことだ。

「レフリーとしてやり切りました」

 昨年のW杯では、豊田スタジアムで開催された3試合のLMOLO(Local Match Officials Liaison Officer)を務め、レフリーチームが安全で最高のパフォーマンスを発揮できる環境づくりに大きく貢献した。そして11月24日のトップイースト、日本IBM vs 日立戦を最後にレフリー人生を終えた。

 最後の試合では選手たちが笑顔でスクラムを組んでいた。それは清水さんのレフリーをする上で持っていた、ひとつの信念にある。

「レフリーは主役じゃない。だから一緒に良いスクラム(ゲーム)を作ろう、そういう思いでやってました」

 そのためにはレフリーが信頼されないといけない。だからコミュニケーションを大切にした。試合前のブリーフィングはもちろん、試合中でも選手たちとよく話した。桐蔭学園2年時の花園で吹いたレフリーがそうだったのも大きい。

「準決勝の大工大は強くて、僕は3番としては小柄だからやられていた。でも相手が内に組んできたから、それをレフリーに相談すると、相手に『まっすぐ組んでね』と言ってくれた。選手のことを思ってくれるレフリーだと感じたことも、(コミュニケーションを取る)今につながっています」

 それでも試合だけで信頼を得るのは限界があると、清水さんは言う。サラリーマンとして業務をこなしながら、平日のトップリーグチームの練習にもできるだけ参加した。

「どれだけチームの練習に参加できる機会を作れるかだと思うんです。スクラムセッションが終わった後にフロントローとああでもない、こうでもないと会話をしていれば、試合時に『あの時来てくれたレフリーだな』とか、『話を聞いてくれるレフリーだな』と思ってくれる。こうした関係性を作ることができれば、良いコミュニケーションができると思っています」

 清水建設ブルーシャークスに2018年からチームレフリーとして所属したのにも、こうした背景がある。

「普通のレフリーは日常にスクラムやラインアウトがない。試合のある土日だけ。一試合のスクラムは20本程度なので、これではスクラムを見る目は養えないと思うんです。

 だからチームレフリーをすることで、平日にスクラムの練習を30、40本と見られるようしました。そうすると引き出しがどんどん増えていく。このくらいのバインドだと落ちてしまうと分かったから、レフリーとしてここは注意しておこう、みたいに」

 レフリーになったのは拓大1年時。首を痛めて、突如選手生命を絶たれた。そのときレフリーを勧めてくれたのが、練馬区立関中学時代の恩師、明尾泰行先生だった。

「ラグビー部をやめようと思っていますと相談したら、レフリーという道があるよと言われて。レフリーだったらまだトップリーグや代表、いけなかった場所に立てると思って始めました」

 神奈川県ラグビー協会に所属すると、もう一人の恩師に出会う。アジア人で唯一、ワールドカップで笛を吹いた斉藤直樹レフリーである。清水さんは斉藤レフリーの最後の弟子として手取り足取り教わった。

 2011年には日本協会A1級レフリーに。以降、トップリーグや日本選手権など、数多くの試合で笛を吹いてきた。

「人には3つのシアワセがあるそうなんです。ひとつは『してもらうシアワセ』。もうひとつは『できるシアワセ』。そして最後のひとつが『してあげるシアワセ』です。最後の『してあげるシアワセ』が一番シアワセだそうです。レフリーってまさにこれだなと。試合が終わった後に『サンキュー、レフ』と感謝してもらえる。これがレフリーをしていて一番うれしい瞬間です」

 4月からは心機一転、南海化学株式会社で営業マンとして働いている。

 レフリーとして『してあげるシアワセ』を知った清水さん。新しいフィールドでもきっと誰かのために邁進するはずだ。


〈清水さんにはラグビーマガジン10月号掲載の「短期連載 初心者必見スクラム講座『スクラム知ろうぜ』」でもご登場いただきました。そちらもぜひご確認ください。〉

スクラムを語ってくれた清水さん。熱がこもる(撮影:BBM)
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