ラグビーでどこまで行けるのか——。
トップリーガーを目指すために退社を決断し、2020年2月、海を渡った。
殿元政仁(とのもと・まさひと)。
東福岡−専修大−JR九州でプレーした身長178センチのFL/LOはいま、ニュージーランドの最大都市オークランドにいる。
「朝7時に起きてプロテインなどの栄養を摂ったら、約30分ストレッチします。ホームステイ宅の近所にある公園(ニクソン・パーク)で走ってから朝ご飯を食べ、午後は家でウエイトトレーニングをしています」
殿元は2月22日から約半年間の予定でオークランドにラグビー留学。名門チームのグラマーテックRFCでプレーしていたが、3月に新型コロナの世界的流行によるロックダウンに遭った。
都市封鎖中の5月には、アピール機会を失ったラガーを救うSNS活動「#ラグビーを止めるな2020」にプレー動画を投稿。
6月にはコロナ禍を乗り越えてスーパーラグビー国内大会「アオテアロア」が開幕し、殿元はイーデンパークでの開幕戦(ブルーズ×ハリケーンズ)を現地観戦した。
しかし8月上旬、滞在先のオークランドで102日ぶりに新型コロナの市中感染が発覚し、生活圏がふたたび「薬局とスーパー以外開いていない状態」(殿元)に戻ってしまった。
本来の帰国日は8月7日だったが、オークランドの警戒レベルが引き上げられたこともあり足止めされている状態だ。
しかし本人は「10月にシーズンが始まる13人制ラグビーを経験してから帰国することも考えています」と前向きの姿勢を崩さない。
いつ帰国できるかも分からず、帰国後の所属先も決まっていない。
それでもオークランドの公園で、ホームステイ先で、殿元は黙々とトレーニングを続けている。
孤独な戦いを続ける理由がある。
「『ラグビーが好き』という理由が5割。『家族や友達への恩返し』という理由が5割です」
福岡県福岡市に生まれ育った。4人姉弟(姉2人、弟1人)の長男だ。
小学校ではソフトボールや剣道に打ち込み、中学時代は教師である両親が経験したバレーボールに熱中した。
中学卒業後に進学した東福岡でもバレーボールを続けるつもりだったが、福岡高校出身の父がラグビー好きだったこともあり、名門ラグビー部の門を叩いた。
「僕は高校から始めた初心者でした。ずっとロックでしたがAチームでの試合出場は少なくて、位置としてはBチームでした」
高校3年時(2014年度)、東福岡は花園決勝で御所実を57−5で下して高校3冠を達成した。しかし栄光のピッチに殿元の姿はなかった。
それでも大学でラグビーを続けたいと思っていた。ある先輩の存在が大きかった。
高校1年の頃、初心者の気分でなんとなく練習をしていたらチームメイトから散々にこき下ろされた。悔しくて、気が付いたら涙が止まらなくなっていた。
「まさか練習で泣くとは思っていなくて、そこから本気でトレーニングを始めたと思います。そのとき、下級生の世話役だったひとつ上の田場(康資)さんが声を掛けてくれて、アドバイスもしてくれました。田場さんのおかげで、ラグビーが楽しくなりました」
田場は東福岡2年時のケガで主力FLから退いたが、3年時はチームのまとめ役やレフリーなど、裏方として花園ベスト4などに貢献。卒業後は専修大へ進学した。
殿元は高校卒業後、尊敬する田場を追うように専修大へ進学。藤田雄一郎監督がセレクションを薦めてくれたことがキッカケになった。
専修大では1年の春季大会から出場。
大学1年は関東大学リーグ戦1部だったが、以後2シーズンは2部にいた。最終学年で1部に復帰すると、主力の先発ロックとして中央大、法政大の撃破に貢献した。
しかし「思い出の試合は」と問われれば、2018年9月16日の大東大戦と答える。
生まれて初めて、秩父宮ラグビー場のピッチに立ったからだ。
ただ、紆余曲折があった。
「当時は警察官も目指していて、ずっと警察官試験の勉強をしていました。そうしたら試験の日が9月16日で大東大との試合とかぶっていて、どちらかを諦めるしかない状況でした」
もし警察官試験を受けて合格していたら今頃は警察官だったかもしれない、と殿元は言う。
しかし殿元は秩父宮でのプレーを選んだ。
「父がラグビー好きで、『秩父宮の試合を観たい』と言っていたことも理由です。もちろん僕自身も秩父宮に立ってみたいという気持ちがありました」
先発ロックとして、念願の聖地・秩父宮ラグビー場の芝を踏んだ。
試合前に見渡したピッチは予想外に広かった。見上げると応援団の声援が頭上から降ってきた。9月16日の記憶は脳裏に深く刻まれている。
大学卒業後はJR九州に入社した。生まれ育った福岡に帰り、ラグビー部ではロックからフランカーに転向した。
すると自分でも驚く変化が起こった。練習を積むうちにパフォーマンスが上がってきたのだ。
「JR九州でトレーニングをさせてもらううち、大学時代よりパフォーマンスが良くなっていく実感がありました。今これだけ出来ているなら、どこまで行けるか試してみたいと思うようになりました。2019年の夏頃から、悩んでいました」
4か月ほど悩んだ。10月頃、ついに決断した。
「もし上に行くのであれば留学しようと思いました。両親は小さい頃から厳しかったので打ち明ける時は不安でしたが、『やりたいことがハッキリしているのなら挑戦してみなさい』と言ってくれました」
ステップアップのために向かったラグビー王国。
ニュージーランド代表のPRオファ・トゥウンガファシも在籍した名門グラマーテックで平日2日(火木)練習し、オークランド・ラグビーアカデミーにも平日5日通った。
殿元の持ち味である鋭いロータックルなどのディフェンスは現地でも「全然できている」との手応え。
自分でも意外だったのはコーチに「アタックも良いキャリーができるから自信を持て」と言われ、ナンバーエイトとしても数試合に出場したこと。成長した実感は確実にある。
スター街道を歩んできたわけではない。それは分かっている。それでもラグビーでどこまで行けるのか、挑戦したい。
ラグビー留学の想いを打ち明けた時、仲間達が背中を押してくれた。
「ラグビー留学を決断したときは家族や高校大学の同期も応援してくれました。会社を辞める時は、1年しかいなかったのに、会社の同期が色紙にメッセージを書いてくれてプレゼントしてくれました。みんなのおかげで、いまもラグビーができている、続けられていると感じます。
好きな言葉は「努力は裏切らない」だ。家族や仲間への感謝を胸に、殿元は今日もオークランドで汗を流す。