関東大学リーグ戦1部に加わる大東大ラグビー部は8月24~31日、長野・菅平合宿に出かける。長い雌伏期間を経て、ようやくエンジンをふかす。
「3月末に大学側から各運動部に通知があり、活動を中止しました」
こう回想するのは、就任2シーズン目の日下唯志監督である。
指揮官の言葉通り、クラブが新型コロナウイルスの影響を受けたのは3月下旬。感染拡大を危惧する大学当局の指示で、クラブ活動が止められたのだ。日本政府の緊急事態宣言発令に先立ち、寮を解散した。
全国各地へ散った日本人選手は、検温とコンディショニングチェックの報告が義務付けられた。日下監督は、「まず大事なのは感染しないこと」。推奨するトレーニングメニューを動画で送ったが、それぞれの住環境が違うため強制は避けた。
春先、寮に残ったのは、故郷に帰れない留学生のみとなった。ここで求められるのは、スタッフによる物心両面のサポートだった。
大東大は、日本ラグビー界で初めて「トンガ旋風」を巻き起こしたクラブだ。1981年にノフォムリ・タウモエフォラウ、ホポイ・タイオネが入学したのを皮切りに、留学生のポテンシャルをチーム力に還元。シナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアがいた1986、88年度は大学選手権を制している。
いまも多文化共生を是とするが、今度のコロナ禍によって寮は閑散とした。残された留学生選手にとっては、若いうちにそれぞれ単身でやって来た異国の地で見えぬ敵と戦わされている状況下だ。
特に、ずっと外へ出られないのは「相当なストレスだったと思います。外出も制限しましたし」と指揮官は認める。決まった管理人のいない寮へ、コーチ陣らが交代で足を運んだ。
「一緒に寝泊まりをして、皆で寮の掃除をしながら彼らの面倒を見ました。(気を配ったのは)食の部分。寮でも食事を出していただいてはいたのですが、特に(来日間もない)1年生のなかには好き嫌いがあったり、日本食が合わなかったりということがあります。感染対策をしたうえで一緒にスーパーへ買い物に行くこともありました。その他、寮の前にあるトレーニング場で身体を動かしたり、個別に周辺を走ったり。あまりストレスが大きくならないようにはしたつもりです」
グラウンド内で主軸となりうる青年のケアをしてきた首脳陣は、同時並行で大学当局と交渉してきた。練習再開に向け、グラウンドなどの施設利用が認められたのは7月1日。その約2週間後には、寮の再稼働も叶った。仲間たちが帰ってきた。
「寮に関しては(新たな)ガイドラインを作り、その承認を得るのに時間がかかりました。他方、大学側から言われたのは再開の条件は『学生の任意(があるかどうか)』ということ。随時、希望者から(寮に)戻ってきました。(8月中旬時点で)9割は復帰しています」
合宿のゴーサインが出たのはつい最近だ。現地では普段おこなう外出制限を続け、ホテル側からも部員のソーシャルディスタンスを確保してもらう。
10月見込みのシーズンインに向けては、9月には他校との合同練習を計画中だ。指揮官は「初めての経験ですので、例年通りに準備が整うかは不安です。しかし最低限、ゲームができる状態にはしたい」と静かに意気込む。