「わかりますか? これ?」
高校全国トップチームの大阪桐蔭の監督が、「オン」の時とは打って変わって優しいお顔で訴えてくる。綾部正史先生の紺色の胸には「TETSUJI DISTANCE 2km」の文字。綾部先生らが内内でごくわずか自作する夏Tシャツはここ数年、知る人ぞ知る風物詩になっている。好敵手であり盟友の、石見智翠館・安藤哲治監督にむけて作られるのが常だ。
長野県上田市菅平高原で、大阪桐蔭、石見智翠館、磐城(福島)の3つ巴の練習試合を控えたピッチサイドでのやり取りだ。TETSUJIは安藤先生の下の名前だ。
「あの先生には、距離とってもらわんと。2mじゃ足りませんので、たっぷり…。先生はどこいったんやろう。2kmいうたら、あっこに見える山の上くらいかな」
目の前に本人を置いて、綾部先生のトークが止まらない。安藤先生もザ・苦笑の表情で、しかしかわいい後輩に構うように受ける。
「この人、私よりも一つ年下なんですけどね。おい、大丈夫か! いい加減にせえよ、毎年毎年」
大阪人ふたりのやりとりは、両校のライバルのあり方の爽やかさよりも、ウイルス禍がいかに彼らにとって深刻か、その当事者として戦っているのかをリアルに感じさせた。ユーモアは最後にして最強の抵抗だ。
毎年1000校以上訪れるというラグビー夏合宿の聖地、菅平に、今年入った宿泊予約は40あまり。直前までキャンセルが続いて実際に訪れたチームはわずか、31チームになった。高校チームはその中でも多くの割合を占めた。全国の数%の恵みに預かったクラブは、1試合1試合を大切に戦った。公立、私立の違いや経済面、さまざまな立場の人の理解や協力を勝ち取った者だけが「山」に上った。
どのチームも、ようやく実現した2月以来の手合わせを全身で楽しんでいた。もちろん、ラグビーはいつでも痛いし苦しいのだが、高校生たちの顔は覇気にあふれていた。
8月14日の23番グラウンドでは、大阪朝高と大産大附の練習試合が行われていた。レフリーを務めたのは、コーチや先生ではなく、本職のレフリーだ。関西協会・泉太郎レフリーは、大産大附の夏合宿に同行するようになって8年目になる。
「協会から示されたその年、その年の(判定)基準はもちろん、みんな把握して吹いているのですが、それを実際に高校生の試合でやったらどうなるのか、社会人では…など、実戦でしかわからないことがあるんです。選手たちとのコミュニケーションも、重要な要素です」
夏合宿はレフリーにとっても、選手たち以上に重要な実戦経験の場となっている。
今年は各協会の講習などは、オンラインに切り替えられ、行われた。本来は各地域協会が菅平などで主催する実地の講習会はなく、となると、それぞれのレフリーはレベルに関係なく、自費で菅平に来ることになる。試合そのものが貴重な今年、トップチーム同士の対戦をシーズン前に体験できることは、たいへん貴重な機会だった。
一方で、複数のチームが日々、相手を変えつつコンタクトプレーを繰り返し、集団で生活する場所の真ん中に身を投じることは、社会人として大きなリスクも背負っている。もちろん誰もが最大限の注意を払って過ごしている。ただ、例えばレフリーにも家族がいる。さまざまなハードルを突破してきた人でなければ、この場にはいられなかった。
あるレフリーは、自分がいかに恵まれた環境で、多くの人に支えられているかを話した後に。静かに言った。
「ここに来ている人は、覚悟決めた人だけですね」
14日の御所実vs國學院栃木の試合が終盤に入った。
互いの打つ「手」にも慣れて落ち着いた展開に。最後はトライ数4本-2本で御所実が押さえたこの試合も、残り5分になるとあのコールが聞こえてきた。
「ゴセ、ジカーンターイ」
御所、時間帯。その場にいる部員全員がフィールドに向かって叫ぶ。
タッチライン側の部員二人に聞くと、競うように答えてくれた。
「残り5分は、攻め続ける。蹴らない。相手にボールを渡さない」
昨年度で4度の決勝を経験している強豪ならではルーティーン。でありながら誰もがそこに思いを語れるところに文化を感じた。
御所実のグラウンドには試合以外にも他校が出入りし、合同練習なども行われていた。人を呼び入れることを止めないオープンな関係の中で、独自の道を作り貫く。夏合宿は、御所実にとっても、今年は稀な「いつもの」光景が見られる機会になった。
厳寒のロシアが生んだ物語、「森は生きている」では、春の月の精が、ひとときだけ冬に舞い降り人間に恵みを与えるストーリー。高校ラグビーマンにとって菅平での時間は、本当に久しぶりに受け取った、いつものラグビーの時間だったのではないか。この恵みにあずかれなかったラグビーマンにも、秋、冬にはみんなに精が降りますように。