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【ラグリパWest】待っている子供たちのために。角田眞章[大阪・平野西小学校校長]

2020.08.17

大阪・平野西小の角田眞章校長。天理から大体大に進み、赴任した中学3校でラグビーも指導した



 起きるのは朝4時だ。
 角田眞章(つのだ・まさあき)は7時には平野西小学校にいる。
 校長としての勤務先である。

 自宅は京都寄りの枚方(ひらかた)。小学校へはJRと地下鉄を乗り継ぎ、大阪府内を南西に2時間ほど下る。
「学校に着く時間は教員になってからずっと変わりません」
 眼鏡の奥の丸い目が細く、柔らかくなる。体はがっちり。楕円球への愛好を示す。

 校務は学校周りの掃除から始まる。
「タバコの吸い殻なんかを拾います。子供たちを綺麗な環境で迎えてあげたいので」
 トップに立つ者の思いがにじむ。

 8月8日から17日間の夏休みに入った。
「初めてのことでしたが、暑さがまだましで、生徒にはよかったです」
 例年なら7月の下旬から40日ほど休みは続く。今年はコロナの影響で、授業日がずれ込んだ。

 58歳の角田も水泳の授業を受け持った。専門は保健・体育である。
「コロナ予防でプールは1クラスずつになりました。先生が足りない時もあるので」
 3クラス×6学年で生徒は約600人。
「小学校では大規模校になりますね」
 時間があればクラスを回る。授業を見る。現場が好きだ。

 平野西小の開校は戦前。3年後に太平洋戦争が勃発する1938年(昭和13)である。
 学校のある平野も歴史は古い。大阪市の南東に位置し、戦国時代には集落を堀で囲った環濠都市を形成していた。
 90年以上前には大阪女子師範学校(大阪教育大の前身)が移転。現在も付属の小中高が残るなど、教育への興味も強い。

「地域は学校に協力的です」
 コロナの影響で4月7日の入学式は中止になった。決定はその前日。しかし、学校へのクレームはなかった。
「そういうことがあってもおかしくない中で、みなさん、状況を理解してくれました」

 角田は校長になって3年目。それ以前は中学校の教員だった。
「中から小への異動はよくあります」
 採用は大阪市教員。その中で動く。
「子供が待ってくれてんのやろな。縁やろな。転勤のたびにそう思います」

 教員免許を取った大体大ではラグビー部にいた。
 得たものを中学では放出(はなてん)、旭東、喜連で施す。近鉄のスクラムコーチである太田春樹は旭東時代の教え子。教頭としては、巽、旭東、都島に赴任した。

 ラグビーの指導は管理職になってやめた。
「大きなケガが怖くなりました。試合が終わって、勝ち負けよりも、ケガをせんでよかった、と思うようになれば、勝負師としてはアカンでしょう。若い頃は、ケガはつきもの、とうそぶいていました。でも親になって親の気持ちがわかりました」
 その心境の変化の中、長男の騰仁(のりと)は、尾道から京産大に進んでいる。




 角田が本格的に競技を始めたのは高校から。ラグビーとは重なる縁があり、天理に入る。
 2歳の時に亡くなった父・孝雄は同校から近鉄に進み、天理大の監督もつとめた。
 育ての父は孝雄の弟の規智雄(きちお)。経歴は同じ。ともに旧姓は増田だ。
 実家は大阪・十三(じゅうそう)にある天理教の和睦(わぼく)分教会だった。

 現役時代は173センチ、75キロ。フォワードだった。当時の純白ジャージーは西日本一となる戦後3回の全国優勝を誇っていた。
 チームは毎年、花園に出たが、角田の試合出場はない。3年時の60回大会(1980年度)は、3回戦で保善に13−40で敗れた。

 猛練習、厳しい上下関係、寮生活に耐えながら、結果を得られなかった。
「ラグビーをすんのが嫌になりました」
 その時、関口満雄に言われた。
「そんなこと言わんと、もう1回頑張れ」
 普段は厳しいことしか言わなかったコーチが珍しく優しく諭してくれる。
「その言葉があったから、続けられました」
 人生は一言で変わる。身をもって経験する。その恩人はすでに鬼籍に入っている。

 同期は小松節夫や岡田明久。天理大の監督とFWコーチである。岡田は角田を評する。
「あいつはほんまええやっちゃ。勝つたんびにお祝いの電話をくれる。同期が勝つんがうれしいんや、って言うてな」

 大体大を選んだのは監督の坂田好弘が2人の父と同じ近鉄出身だったこともあった。
 2年時にHOとしてリザーブに入り、大学選手権(19回=1982年度)に出場する。初戦で明大に22−41と敗北した。
 同期は息子の高校3年間を託した梅本勝。現在は部を立ち上げた倉敷の監督である。

 指導の一線からは身を引いてはいるが、角田はラグビーとともにある。
 昨秋の運動会は10月6日にあった。日本がサモアを38−19で下した翌日だ。
 仮装リレーで、優しく、人を助ける部分を尊敬しているアンパンマンにふんした。ラグビーボールを持って走る。大声援を受ける。

 ゴール寸前でゴロパントを蹴る。
「絶妙の転がり方をしました。田村君ばり。やったー、トライや、と思って飛び込んだら、あばら骨が2本、折れました」
 ラグビーで培った自己犠牲の精神は、いくつになっても忘れない。