具東春は昨年、迷っていた。古巣である日本のホンダラグビー部からコーチ就任の打診を受けたからだ。日本語で回想する。
「ホンダのコーチ、どうですか? そう言われたのは本当に嬉しいんですけど、うまくできるのかが本当に心配で。教えたい気持ちはあったんですが、気持ちだけではいけませんから。やるのだったら、迷惑をかけたくなかった」
特に気がかりだったのは、チームに長男で当時27歳の智允、次男で当時25歳の智元がいることだ。「私は身体が大きいですが、細かいことを気にしすぎるんですよ」。時間が経ってから、こう苦笑する。
「皆がどう思うかが心配なんです。(家族そろってチームに入るのは)やりすぎではないか、とか。自分は怖いものはないし何を言われてもいいけど、子どもたちはまだ若いから…」
背中を押したのは、その「子どもたち」の方だった。一緒にチームへ所属することを相談した父へ、色よい返事を返したという。
「お父さんの人生なのだから、やりたいのならやってもいいのではないですか」
57歳の挑戦が、決まった。「試合、練習を見て、『これならできるのではないか』と自分のなかで自信が出てきたところもありました」。2月下旬限りで中断したトップリーグ2020シーズン中は、スポットコーチとして定期的に来日していた。そしてシーズン終了後の7月、次のシーズンに向けて正式にスクラムコーチとなった。
「(最終的には)やってみましょう、頑張ってみましょうと自分から伝えました。トップリーグでも、韓国でも、教えたい気持ちはありました。でも、教えたくても教える場所がないと教えられないじゃないですか。でも、(今回)ホンダから(就任要請を)言われて、教えたい気持ちがどんどん出てきました」
韓国代表の左PRだった。現役引退後は母国などで指導へ携わるチャンスもあったが、「子どもたちの将来が大事だった。自分の人生は捨てて、子どもにどこでもついて行ってサポートしたんです」。韓国協会のタスクや生業をこなすかたわら、子どもたちの留学先であるニュージーランドのウェリントン、日本の大分へも腰を据えた。「2人のコーチ」となった。
智允も智元も、大分の鶴谷中に日本文理大附属高、さらには東京の拓大を経て三重のホンダ入り。特に智元は昨秋、日本代表の右PRとしてワールドカップ日本大会で8強入りを果たした。
その間、父が本格的なコーチングにあたったのは、智元が在籍した時代の日本文理大附属高でFWを教えた時期などわずかな期間のみ。ただし父は息子たちの足跡を追いながら、その土地、土地でのスクラムを学んできた。現役時代の感覚のみに頼らぬコーチとしての礎を、自然と積み上げてきたのだ。
「ニュージーランドに行ったら、ニュージーランドのスクラムを見る。見て、頭に入れて、自分からどんどん勉強していきました」
2020年のホンダでは、右PRの腕が中央のHOの腕より前方へ出る「オーバー、アンダー」という組み方を採用した。現在は両PRの腕がHOの腕より後方に入る「オーバー、オーバー」の形が一般的だが、スポットコーチだった具は選手との対話を経て特殊なスタイルを唱えたのだ。
「僕は1番(左PR)でしたが、3番(右PR)が(オーバー、アンダーの形で)前に出る組み方をされたら、1番として困ると思っていました。今回はスタッフとして、選手とコミュニケーションを取りながら、アンダーバインド(オーバー、アンダー)のほうがいい、となりました」
スクラムの軸は3番との持論があり、その3番が最も力を発揮する形を模索したいという。3番は、次男のポジションでもある。
「3番が負けたらスクラムは全部、崩れる。3番が、大事。だから1、2番は、3番をサポートしなければだめなんです」
来る2020-2021シーズンも、濃密な意見交換のもと強いパックを作り上げたい。
「僕は、個人個人とコミュニケーションを取りながらホンダらしいスクラムを完成させたいんです。僕が考える理想のスクラムもあるんですが、それよりも大事なのが(その場にいる)個人個人がスクラムを作ること。『こっちのほうがいい?』『こうした方がいい?』と相談しながら、ホンダのスクラムを完成させる」
現在は韓国で暮らす。来日後はシーズン終了まで本拠地となる三重に滞在するつもりだ。