日本代表歴代最多の98キャップを誇るレジェンド、大野均もサンウルブズのメンバーだった。
日本大学工学部の学生だった18歳のときにラグビーを始めた福島県生まれの好漢は、ハードワークで日本を代表する選手に成長し、国際リーグのスーパーラグビーでもプレーした。2016年と2017年にサンウルブズに加わり、通算14試合出場、南半球の猛者たちを相手に激しく挑んだ。
「スーパーラグビーという舞台は、自分がラグビーを始めたとき、夢の舞台でした。まさか自分がそこに立てるとは思ってなかったです。サンウルブズの合宿初日に練習ウェアを支給されたのですが、そのウェアにスーパーラグビーのロゴが刻まれていて、それをホテルの部屋でひとり見ながらニヤニヤしていたのを憶えています」
42歳で迎えた2020年5月、選手としてのキャリアにピリオドを打つことを発表した大野は、引退会見でそんな思い出も明かした。
それから少し時が経ち、夏になり、秩父宮ラグビー場でサンウルブズのメモリアルセレモニーがおこなわれた。
「秩父宮に入ると走りたくなりますね」
セレモニーに出席した大野はそう言って笑った。
最も思い出に残っている試合は、サンウルブズがスーパーラグビーに新規参入して迎えた2016年2月27日のライオンズ戦(秩父宮)だという。のちに南アフリカ代表の中心選手となる精鋭を多数そろえた強豪相手に13-26と惜敗したが、サンウルブズにとって大きな歴史的一歩だった。
「自分自身にとっても初めてのスーパーラグビーということで、テストマッチに臨むのとは違う感覚、新鮮さを感じました。本当に開幕戦にお客さんが入ってくれるのかという不安な部分もありましたが、2万人(観客数:19,814人)近いお客さんが入ってくれて、選手がグラウンドに出ていく瞬間、炎が出たりとかすごい演出もあって、すごく感慨深いものがありました。とにかく、がむしゃらでした」
大野は、サンウルブズが日本代表の躍進に寄与した部分は大きいと語る。
「テストマッチレベルの試合を毎週コンスタントに経験することができますし、長距離移動もあり、タフなツアーをしながら高い強度の試合をすることで、選手一人ひとりが本当に鍛えられたなと、自分自身も経験して感じました。スーパーラグビーに参戦する前は、世界の強豪との対戦は年間で限られてしまうなかで、自分はどれだけできるのかという不安を抱えながらテストマッチに臨むこともありましたが、スーパーラグビーを経験したことで、ある程度、世界のなかの立ち位置というのを認識できて、さらに日本代表につなげることができました。もちろん、フィジカルやスピードなどもレベルアップしましたが、いちばん大きかったのはメンタルが強くなったことだと思います」
レジェンドも愛したサンウルブズ。1年目のチームにオリジンメンバーとして入れた誇りもある。
そして、たくさんの人たちが応援してくれたことを心から感謝している。