ラグビーリパブリック

【コラム】部活動の頂点と、原点。

2020.08.07

2018年に新装、ワールドカップも経験した高校生の聖地・花園ラグビー場(撮影:BBM)

 マスクをして皇居を走って周ったのは高校時代だ。

 短い練習時間でどれだけ効果を得るかを、我らがキャプテンが考えてある日宣言した。狂っていると思った。走ってみたら、めちゃめちゃ苦しかった。効果があったのかはわからないが、自分たちだけのアイデアで物事を進めて、目標に近づいている実感は確かにあった。30年後の今、皇居を回るランナーはみんなマスクをしているけれど大丈夫かな。

 高校時代は何にも習わなかった。体育大ラグビー部出身の顧問のカナイ先生が、経験者が誰もいない僕らにしっかりと教えたのは転び方と、首と姿勢の強化。身の守り方以外はほとんど口にしない。上級生として理不尽をしたときに、延々走らされたことが1回あった。指導というより見守ってくれている先生だった。

 その分、練習は自由で、自分たちでやる以外なかった。弱い代はめちゃくちゃ弱い。3年が秋まで残るとか残らないとかずいぶんもめた。そういう部活動が結果が出るか。ラグビーを初めて2年半後の僕らは、目標に届かず悔しい思いをした。ただ、終わった瞬間に、もっとラグビーをしたい、とはっきり思った覚えがある。

 東海大仰星の湯浅大智監督に、コロナ禍のモチベーション維持についてたずねた(詳しくはラグマガ9月号に)とき、返ってきた答えに衝撃を受けた。「花園はいただきものなんです」。

 休校、部活停止、もどかしい再開プロトコル。

 頂点を目指すチームだ。さぞ歯痒い思いをし、もしかしたら焦りに駆られているのではと思ってきいたら、充実の面持ち出そう返された。ラグビーができないどころか、仲間に会うことすらできない日々を経験した。毎日、みんなで、ラグビーをできる時点でもう幸せだ。目標があったらもっと素晴らしい。全国の高校生みんなが目指せる大会があったら、なんて素晴らしいだろう。

「僕らが花園やる! なんて言っても、実はあの大会は人のもの、授かりもので、自分たちではできないんだと。優勝もして、1月7日に試合をする素晴らしい経験も重ねて。そのうちに、私たちは、ちょっと勘違いをしていなかったか」

 まだ若き指揮官は、高校スポーツの理想も現実も全部飲み込んだ上で、思考をきっと何百周も巡らせた上で、澄み切ったお顔でそう言った。

「毎年、ベスト4に上がってくるようなチームは、同じようなことを考えていると思います。考えるというよりも、そういう心境と思います」(湯浅監督)

 まるで体内のDNAを手繰るような、先達がたどってきた道を追体験するような気持ちで、トップ校が初夏を迎えている。

 神谷拓著「部活動学」には、巻頭で上原浩治氏(レッドソックスなどで活躍)との対談が掲載されている。上原氏はローティーンの部活動について「一番大事なのは、そのスポーツが好きになること」と言い切る。勝利を否定もしないが、結果に傾きすぎる活動の主が、結局、誰なのかを問うているように聞こえる。

ベースボール・マガジン社 刊

 この活動の主人公はいったい誰なのか。いつの間にか教える側になっていないか。そのチェックを怠ると、勝利主義や指導上の暴力などの問題以前の、そもそもの根っこからぶれてくる。ぶれるような見えない圧力が日々働いている。この著書では「部活動を子供の自治活動」と定義づけていて、この「縛り」が論点を明確にしていて興味深い。

 ラグビーマガジンでは過去に新入生勧誘の話題は何度も取り上げている。素晴らしいアイデアも取り組みもあるけれど、青山高校ラグビー部がこの状況で19人もの新人を引き付けたのは、きっと「主人公は俺だ/君だ」と主格がはっきりしていたからではないだろうか。思い切り私的な体験を熱弁した2年生の情熱は、多くの人に自分のストーリーとして届いた。素敵な映画みたいなスピーチだったんだろう。

 次々と大会が中止になり、大学も、花園も、本当に試合が行えるのか心配だ。先のことは分からないってこんなに不安定なのかと自らのひ弱さも思い知る。しかし、

 そもそも、なんで俺はラグビーをやってんだっけ? 何のために集まっているのだっけ? が見えていれば、何かは進められるのではないか。手足を動かしていれば、その過程で新しいものが見えることもある。またそこに取り付けばいいのではないか。

 街中がマスクだらけの時代になって、高校時代の恩師の辛抱強さに今、また感謝している。先生はきっと教えることはいくらでもできた。あえて教えずに見守った。主役は誰か。部員は問うまでもなく皆、知っていた。最近の最悪のできごとの中で、唯一の救いは、あるラグビー部で起きていた歪みについて、部員自らがアクションしたことだ。今回だけでなく問題が重なり、部のあり方がただされる厳しい状況だ。再起への道は険しいが、自分のため、仲間のため、大好きだったラグビーのために手を上げ、声をあげるのをやめなかったことには、頭が下がる。何ひとつ、ひとごとにしない。そういうラグビーマンが今も稲城にいることは忘れない。