ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】新しい場所。 中瀬古祥成 [奈良朱雀高校コーチ]

2020.08.06

御所実から奈良朱雀に転勤した中瀬古祥成さん。御所実仕込みのラグビーで奈良朱雀を全国レベルの強豪校に育てたい



 中瀬古祥成(なかせこ・よしあき)は今年4月に転勤した。
 御所実から奈良朱雀(ならすざく)へ。ラグビーと工業。教える2つは変わらない。
「楽しいですよ」
 口元を緩めた。この8月で46歳になる。

 工業と商業に特化した県立高校は奈良市の南西にある。北には平城京祉。西には薬師寺や唐招提寺の甍(いらか)が鈍く光る。
「校舎の2階に上がれば、若草山が見えます」
 濃緑のじゅうたん。関西の冬の代名詞である「山焼き」では赤く染まる。

 古都の風情が漂う場所で、冬の全国準優勝4回のやり方を落とし込む。御所実の部長として、竹田寛行を補佐しながら身に着けた。仕えた監督は同時に恩師でもある。

 今、コーチとして盛り立てる監督は山本清悟。竹田とは同級生である。
「シンゴ先生には任せてもらっています」
 コーチングの中心にいる喜びがある。
 山本は感謝を表す。
「来てくれて、ありがたいですね。彼にはゴセを強くした実績がある。部員たちは毎日、刺激を与えてもらっています」
 元PRの59歳は日体大OB。弥栄中では「ヤサカのシンゴ」と呼ばれた暴れん坊だった。伏見工時代には1977年度から連続して高校日本代表に選ばれた。全国優勝4回の京都工学院の先達(せんだつ)である。

 主将はSOの稲田鎮(まもる)だ。
「先生はトップレベルのラグビーをわかりやすく教えてくれます。僕たちのディフェンスは、出て、プレッシャーをかけ、つめるやり方でしたが、先生は『タッチラインを味方にする方法もある』と話してくれました」
 人数が合うまで待つ。流しながら、攻撃側を外に押し出す形は、部員の心をつかむ。

 中瀬古には楕円球界に知己が多い。
 大阪桐蔭監督の綾部正史(まさし)は同級生。その丸みを帯びた、温厚な中瀬古の人柄に「ヨシアキちゃん」と親しみ込めて呼び表す。98回全国大会(2018年度)で頂点に立った学校や湯浅泰正が率いる京都成章との合同練習は中瀬古の人徳を示している。

 転勤願は自分から出した。
「このままゴセにいていいのか迷いました。自分のイメージは、前回の花園で優勝して、竹田先生を胴上げして、引退、でした」
 99回大会の決勝は桐蔭学園に14−23。
「今年は勝てると思ったけど、負けてしまいました。『届かんかった、また頑張ろう』という気持ちにはなりにくかった。40歳のころにもそういうことを考えましたから」

 御所実の2回目の決勝進出は92回大会。39歳になる年の1月7日だった。
「竹井の時も勝てると思いました。でも…」
 常翔学園に14−17。当時、主将だった竹井勇二は帝京大を経て、トヨタ自動車のPRになった。4年目を迎えている。

 不惑は、男にとって、自分の生き方を振り返る時期でもある。
 結婚、子供を持ち、仕事も責任を与えられる。その中で人生は残り半分になる。環境を変え、自分の学びを外で試したい気持ちの沸き上がりは、何も特別なことではない。




 中瀬古がラグビーを始めたのは前校名の御所工から。高2でバレーボールから転部する。体育の授業で竹田から誘われた。
「おまえはラグビーにむいている」
 当時は172センチ、75キロ。NO8を任される。竹田は当時、赴任3年目だった。

 高校卒業後と同時に同じ県立校の吉野に実習助手として勤務。8年を過ごす。
 その間、大阪工大の夜学に4年通い、教員免許を取得した。400㏄のバイクにまたがり、往復4時間かけて奈良の山間部から大阪まで通学する。苦学の人でもある。

 御所実では19年を過ごした。奈良の無名校が、全国屈指になる流れの中だった。
「竹田先生からすべてを学ばせてもらいました」
 感謝の思いがある。

 御所実の得点源のひとつであるモールは7月末から教え始めた。
「今は生徒たちができそうなことからやっています」
 コロナの影響で、赴任した4月は顔合わせをした1日だけで終了。6月の学校再開から徐々にユニット練習に取り組んでいる。

 奈良朱雀は2007年、奈良商と奈良工が統合されてできた。男女共学で全日制は機械工学や総合ビジネスなど6学科から成る。中瀬古は建築工学科で製図や木工を教える。

 ラグビー部の花園出場はない。県内には御所実、そして、冬の全国優勝6回、準優勝7回を誇る天理がある。二大巨頭だ。

 赴任して、部員たちに話しかけた。
「花園を目指しているの?」
 行きたいです。
「ほんじゃあ、できる限りのサポートをさせてもらうわ」

 中瀬古は言う。
「ゴセもテンリもかなり遠い。でも、少しでも彼らがそこに近づけるように、武器を作って送り出してあげたいですね」
 母校の全国準V4回の始まりは部員2人だった。奈良朱雀は40人。8人の女子マネージャーをのぞいて、選手は32人(3年=8人、2年=14人、1年=10人)もいる。
 やってやれないことはない。


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