現役プロラグビー選手が、全国の若者とつながっている。国内トップリーグの日野に所属する田邊秀樹は、頻繁にオンラインセミナーを開講。言葉の力を信じる。
「人の人生を変える機会はそう多くないけど、絶対、皆、できるんです」
動き出したきっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大だ。リーグ戦が第6節限りでシーズン不成立となるなか、全国の高校生も各種大会の中止によりモチベーションを失いつつあると耳にした。もともとコーチングに興味のあった32歳は決意を固めたのだ。
「ラグビーのおかげで生活できている人間として、ラグビーの価値は本当に凄いと感じている。こんなに素晴らしいものを、コロナがきっかけで辞めるなんて本当になんてもったいないという思いで始めました。その時はラグビーができない状況だったので、グラウンド外でも活かせるような話しかしないとも決めました」
32歳。大阪の東大阪ラグビースクール、啓光学園中・高、早大、神戸製鋼を経て、2017年から現所属先にいる。
学生時代は各世代のトップ級の集うチームでしのぎを削った。国内トップリーグ上位の神戸製鋼には2016年度まで在籍し、海外出身者とのし烈な生存競争に挑んできた。身長175センチ、体重85キロと決して大柄ではないが、持てるスキルを的確に使い分けるための視野、判断力を磨いてきた。移籍当時は下部リーグの日野へ加わったのは、従来と異なる環境に身を置くことで視野を広げるためだ。将来はコーチになりたい。
身体能力に頼らず成功体験を重ねてきたからか、今回のセミナーで訴えるのも「目に見えないスキル」の大切さだ。
受講するチームの試合映像を見ながら、パス、ラン、キックをする以前の領域について問いを投げかける。
普遍化も意識する。効果的な1本のパスで防御を破る過程も、効率的な仕事の進め方に置き換えられると話す。いましているラグビーについて考えを深める延長で、ラグビーを辞めた後も役立つスキルや知恵を身につけてもらえるようにしたいと考える。
講演前には、部活の顧問教諭などの主催者と綿密に打ち合わせをおこなう。さらに講演後には受講者からレビューを受け取り、次回以降の肥やしにする。
いまではサッカー少年、大学のアメフト部員とさまざまな集団を教える対象とする。話の流れで「誰にでも競技を辞める時が来る」というシビアな現実も示すが、「そのことを初めて考えることができた」とポジティブな感想ももらえるという。
自分の経験を改めて俯瞰できるうえ、その内容が他者に役立つことがわかる。だからこそ、1人でも多くの現役選手にも同じ体験をして欲しいと考える。
自分の話に需要があるものか…。そう躊躇するアスリートには、こんなエールを送る。
「たくさんの人が共感してくれることは、たぶん、ないです。それができる人はひと握りしかいない。でも、ひとりの人生を変えられるとすれば、それは嬉しいことです。だから、皆も『たくさんの人に伝わらないと意味がない』とは思わないほうがいいかな」
今年は1月12日のトップリーグ開幕節(東京・秩父宮ラグビー場/対 NTTコム ●20-29)で、左膝の前十字靭帯を断裂。早大時代に同じけがをした際のリハビリが過酷だったため「同じ場所をやったら、(現役生活を)辞めよう」と考えてきたが、画面の向こうへ語りかける頃には考えが変わっていた。
「あきらめるのは簡単。行動を起こしたとしても、何もしなかった時と結果は同じかも知れない。頑張ったところで試合に出られないかもしれない。ただ、ここで頑張ったら、僕は、成長していますよね? (結果は同じでも、その過程をどう過ごすかによる)差はめちゃくちゃでかい」
2月にはメスを入れ、切れた靭帯の箇所へ左太ももの裏の筋肉を移植。チームが長い自粛期間を経て7月からグループ別練習を始めるなか、リハビリの質を上げてきた。いまではランニングができるようになり、10月の全体練習復帰を見据える。
プロ選手を続けるかたわら、セミナー活動でも個別指導に挑むなど活動の範囲を広げたいという。「ずっと自分が一番成長できる場所にいたい」と世界観を広げると同時に、関わる他者の世界観も豊かにしてゆく。