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【ラグリパWest】気がつけば18年目。南浩史[グリニッジ・エンタープライズ代表]

2020.07.31

南浩史さんはラグビー用品の製作や輸入販売を中心にする「グリニッジ・エンタープライズ」の代表である。温厚な人柄で知己は多い



 南浩史(みなみ・ひろし)がビジネスを始めたのは2003年だった。
 トップリーグの開幕と同じ年である。
 仕事はこの7月で18年目に入った。
「気がついたら、ここまで来ていました」
 49歳が主業とするのはラグビー用品の製作や輸入、販売などである。

 屋号は「Greenwich Enterprise」(グリニッジ・エンタープライズ)。世界の標準時となる天文台からとった。
「時差が0。いつの時代も遅れることなく、早まることなく、普通でいたいのです」
 社員はいない。妻・栄美が教育関係の仕事をしながら、手伝ってくれている。事務所は兵庫県の尼崎。南はここで育った。

 扱う商品で認知度が高いのはIMPACT(インパクト)のヘッドギア。近鉄の正面健司やヤマハ発動機の日野剛志ら元日本代表がこのオーストラリアのブランドを愛用する。

 正面のヘッドギアは黒地に赤い稲妻が走る。南はこのSOの一ファンでもある。
「彼のプレーを見ているとワクワクします」
 その付き合いは同大の寮に連絡を取って以来。15年を超える。

 ラグビーは報徳学園入学後に始めた。テレビで見たインタビューで進学先を決める。
「生徒をほめてあげたい、という内容でした。いい監督やなあ、と思いました」
 話していたのは前田豊彦。優勝3回の國學院久我山を16−4で下した直後だった。64回大会(1984年度)の2回戦である。

 現役時代の体は164センチ、60キロ。WTBだった3年間は日々くたくただった。
「毎日、ランパスを1時間はやってました」
 数人が横一列に並び、ボールをつなぎながらの100メートル全力走は延々続いた。

 3年生の夏休み、上半身裸で生タックルをさせられた。理由を笑顔で推測する。
「光GENJIの影響じゃないですか」
 当時、ジャニーズのアイドルグループはタンクトップを脱いだりして歌っていた。今は確かめる術がない。全国4強1回、8強6回の祖となった前田は1992年に他界した。

 南は最後の冬、太ももを肉離れする。68回大会(1988年度)は22人の選手登録を外れた。チームは勿来(なこそ)工を37−3で破るも、2回戦で天理に0−20と完敗した。
 この大会の優勝校は大阪工大高(現・常翔学園)と茗溪学園。昭和天皇の崩御で決勝戦は中止となり、両校優勝となった。

 高校時代、先輩から頼まれたおつかいが今のビジネスに役立っている。
「おまえのセンスでパンを買って来て、ってよく言われました。そうすると、よろこびそうなものを買ってこないといけません。それが仕入れなんかに生きていると思います」

 一浪しても受験がうまくいかなかったこともあって、オーストラリアに渡った。
「当時、ラグビーと言えばニュージーランドでした。僕は逆にオーストラリアを見てみたい、という思いがありました」




 南十字星が輝く大陸には3年いた。最大都市のシドニーと首都のキャンベラに住む。
 シドニーではランドウィックに所属する。そこにはデビッド・キャンピージーがいた。
「雰囲気があって、大きかったですね」
 代表キャップ101を誇るFBと同じクラブだったことは思い出のひとつだ。

 滞在の3年間は、語学学校で英語を勉強して、ビジネスの専門学校に移った。その中で磨かれたのは、言葉より、人間力である。
「日本ほど電化製品が豊富でない中で、ごはんを鍋で炊いたりしていました」
 現状でどう生きるか。その学びになる。

 帰国後はゴルフ専門店などで働いたが、組織での出世より、自己責任を好んだ。
 創業後、海外へメールを頻発する。
「日本は会社と話をしますが、海外は人とのつながりがものを言います」
 異国に対する慣れと会得した英語は飛び込み営業の軸になった。
「反応があれば、すぐに現地に飛びます」
 生命線はこのフットワークだ。

 今は、ビジネスと併せてラグビー界の良化も考える。
「チャレンジできるようないい環境を作るのも自分のつとめだと思っています」
 原田隆司がプロのトップレフェリーだった頃、和菓子の叶 匠壽庵(かのうしょうじゅあん)をスポンサーとして紹介した。経営陣にラグビーを通した知り合いがいた。

 資金援助はパフォーマンスに専念できる助けになる。原田への支援は、日本ラグビー協会の審判部門長になった今も含め、10年以上も続いている。

 これから、南が力を入れたいのは若者の留学サポートである。
「サッカーなら、久保君はスペイン語、永友君はイタリア語を話せますよね。ラグビーでそんな人は岩渕さんくらいじゃないですか」

 久保建英(たけふさ)はレアル・マドリードに所属、長友佑都はインテル・ミラノにいた。岩渕健輔はイングランドのサラセンズでプレー。英語は堪能だ。今は日本ラグビー協会のかじ取り役である専務理事である。
 南は選手たちの国際化も支えていきたい。

 未来を思い描く中、現実として新型コロナウィルスが猛威をふるっている。
「学校を回ってもイベントがなくなっている。先の見通しが立ちません。でも、だからこそお客さんに本当にすすめられるものを考え、作っていく時期ではないかと思っています」

 南は「商売」と「金もうけ」を分けている。
「商売はなくなっても何かが残る。金もうけはなくなったら、友人もいなくなります」
 その生きざまが18年の歴史を生んだ。それはこれからも変えることはない。



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