箕面。「みのお」と読む。
古くは大阪の北の奥座敷。今は国定公園の「明治の森箕面」。梅田から阪急電車で半時間ほどの街は滝や紅葉で人を引き寄せる。
その低い山並みのすそに箕面学園はある。
校門をくぐれば、右手には付属の幼稚園。園児の明るい声が響く。
この高校にラグビー同好会ができたのは昨年の暮れだった。
「生徒が話をもってきてくれた時は、うれしかったですね。一度はラグビーを教えたい、と思っていましたから」
監督の廣谷和平(ひろたに・かずへい)は破顔する。保健・体育教員でもある32歳は京都の東山から日体大に進む。FLだった。
同好会結成の大きな後押しは昨年9月、この国で開かれたワールドカップ。日本代表の初の8強入りは高校生たちの心をもつかむ。
主将の鳥居祐士(ゆうし)は2年生だった。
「ラグビーって、チームのために自分から進んで痛いことをやります。その気持ちって、どんなんやろう、と思いました」
同学年の大野光輝(こうき)も興味を持っていることがわかる。
学校は生徒会に権限を持たせている。その担当教員に廣谷は活動を相談した。
「おもしろいんじゃない」
危険性などを問わず、生徒の意志を尊重する。1年生だった横山響(きょう)を加えた3人で同好会をスタートさせた。クリスマスイブのことである。
厳密に言うとラグビーは「復活」になる。40年ほど前、部は存在したが、いつしかなくなった。廣谷は話す。
「学校は初めてという認識です」
箕面学園のグラウンドは人工芝ではあるが、狭い。
「ハンドボールコートを2つとればいっぱいのような感じですね」
ここはその競技とサッカーが占有権を持っている。広島の左腕・床田寛樹を育てた野球部は隣接する茨木に専用球場がある。
ラグビーの活動場所は猫の額。グラウンドの端、横20メートル、縦7メートルほどの二等辺三角形のスペースしかない。ボールを使った練習は朝6時30分に設定したりする。グラウンドを遠慮なく使えるからだ。
この春、新入生3人が入部する。
安西優豊(ゆうと)、小山隆翔(りゅうと)、横山拓海(たくみ)である。安西は吹田(すいた)ラグビースクール、小山は豊中四中での経験者である。廣谷は笑う。
「2人はラグビーがない、と思って入学してきました。だまされた、と言っています」
そこに最近、2年生の浅井優希が加わった。最初はハンドボールに所属した。中学時代はサッカー。182センチ、76キロと体があるにも関わらず、走れて、蹴れる。廣谷はFBでの育成を考えている。
チームは「侍」ならぬ、「7人のラグビーマン」になった。
箕面学園は終戦の翌年、1946年(昭和21)に創立された。今年75年目を迎える。
全日制普通科の私立共学校。不登校や支援学級出身の生徒も受け入れる。1学年は基本的に6クラスで1学級は30人。全校生徒500人ほどの中規模校である。
豊中にある箕面自由学園との関係はない。
この学校に廣谷は昨年4月から勤務している。大学卒業後は8年間、箕面や豊中などの中学で教べんを執り、経験は積んだ。
廣谷がラグビーを始めたのは東山に入学後。野球からの転部組だ。
「持って走るだけ。なんて簡単なんや、あれなら自分でもやれる、と思いました」
花園出場はないが、2年時の85回大会(2005年度)は府予選4強で伏見工(現・京都工学院)と激突。10−82と大差負けの中、2トライともに自分が挙げた。
伏見工は本大会決勝で桐蔭学園を36−12で破り、4回目の全国制覇を成し遂げる。
日体大では4年間、公式戦には出場できなかった。最終学年は同期と試合中に水分補給をするウォーターボーイの役を買って出る。一緒に戦っている気持ちになった。
同好会を作って痛感するのは、この大学のつながりのありがたさだ。
近鉄HOの高島卓久馬は同期。コロナでの休校中、オンラインで高校生たちに初歩的な体の鍛え方を教えた。鳥居は思い返す。
「タクマさんのメニューは毎回、違うんです。腹筋をする時には意識するポイントも教えてくれました。楽しくできました」
無報酬のコーチングは1日おきで1か月半ほど続いた。
ラ・サールで指導に励む同期の肥後勇介は、ジャージーなどを送ってくれた。
府内で合同を組むためのチーム紹介は廣瀬壽哉(としや)が引き受ける。二回り近く上の先輩は早稲田摂陵の監督でもある。
チームは週末の練習参加を考え、近隣の渋谷(しぶたに)、桜塚、東淀川に合流した。
記念となる100回全国大会の府予選の抽選は8月1日に行われる。
鳥居は大会の抱負を口にする。
「合同に入れてくれたみんなのために、試合に出られなくても、ウォーターボーイなど必要とされることをやって恩返しがしたいです」
コロナの影響がなければ、初戦は9月。箕面学園にとって、最初の試合になる。
7人による新しい歴史が始まる。