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藤田慶和、東京五輪への強い思いはブレない。「母親の夢も一緒に叶えたい」

2020.07.16

練習後、オンラインで合同取材に応じた藤田慶和(写真提供:日本ラグビーフットボール協会)


 藤田慶和が7人制ラグビー(セブンズ)の日本代表に初めて選ばれたのは2011年、東福岡高校3年生のときだった。18歳2か月、史上最年少での選出だった。15人制日本代表でも31キャップを重ねることになるスピードスターは、一時期セブンズから離れていたが、昨年、3季ぶりにワールドセブンズシリーズに参戦。東京オリンピックを目指して7人制の舞台に復帰した。2016年のオリンピックにも挑戦したが、リオではオリンピアンにはなれずバックアップメンバーとして参加していただけに、そのときの悔しさも糧に成長し続けている。

 今年9月には27歳の誕生日を迎える。

「年齢的に中堅になってきたので、これからはみんなを引っ張っていく存在になりたいです。そういう意識も持って取り組んでいきたいと思っています」

 新型コロナウイルスの感染拡大に注意しながら、関東地区にいるセブンズ日本代表候補の仲間たちと一緒に8人で練習をおこなった7月16日、オンラインで合同取材に応じた藤田はそう言った。画面を通して見る表情からは充実感が感じられた。

「自粛期間が続いていたので、みんなで集まってトレーニングできることが幸せです。これからオリンピックへ向けてひとつずつステップを上っていきたいと思っています」

 セブンズ日本代表候補選手たちはいま、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、各自が拠点とする場所に近いところで、全国5か所(北海道、東京、名古屋、大阪、福岡)に分かれてトレーニングをおこなっている。一緒に集まるのは少人数で、週一回程度。それ以外は、藤田は所属するパナソニック ワイルドナイツのジムやグラウンドを使ってトレーニングをしているという。

 自粛期間中は実家がある京都で過ごし、早朝に外を走ったり、家で器具を使って体を鍛えるなど、次の長いシーズンを戦えるような土台を作ろうと思いトレーニングをしてきた。
「僕は両肩の手術をしたことがあるので、長いシーズンになってくるとそこに少し故障が出てきたりする。だから、しっかりと筋肉を鍛えて、長いシーズン中に故障が出ないようにトレーニングを積んできたつもりです」

 今年の7月に開催されるはずだった東京オリンピックは1年延期となったが、藤田は「自分たちにはコントロールできないこと」と切り替え、前向きに取り組んでいる。
 延期となったことで、パナソニックのチームメイトでもある福岡堅樹などがセブンズ日本代表からの引退を表明して離脱してしまったことについては、「一緒に戦えなくなるのはすごく残念。いままで一緒にやってきた仲間なので、その人たちの分までオリンピックで活躍できるように、精いっぱい努力したいです」と決意を新たにしている。

ワールドセブンズシリーズではこれまで通算97試合に出場している藤田慶和(Photo: Getty Images)

 セブンズ日本代表はワールドシリーズのコアチームに復帰することが決まり、オリンピックまでの期間を世界の強豪と戦いながら強化することができる。東京オリンピックでのメダル獲得へ向け、プレー面では「世界一速く起きて、速く動く」ことがキーポイントとなるが、藤田はまだまだ世界一には達していないと冷静に見ており、ワールドシリーズでの果敢なチャレンジとレベルアップが求められる。
「自分たちが掲げているのは『Bee Rugby』。ハチのようにすばやく動いてプレーをするというところを極めて、世界一になりたいと思っています」

 そんなセブンズ日本代表において、藤田は司令塔のような役割も担う。なので、「個人として絶対にブレない」ことを意識する。司令塔がブレたら、チーム全体の戦い方が混乱するからだ。どんな状況でもチームのゲームプランをしっかりやりきることが大事だと自分に言い聞かせる。ゲームのマネジメントだけではなく、自分の強みであるランニングも活かしたい。それは勝利へ不可欠なものだ。

 7人制と15人制の両方で世界を知り、2015年のワールドカップ・イングランド大会を経験している藤田には、15人制日本代表復帰と2023年のワールドカップ挑戦を期待する声もあるが、東京オリンピックまではセブンズに集中したいと話す。
「あまり先を見すぎずに、まずはオリンピックのメダル獲得へ向け、チャレンジしていきたいです」

 2019年の自国開催ワールドカップには出場できなかったが、あのとき日本中を熱狂させた15人制日本代表のように、7人制日本代表として東京オリンピックで盛り上げたいという思いは強い。日本でオリンピックを開催する意義について訊かれると、藤田はこう答えた。
「もっともっと、日本のスポーツの価値が上がると思います。7人制ラグビーという、まだまだ知られていない競技も日本の皆さんに知ってもらうチャンス。一人でも多くの方に、感動や勇気を与えさせていただけるような試合やプレーをしたいです。精いっぱい、メダル獲得へ向け努力していきたいと思っています」

 そして、いつも支えてくれている人々、特に家族への感謝の気持ちは忘れない。
「母親が息子をオリンピック選手にしたいという夢を持っていて、(故郷の京都で過ごした)自粛期間は2か月くらいあったのですが、いろいろとサポートをしてくれました。次は僕がプレーで母親に恩返しできたらいいなと思っていますし、オリンピックに出場して、母親の夢も一緒に叶えたいなと思っています」

 新型コロナウイルスはまだ終息が見えない。もしかしたら、1年延期した2021年の東京オリンピックも開催されない可能性がある。それでも、藤田の強い思いは揺るがない。
「自分たちにはコントロールできないところなので、僕たちはいま出ているスケジュールに合わせて、自分たちが納得いくような準備、世界に勝てるような準備をしていくことが大事だと思います。オリンピックがあると思って、ポジティブに準備をするだけ。そこは明確です」