ラグビーリパブリック

【コラム】遅すぎるなんて無いさ。

2020.07.16

第99回全国高校大会。第3グラウンドの1回戦を突破した若狭東。LO中塚敬士(当時3年/撮影:宮原和也)

 リモート会見の微妙な間さえ素敵に感じた。あれはもう5月、試合がないので春で季節が止まっている。

 日本代表最多98キャップ、大野均選手の引退会見には胸打たれた。ラグビーマガジンの取材で薫田真広氏(元東芝監督)にも話を聞き、合わせて思ったのは、この選手は、どこまでいっても自分が前に立たない人柄なんだ、ということ。

 薫田氏は一時期、「もっとものを言え」「経験を言葉でも伝えろ」と大野氏に話していたという。それでも、最前列には出張らない。薫田氏いわく、キン(大野)は「ピアノを弾く」のではなく「ピアノを担ぐ」タイプ。最後まで担ぎ続けた。たとえ人に踏まれても、やめなかったねーー。

 この競技の経験は大学から。

 地方の大学リーグがその舞台だった。福島県の清陵情報高校野球部時代はレギュラーではなかった。大野をラグビーで世界に連れて行ったのは激しさと真面目さ、体の強さだった。野球の世界では、もしかすると直接的に発揮されることはずっとなかったかもしれない力の総体が、ラグビーマン大野均を形作った。19歳でラグビーを始めたことに一番感謝しているのは本人ではなく、周りにいるラグビーの人々だろう。ラグビーを始めてくれて、ありがとう。

 ゆかりの地、福島は郡山から、似たようなキャラクターの高校チームが、前回花園に出場していた。郡山北工業は、1年生2名以外は全員が高校スタートの選手たち。1回戦で対戦したのは、若狭東(福井)。こちらは部員全員が高校からの経験者だった。

 2019年の暮れ、第99回全国高校大会の1回戦で、郡山北工に36-21で逆転勝ちした若狭東は、翌朝、大阪市・興国高校のグラウンドでコンディションを整えていた。

 彼らの持ち時間は、2年半だ。ラグビーを始め、3年生になって決勝に勝ち花園へと道が開けば2年と9か月までのびる。卒業すると多くの生徒は就職し地元地域の即戦力となり、トップレベルでプレーを続ける生徒は少ない。郡山北工が「コンタクト」にポイントを置いて指導する同じ時間を、若狭東は「ゲーム性」に着目した育成強化に費やした。勝ち負けを超えて、両校の指揮官は互いに刺激を受けているように見えた。

 若狭東の朽木雅文監督(保健体育)は、自身も高校からの競技者。花園、日体大で活躍した名手で、指導者としても全国に名が通る存在だ。故郷の公立高校で長く指導し見つめているのは、選手たちと過ごす2年半、プラス3か月の時間だ。若狭東の過去最高戦績は全国3回戦進出。2回戦はそれまでに8回経験している(99回大会で9回に)。

「面白さは、ゲーム性、球技性かなと思うんです」

 朽木監督の指導の特徴でもある。

「あの大会のフォーマットで、しかも高校からの子が勝とうと思ったら、スクラムとモールを鍛えるのが王道ですよね。根気がいる。でも、やってる方も教える方も、正直、面白くはないんですよ。ははは」
 
 朽木監督らしいさりげない言い方ながら、選手が、どうしたら自分から動くかを突き詰めた結論だ。

「近年はスクラムからのアタックが、サインプレーの品評会みたいになりがち。そうでなくて、ラグビーには生身の相手がいる。そこが面白い。サインはあくまで全体の基本方針で、実際の現象にどう対応するかが勝負ですよね。人だから互いの心理や、駆け引きがある。そこでは、サインより個人の判断が優先されていい」

若狭東のラインアウトでジャンプするのは、175㌢の背番号13、村松一馬(99回大会当時/撮影:宮原和也)

「結局は、何を削って、何に焦点を当てるか。福井は体の大きな子がそろう土地でもないし、最終的には、こじ開けるプレーでは勝てない。相手をちょっとずつでもずらして、ボールを動かして、クイックボールでまたスペースを突く。そういう球技性を出していった方が、上のレベルのチームに近づけるんじゃないか」

 若狭東の象徴は、ラインアウトでFWとBKが一部入れ替わる構成だ。

 CTB二人がラインアウトに加わり、空中でボールをつかむ。代わりにFL、NO8はBKに混じって突破役を務める。部員28人の小さな所帯だ。ある日ある時、苦肉の策からBKがラインアウトに入り、「…お前が飛んだほうが、マイボール安定するんじゃ?」となった次第。

 面白いのは、このCTB村松一馬(中学時代はバスケ部)が、元々はFWだったことだ。村松の大会アンケート「目標とする選手」欄には、世界最高の3列、デヴィッド・ポーコックの名がある。同じくCTBの市場学翔(同サッカー部)の腿には、村松と同じく、ラインアウト用のテープが巻かれている。適宜ポジション変更も挟みながら、「その時、できるやつが、効果的なことをやる」という柔軟な発想が、チームのベースにある。

 主将のFL西岡柚弥斗(同サッカー部)は、1回戦を振り返り、「しんどいところで、サポートしあえたのはよかった」と静かに勝利を噛み締めていた。会心の時間帯は、1回戦で見せた勝負どころの3連続トライだろう。前半のビハインドにも慌てず、相手の強みを削ぎながら、連続得点。勝負のラスト10分の時間帯には精神的に優位に立っていた。特に後半1トライを返して22-21となった時間帯の、両チームのやり合いには見応えがあった。FWを押し立て強い腰を惜しみなく相手に当てていく郡山北工に、若狭東もひるまず、むしろFWで打ち返しにいく。特色の違う二つのチームが、いっとき一つになったようだった。

 西岡主将はきっと実直な人柄に違いないと、観る人に思わせるような、愚直なサポートとタックルの繰り返しで勝利を下支えした。球技としてのラグビーを見つめてきたからこそ、逃げてはならない局面だと感じたのだろう。若狭東もこの時間帯は局地戦に没頭した。BKの脅威をちらつかせたHB団も殊勲だった。

キッカーの重責に担いつつ、地道に体を張り続けた。若狭東の西岡柚弥斗主将(99回大会当時/撮影:松本かおり)

 敗れた郡山北工は、望月誠志朗主将(同柔道部)も、小野泰宏監督(数学)も試合後のコメントが潔かった。

 監督いわく、結果は仕方がないです。うちの生徒たちの今のベストです。若狭東は、みんな元気があって自分たちの良いところを出していたと思うーー。

 12月28日、舞台はまだ大会2日目の1回戦だが、22-21の時間帯は両校にとって一つの到達点と言えるのではないか。2年と9か月の結晶。ラグビーをまだしていなかったそれぞれの時間に得たものも注ぎ込んで、もし一つのチームになれたら、舞台はどこであれ、あんな時間を過ごせるのかもしれない。

 2020年、今、持ち時間の計算がたてづらくなっている3年生たちには、苦労の多い年になった。下級生にとっては、先輩たちと違って、部員獲得作戦を年間を通じて続けなければならない状況だろう。

 脈のありそうなクラスメイトにはぜひあなたの言葉で伝えてほしい。

 高校ラグビーを始めるのに「遅すぎる」なんてないんだと。日本代表でこれまで一番たくさんの試合に出た選手は、大学生で初めてこのボールを手にしたんだよと。全国大会の1回戦では「初心者」チーム同士がものすごくいい試合をしちゃうんだと。ラグビーは、いろんな人が集まって、自分たちだけの結晶を作れるスポーツなんだと。

 もちろん伝える工夫は必要だ。ウイルス対策で、おそらく学校内の制限も多く難儀な時だ。ただ、この状況下で書き換えられた勧誘マニュアルはたぶん無敵じゃないか。勧誘自体が素敵に変わっていく部はきっと、ラグビーチームとしても何かの階段を上がっている。

(まだつづく)