ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】伏見と仰星。指導者として、教育者として。

2020.07.01

試合を終えた選手たちを労う東海大仰星・湯浅大智監督。(写真/BBM)



「仰星と伏見は指導者をたくさん出していますね」
 ラグビー協会関係者から連絡があった。

 仰星は東海大大阪仰星。伏見は伏見工。現校名は京都工学院。昔の人には「フシミ」や「フシコー」の呼び方がしっくりくる。
 確かに、この2校の卒業生は教員になり、ラグビーを教えている者が多い。

 連絡の発端は東(ひがし)順一の記事。仰星OBは36歳で教頭になった。大阪市の中学では史上最年少である。

 どちらの高校にも始祖となる名将がいる。
 仰星は土井崇司。伏見は山口良治。保健・体育の教員も兼ねた。
 冬の全国大会優勝は5回と4回。土井は0から、山口はほぼ0に等しいチームから、歴代5位と6位となるベースを作った。

 仰星は教員監督として、仰星の湯浅大智、東海大相模の三木雄介、関大北陽の梶村真也、松山聖陵の渡辺悠太らを出す。大産大附には教員コーチの金谷広樹がいる。
 伏見は、高崎利明、松林拓、大島淳史が山口の後を継ぎ、監督になった。
 両校は中学にも教員監督を輩出する。

 この現象は、土井と山口がラグビー指導者のみではなく、「教員」として生きたことを示す。指導者はチームを勝たせる。教員は専門教科を通して生き方を教える。例えれば別の男親に値する。そこには明確な差異がある。
 2人はこの2つの能力を生得しており、それらを磨き上げた。

 教え子たちは恩師と出会った高校3年間、その素晴らしさに触れ、この仕事にやりがいを感じる。「子は親を見て育つ」である。

 教員は礼儀作法を教え、しつけを施す。社会に出てから困らないようにする。
 そこには情がある。うまさの順に大会エントリーの25人を選ばない。自分についてきてくれた3年間を大切にする。迷った時は最上級生を優先する。教育的配慮がある。
 指導者は迷えば、若い選手を使いがちだ。イキのよさに重点を置き、チームの将来を考える。教育者はその部員の将来を考える。

 山中亮平は仰星に入った頃、土井の言葉を借りると「やんちゃくれ」だった。
 ただ、SOとして能力は図抜けていた。土井は時に山中を諭しながら、その裏では関係者への理解を求めて駆け回った。

 山中はその才能の高さゆえ、背中を通すバックフリップや股抜きなど代表レベルのパスを当時から多投できた。3年の冬、花園のグラウンド入り口で聞いたことがある。
 —パスを落とせば、投げた方が悪いのか、取れなかった方が悪いのか—。
「投げた方が悪いです」
 矢印を自分に向ける。土井の労は報われる。

 山中はその時の86回大会(2006年度)で全国優勝を果たす。東福岡に19−5。仰星にとっては湯浅、梶村、東の79回大会以来、2回目の全国制覇となる。
 早大から神戸製鋼に進んだ山中は、昨年のW杯で日本代表の8強戦士になった。



 山口ももちろん教育者の一面がある。その親交が40年を超える協会関係者は言った。
「先生は生活が苦しい家の子供も、海外遠征に連れていくんやで」
 その費用のやり繰りをする。劣等感を持たさず、次のステージに送り出す。

 山口が監督就任4年目の教え子が高崎だった。この春、京都工学院の教頭から定時制の伏見工の校長に転出する。その伏見工が統合され、来年4月に開校する京都奏和(そうわ)の校長につく予定だ。
 新校は定時制を維持し、不登校経験のある生徒も受け入れる包括的な普通科になる。

「指導者としての異動なら、抵抗していた。教育者としてやったからね」
 高崎はこの異動を笑みで迎える。監督として冬の全国を2回(80、85回大会)制した。この数字は恩師と並ぶ。高校日本代表の監督も経験。山中の日本代表のチームメイトとなったSH田中史朗、SO松田力也も育てた。
 その履歴とは関係ない場所で生徒と向き合う。山口の教えは現場で生き続ける。

 今年2月に喜寿を迎えた山口が別格なのは選手としても一流だったことだ。
 キッカー兼任のFLとして日本代表キャップ13を持つ。1971年(昭和46)9月28日、東京・秩父宮であったイングランド戦は3−6。番狂わせを演じかけたジャパンの唯一のPGは山口の右足から生まれている。

 山口は教育者、指導者、選手と三拍子そろった稀有な存在である。テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』が作られたのも当然だった。「泣き虫先生」の認知度は依然高く、現在は京都工学院の総監督をつとめている。

 還暦をひとつ越した土井は高崎と同じ時期、東海大相模の校長になった。
 野球の原辰徳(現・巨人監督)や柔道の山下泰裕(現・東海大副学長)を育てた相模は、東海大付属の13校(甲府は別法人)の中で旗艦的な存在だ。土井はその学校で中高のどちらの責任も受け持つ。ラグビーを通したこれまでの教育が評価されたことになる。

 指導者と教員の両立は難しい。
 それでも、あえて次代を生きるよき人を作る。コロナの時代、指導が難しい今だからこそ、教育の部分を磨き込める。

 両校は年2回、定期戦を組んでいる。試合日は1月と9月の第1日曜。新チームの始動時と秋のシーズン直前に合わせている。

試合に敗れても前を向く京都工学院の選手たち。指導者の教えがにじむ。(写真/BBM)