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【再録・ジャパン_05】福岡堅樹[2013年4月号/解体心書]

2020.06.29

緊張していた気持ちが、国立のピッチに立ったら「沸かせたい」に変わった。医師になる夢。ラグビーにへの思い。いつだって後悔しない選択をして生きる。(撮影:髙塩 隆)

*『ラグビーマガジン』にかつて掲載された2019年日本代表選手のインタビューを抜粋して再録。

【自分で決める。】
[連載・解体心書] 福岡堅樹(筑波大1年)

鋭角なステップ。爆発的な加速。飄々とした顔で大仕事をやってのける。2012年度の大学シーンで旋風を起こした筑波大。帝京大との頂上決戦では敗れたものの、前半終了間際のトライでスタンドを沸かせたのが1年生、左の翼だった。福岡高校3年時には、28年ぶりに出場した花園でトライ。一浪して入学した筑波大でも、フィニッシャーとしての嗅覚を高く評価される。目の前に広がるフィールドは、世界の舞台へとつながっている。(文:田村一博)*年齢、所属などはすべて当時のもの。

 

 真紅のジャージーが際だった1月13日の国立競技場。大学選手権決勝は、帝京大が筑波大を39―22で破って史上初の4連覇を達成した。

 ピッチを狭く感じさせるほどに走り回った王者。その完成度に目を奪われたファンも多かったが、スカイブルーの側が放った鮮烈な光を忘れられない人も多い。

 筑波大1年生、WTB福岡堅樹だ。前半34分に奪ったトライはダイナミックだった。

 相手のミスから切り返して攻めたシーン。ボールを手にした福岡は、防御が大勢いると見るやいなや、咄嗟にパントをあげた。猟犬のようにボールに迫り、タックルを受けてもインゴールに飛び込んだ。

 トライのシーンを振り返る。

「ターンオーバーからでした。ああいう場面でほしいと思っていました。(蹴ったのは)ちょっと、リスキーだったけど、もともとやっていたんです、ああいうプレー。大学ではバッキングが速いので、よく囲まれる。だから、イメージがあった」

 福岡県立福岡高校出身の福岡堅樹は、1浪後に茨城県南部の学園都市にやってきた。

 情報学群情報科学類に学ぶ。プログラミング、セキュリティ、システム。卒業後は電気製品や、ソーシャルネットワーク、IT関連、メーカーの技術職などに就く人が多い。将来性豊かな分野のスペシャリストがこの学舎で育つ。

 本当は医学部に行きたかった。昨春浪人を決めたのもそのためだ。

「去年、医学部に落ちました。今年も前期は医学部で受け、後期も2浪覚悟で…と思ったんですが、迷った」

 決断の基準は、どうすれば後悔しないかに置いた。

「2浪すると、もうラグビーするのに体がついていかないと思ったんです。特に自分の場合、スピードタイプなので。だからいまは、ラグビーに決めた。医学の道はいったん諦めて、まずは筑波に入学してラグビーをプレーしようと思ったんです」

 なぜ、この大学なのか。

「高校の先輩がたくさん入っていて、優しくしてもらっていたのもありますし、試合を見たときのチームの雰囲気がすごく明るくて」

 2年生の竹中祥(WTB)の影響もあった。

「竹中と最初に知り合ったのは中3のときの全国選抜大会。決勝で竹中のいる東京スクールと当たって、こいつすげえな…と思ったのがヤツでした。その時は喋ったりしなかったけど、高2のときに九州×イーストジャパンの試合があって、ファンクションで会話をしてから付き合いが始まった。一緒に筑波でやろうよ、みたいな話になった」

 友は予定通り現役で志望校に入ったが、福岡は医学部の意志を貫いたから時間がかかった。「浪人するだろうな」と覚悟のあった1年目は、行きたいところだけ受けようと、筑波大だけを受験。玉砕も、後悔なんてなかった。

天王寺高校でラグビーをしていた父・綱二郎さんの影響もあって5歳で楕円球を追い始めた。玄海ジュニアに入る。小学校時代はずっとSO。中学でWTB、FBをやった。

 「玄海は楽しむことをモットーにやっていたので、練習も楽しく笑顔でプレーしていました。それでラグビーが好きになれた」

ラグビースクールが盛んな土地。同学年にもビッグネームがいた。

「中学校時代、当時のスターはやっぱり布巻(峻介/早大CTB/2年)。もう、一人だけパワーが桁外れ。そんな感じでした。体つきも違うし、タックル、ジャッカルと、何をしても凄かった。僕ですか? まあ、足が速いくらいのイメージしかなかったと思いますよ。玄海では、福高でも同期で、いま青学でやっている谷山(俊平)が凄かったんですよ。小学校のときは、たぶん布巻よりも上だった」

 進学した福岡高校では、高校3年時に花園に出場した。全国大会がちょうど90回記念大会で、福岡県からは2校が出場できるという幸運にも恵まれた。

「福高にいった理由は、ラグビーも勉強も、というのがあったので。そして森(重隆)監督の存在も大きかった。いろんなことを教わりました」

 高校3年時、筑紫高校を破って花園出場を決めたときは、言葉に表せない感激に浸った。

「展開的に、試合途中から勝てるだろうと思っていたんだけど、ずっと目標に掲げてきていたことが現実になって…夢みたいでした」

 ただ、その感激だけで満足せず、花園の大舞台でも結果を残すのが福岡堅樹の真骨頂だ。

 全国大会での1回戦の相手は本郷高校。素晴らしいクロスゲームは、僅かなリードを許したまま試合終了が迫っていた。逆転の『認定』トライのシーンは、いまでもはっきり憶えている。

「自陣のインゴールあたりから攻め始めたんです。一度味方がノックオンをしたけど、相手がそれを拾って前に出てくれたのでアドバンテージオーバーになった。それをジャッカルしたこところから、福高が繋いで、繋いで、少しずつ前に出て、最終的に自分のところに回ってきた。外にスワープを切って、2人ぐらいを振り切った。ブラインドから帰ってきたWTBにタックルされて…僕、タッチラインを踏んじゃったんです。でもそれがハイタックルで認定トライになった。『タッチ』と言われた瞬間は真っ白になったけど、自分の中では絶対先に(インゴールに)置いた確信があったんです(笑)」

 2回戦の大阪朝高戦では完敗したけど、高校時代の記憶はシアワセだ。

 1度目の受験で失敗した後は、地元・福岡で予備校に通い、高校時代の何倍も勉強をした。

 志望していた医学部ではなかったが、思いが叶って始まった筑波大でのラグビー部生活。浪人生活の影響もあって、なかなか本来の感覚は戻らなかった。

 ようやく体のキレが戻ってきたのは、夏を越えてからだ。

「公式戦が始まって、最初はBチームの試合に出してもらっていたんです。その中で少しずつ感覚が戻っていったんですけど、やっぱり自分の中で一番変わったと思うのは日体大戦です(11月24日/78―0/11番で出場)。初の対抗戦出場で、いい感じで走れた」

 しかし、それではまだ、筑波ラグビーに完全にフィットし切れているとは言えなかった。12月1日、先輩たちが帝京大を撃破した一戦はスタンドからの観戦。

「あの試合、WTBを誰にするかとなったとき、自分には安定感が足りなかったと思います。スタメンが山下一で、リザーブが高橋謙介さん。試合を見ていても、納得の人選でした。一か八かなら自分の起用もあったかもしれませんが、あの試合を見ていたら、自分はスタミナもない、ディフェンスの確実性も足りない。あの場に立って何ができたかと考えると、無力だったんだろうな、と」

 自身を見つめ直す機会になった。

 そんな時間を経て掴んだ大学ファイナルの左WTBの座。最高の舞台で、最強の相手と戦って見つけた、新たな目標がある。

「帝京は本当に強かった。プロのチームと戦っているように感じました。でも、大きな目標に向かってやるのはきついことが多いけど、自分は楽しく感じることができる。本当にそこで勝てたときの喜びは、凄く大きいものがあるんだろうな、と」

 自身を「ポジティブ」と評す。

「大舞台も楽しめる方ですね。この間の国立での決勝のときも、最初はすごく緊張していたんですよ。でもピッチに立って周りを見渡した。あー、お客さんがたくさんいるなあと思ったら、思ったんです。ここにいるみんなを沸かせられたら気持ちいいだろうな、と(笑)。楽しかった。気持ちよかった」

 ルーキーイヤーに最高の舞台も踏んで、いま、あらためてラグビーをやり切る気持ちが強まった。

「なにかひとつ、ケジメをつけられるところまではやりたい。オリンピック(7人制)だとか、W杯とか、世界への道に可能性があるのなら突き詰めたい」

 そして、ラグビーの目標にたどり着けた後に、もう一度夢を追いたい。医学の道を、急いで諦めることはないと思っている。

「いまの勉強も面白いけど、いつかもう一度医学部に…という思いは、『それならそれでいいぞ』と両親も応援してくれているので、考え続けたいですね。漠然とチームドクターだとか、ラグビーに関わっていけたらと思っているんです。自分自身、怪我に悩まされた経験がある。それを活かして、心のサポートとかもできたらいいな、と。そういう医者になりたい。怪我をしているときって、本当に不安になりますから」

 できるできない、いつになるかなんて分からないけれど、強い気持ちは持ち続ける。そして決断の時は、自分で決める。

File
●名前/福岡堅樹(ふくおか・けんき)
●生年月日/1992年9月7日生まれ
●身長・体重/175㌢・83㌔
●学歴/青柳小→古賀東中→福岡高校→筑波大学情報学群情報科学類
●代表歴/U17日本代表
●家族構成/父・綱二郎さん、母・のぶさん、姉・唯子さん
Rugby
●ラグビーを始めた年/5歳
●ラグビーを始めた頃の憧れの選手/大畑大介
●ポジションの変遷/小=SO、中=WTB・FB・SH、高=WTB・FB
●尊敬する選手/中靏憲章(筑波大4年/ラグビースクール、高校でも先輩)
●目標とする選手/イズラエル・ダグ(NZ代表/ワクワクする)
●もっとも敵にしたくない相手/彦坂匡克(筑波大4年)
●どこに勝つのが一番うれしい?/帝京大
●影響を受けた人物/森重隆(福岡高校監督/精神面の影響大) 
●気に入った遠征地/花園(仲間との日々を思い出す)
●好きなラグビー場/国立競技場
●好きな海外チーム/レッズ(クウェイド・クーパーが好き)
●ラグビーのゴールは?/ワールドカップ、オリンピック
自分のこと
●好きな食べ物/ステーキ(サーロイン)
●苦手な食べ物/いんげん
●好きな本/東野圭吾
●好きな映画/レ・ミゼラブル
●好きな音楽/Jポップ(東京事変など)
●携帯の着メロ・メールの着メロ/設定音
●趣味/ドラム、ピアノ
●ニックネーム/ケンキ
●これがなければ生きていけない!/ラグビー
●もしラグビーをやっていなかったら/医学生
●最近凝っているもの/コーヒー(自室でドリップ式を楽しんでいる)
●試合前にやること/試合前日のスパイク磨き
●いちばん落ち着ける場所/実家のリビング
●部屋にあるものでもっとも大切なもの/パソコン(一日2、3時間は使う)
●地元のおいしいもの/豚骨ラーメン(一風堂の赤玉が好き)
●無人島に3つだけ持っていけるとしたら/ナイフ、お米、船
My Favorite
●福岡高校の3年生の時、花園出場が決まってから作ったお揃いのチームウェアとお守りです。ウェアはいまでも来ていて、花園での移動の時などはいつもこれを着ていました。お守りは花園予選前に、必勝祈願で筥崎宮に行ったときのものです。願いを叶えてくれた。

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