正面健司は5月で37歳になった。
花園での鮮烈デビューは16歳。東海大仰星の1年生は全国制覇の中心にいた。
「もう、そんなにたちましたか」
21年の歳月が流れた。男の子2人の父になる。9歳と6歳。それでも、愛称「けんちゃん」は選手であり続けている。
「ここまでやれるなんて、考えもしませんでした。今でも必要とされて、ラグビーができて、幸せです」
近鉄では2年目に入った。チーム最年長。
それまで、トヨタ自動車、神戸製鋼とトップ2チームに属した。
175センチ、85キロ。速さと技術が並立するユーティリティーはSOを任される。
「パスで周りを生かすよろこびがあります」
7戦全勝とした昨年度のトップチャレンジでは、コカ・コーラ戦を除き、6試合に交替出場する。
「FBでの獲得だと思うんですけど、『しゃーない』で使ってもらっている感じです」
正面は笑う。野口大輔、吉井耕平、パトリック・ステイリンら司令塔候補がケガで戦列を離れる。その中で存在感を放った。
先発は9月に来日したクウェイド・クーパー。オーストラリア代表キャップ70を誇る5歳下にむき出しのライバル心はない。
「1回、死んだ身なので、絶対に出たい、という感覚がない。求められているものを出して、結果に変えていこうと思っています」
昨年初め、神戸製鋼から契約更改をしない旨が伝えられた。10シーズン在籍した。
「もう1年、と言ってもらえても断るつもりでした。試合に出ていないのに申し訳ない」
深紅のジャージーでの公式戦出場はカップ戦1試合のみ。昨年1月19日の東芝戦。WTBで先発したが、28−33で及ばなかった。
近鉄からは北村一真を通じて接触があった。高校時代のチームメイトは採用担当になる。
「失礼だけど、近鉄は思った以上にしっかりしていました。栄養士が常駐して、家庭を持つ人間の食事に関してもアドバイスがあります。すごいなあ、と思いました」
管理栄養士の成田厚子を例に挙げた。
コロナで個人練習の期間は、芝生の上でのダッシュを半時間近く繰り返した。
「息があがるまで追い込みました。コンクリートは膝や足首を痛める可能性があります」
ベテランらしくクッションも考える。
持久力を測る「ブロンコ」では人生初めて5分を切る。20、40、60メートルの往復を5本続ける測定では4分56秒を記録した。
「今が人生で一番走れます」
社会人ラグビーのフォーマットや時期がいつ公表されても、すでに臨戦態勢にある。
トレードマークになった赤い稲妻が入った黒いヘッドギアは新しいシーズンでも使う。オーストラリアのインパクト社製だ。
「近鉄に来てよかった点のひとつは、スポンサーしばりがきつくないことです。商標を隠すテープを貼らなくていいですから」
稲妻は好きな印だ。Tシャツには胸元に入れる。「#SHOW MEN」もロゴのひとつ。パーカーなどを含めた特製のウエアは自身のInstagramを通して販売している。
売り上げの一部でラグビーボールを100個作り、市内の小学校に無料配布する予定だ。
「ラグビーを通して、僕のことを知ってくれて、応援してくれて、商品を買ってくれるので、ラグビーに還元したいのです」
楕円球には感謝の念がある。
人生を開かせた仰星1年での花園優勝。WTBとして全5試合に先発した。監督だった土井崇司は鮮明に覚えている。
「センスが違いました。正面には日本の大エースになってもらおうと思いました」
1年秋の伏見工(現・京都工学院)との練習試合。相手のPKキックをグラウンド外から飛び上がって捕球。同時に「マーク」と叫ぶ。元いた位置は自陣のコーナーフラッグの外だった。
フェアーキャッチは成立する。
「ラインアウトモールからの失トライがハーフウエイに戻りました。正面はスクールあがりで、週末しかラグビーをしていないのに、そこまでできるか、と衝撃を受けました」
大阪ラグビースクールの指導員をしていた伯父・米沢徹の影響で小5から競技を始める。
仰星は歴代5位となる5回の優勝を誇るが、正面を擁した1999年度はその最初。1年生の出場は大畑大介でも成し得なかった。8歳上の先輩は日本代表キャップ58。坂田好弘に次ぎ日本人2人目のラグビー殿堂者である。
同志社大では1年からレギュラーになり、同時に日本代表にも選ばれる。2002年10月13日の韓国戦に出場。蔚山(うるさん)での試合は34−45と敗れるが、初キャップを得る。
トヨタ自動車の1年目の2006年11月25日には香港での韓国戦に出場。54−0の勝利に貢献する。翌年のW杯出場を決めた試合だった。ヘッドコーチ(監督)は前月に就任したばかりのジョン・カーワンである。
トヨタ自動車には3年間在籍。神戸製鋼に移ってプロになった。
「ラグビーだけに集中したくなりました」
移籍承諾書が出ず、公式戦に1シーズン出られなかった。ブランクは代表召集をも遠ざける。日本代表キャップは2。ただ、自分に正直に生きたことに後悔はない。
「今の時点ではプロになってよかったなあ、と思っています。この先もそう思えるようにしていきたいですね」
愛車はトヨタのハリアー。恩義は忘れない。
「どこまで気持ちと体がもつか分からないけれど、そこまではラグビーをやりたいです」
あふれんばかりの経験を活かし、日本一3回の近鉄に昔日の強さを取り戻させたい。