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ラグマガ推薦!もう一度見たいW杯名勝負<前編> 「現在のジャパンの礎となった2試合」

2020.06.26

1991年大会最多となる52得点・9トライで日本が初勝利を挙げた。吉田義人も2トライで歴史的勝利に貢献した(Photo : Getty Images)

RWC1991 ジンバブエ戦
「ジャパンの歴史的初勝利」

 当時の海外メディアの中には、日本代表の大勝を「ドミネート」と表現をしたところもあった。

 52-8。特に後半は圧倒だった。

 1991年10月14日、イギリス・北アイルランドのベルファスト。日本代表はジンバブエから9トライを奪って大勝し、ワールドカップ出場2大会目、通算6試合目にして同大会での史上初勝利を手にした。

 9-47と敗れるも、スコットランド相手にスコア以上の勝負を展開し、アイルランドから3トライを奪って16-32。強豪国相手に健闘したチームは、同大会でのラストゲームで当時のチームの完成形を示した。

 宿澤広朗監督が戦いを終えた後に口にした「僕は日本の戦い方はこれでいいと思う。これにプラスして強くしていけばいい。パワー不足だからといって強い選手ばかり集めてもだめ。いまの集団の中にバワーを植え付けていく考え方をしないと」の言葉は、日本ラグビーが進むべき道を描いていた。

 当時の宿澤監督は、前年に単身でジンバブエに乗り込み、アフリカ予選を視察。分析を進めた。

 ワールドカップイヤーの3月から4月には、日本B代表を現地に送り込んだ。

 指揮官は、第1回ワールドカップに続いて連続出場した相手と戦う準備を完璧にこなしていた。

 ワールドカップ初勝利とは言っても、相手が相手。そう思う人こそ、30年前のこの一戦を見るがいい。

 FB細川隆弘の先制PG後(前半4分)、前半20分に生まれたSH堀越正巳のトライはスクラムを押し切ってサイドを走った。その10分後には左WTB吉田義人もトライを挙げた。相手ゴール前スクラムで今度は押さず、ダイレクトフッキングからお家芸の『左ハチキュー(8→9)』だ。

 ボールはNo.8シナリ・ラトゥからSH堀越に渡り、吉田は外に開きながら堀越のパスを受ける。そのとき吉田をマークしていた背番号14、ウィリアム・シュルツは、すでに振り切られていた。

 もうひとつPGを追加した日本代表は16-4とリードして前半を終える。点差を見ても察しがつくように、ここまでの赤白のジャージにはミスも少なくなかった。ジンバブエにもパワーがあった。

 文字通り一方的に試合を進めたのは後半10分にWTB増保輝則がトライを奪ってからだ。このあたりから、ジンバブエはサクラの戦士たちのスピードと運動量について来られなくなる。

 以後、WTB吉田の切れ味鋭いステップからのトライあり。つないで、蹴って、ジンバブエをかき乱す。後半だけで7トライ。

 52得点、9トライは両方とも、この大会の1試合最多記録だった。

 戦いを終えて語った平尾誠二主将の言葉が、チームの到達点を表していた。

「今日この1勝は、自分にとっても、日本ラグビーにとっても大きいものでした。(大会を通して)自信を得ました。やればできる。我々は強い。あわよくば(強豪国にも)勝てるんじゃないか、というゲームができるチームになった。着実に力をつけ、彼らに手が届きそうなところまでいけた」

 宿澤監督も、「日本代表のプライドと責任を高めてくれた。これだけ激しい試合を(3試合)してケガ人がゼロ。最後まで26人全員が戦える状態でした。フィットネスを高めようと言って、それをやり遂げた証拠。勝とうとする意欲、ナショナルチームの選手としてのプライドと自覚が高まった」と選手たちを愛でた。

 2015年大会で南アフリカ代表を破るまで、日本代表のワールドカップでの唯一の勝利となったこの試合。SH堀越の瞬間的球さばき、WTB吉田のランなど、各選手の個人技の高さとコンビネーションを凝視してほしい。

 試合前に演奏されるジンバブエの国歌にも耳を傾けて。現在南アフリカのナショナルアンセムとして歌われる「神よ、アフリカに祝福を」を吹奏楽団が演奏する。

 解放運動を象徴する歌であり、当時、複数のアフリカ諸国で国歌として歌われていた。時代背景も感じ取ることができるシーンだ。

 この大会で浮かびあがった日本ラグビーの進むべき道を歩めず、1995年大会、1999年大会と世界に存在を示すことができなかった日本代表が、次に世界の目を集めたのは2003年大会だったか。

 ブレイブ・ブロッサムズ。

 日本代表は同大会から、そう呼ばれるようになった。

強豪フランス相手に真っ向勝負を挑んだジャパン。キックで得点を重ねる中、後半に大畑大介もトライで意地を見せた(Photo: Getty Images)

RWC2003年 フランス戦
「我ら、ブレイブ・ブロッサムズ」

 初戦のスコットランド戦で日本代表は、一人ひとりが低く、激しいタックルを連発し、前半を6-15で終える。後半15分にサインプレーからWTB小野澤宏時がトライを奪った時には11-15のスコアとなった。

 その後差を開かれて11-32と敗れるも、その試合内容に、当時ジャパンタイムズ紙の記者だったリッチ・フリーマン記者はウェブサイトに日本代表のことをブレイブ・ブロッサムズと表現した。翌朝の地元紙にも同様の見出しが躍った。

 日本のファンにとっては、誇らしいニックネームがつけられた試合と記憶される、そのスコットランド戦。しかし、「勝ちにいって負けた。悔しさばかりが残っています」と記憶しているのが当時の日本代表指揮官、向井昭吾監督だった。

 同監督は、スコットランド戦前日の深夜、全選手一人ひとりに書いた手紙を、それぞれのホテルの部屋に差し込んだ。大会への準備過程では不安定な足取りだったチームは、ひとつにまとまっていた。

 善戦なんていらない。

 チーム全体のそんな意志が強く出たのが、次戦のフランス戦だった。

 スコットランド戦から先発を8人代えて臨んだ。

 温存ではない。日本代表は前年、この大会の4試合中3試合を戦ったタウンズビルを含む豪州各地で、ワールドカップの日程にならったスケジュールで試合をおこなっていた。

 向井監督が「全部勝つ」つもりの選手起用を実行した結果、スコットランド戦の先発から外れた選手は「俺たちはもっと戦いたい」となり、フランス戦でチャンスをつかんだ選手たちは「やってやるぞ」と奮い立った。その両方の感情がチームを前に進ませた。

 このフランス戦、結果は29-51。最終的には離されるも、多くの人を熱狂させる試合だった。

 2G5PGと、すべてのプレースキックを決める活躍だったFB栗原徹は、いまも当時の興奮を覚えている。

「地元の人たちがジャパンをすごく応援してくれた。これがワールドカップかと感じました。高揚感を感じながらプレーしました。夜の試合で、実際とは違うかもしれませんが、ピッチから観客席がハッキリとは見えなかったように記憶されています。ピッチだけが照らされ、浮かび上がっている中でプレーしているような、不思議な感覚だった」

 SOアンディー・ミラーと廣瀬佳司、そして栗原。チームには3人のキッカーがいた。この試合に出場したのはミラーと栗原。「距離があるものはミラーの方が入る。そういう役割分担でしたが、チームというより、自分たちで話し合って決めていました」(栗原)。

 多くのPG機会があった。それを確実に決めて得点を重ね、競る展開を長く続けることは、試合前から決めていた。

 相手に多く反則をさせたのは、向井監督が「最高のバックローだった」と評価する大久保直弥、箕内拓郎、伊藤剛臣の3人をはじめ、全員が体を張り続けたのが理由だ。栗原も最後尾から前線の踏ん張りを見て、「ファーストタックルの精度が高かった」と話す。

 奪ったトライは2つ。

 前半31分にラックからフラットなパスをSOミラー、12番・難波英樹、13番・ジョージ・コニアと繋ぎ、タテに切れ込んだコニアがインゴールに入った。

 後半29分に奪ったWTB大畑大介のトライはイーブンボールの確保から鋭く攻め、最後はボールを大きく散らす。青いジャージの防御を完全に崩した。

 しかしそれでも、前回大会(1999年)準優勝チームの壁は厚かった。

 栗原が試合前のことを思い出す。

「ピッチに入る時、(SOのフレデリック)ミシャラクと並びました。細いな、と感じたんです」

 しかし、その男はやはりワールドクラスだった。

「試合が始まればサポートプレーが凄かった。オフロードパスへ入るタイミング、コース、それが絶妙で。ハードタックルしても、そこで突破された。フランスがただ当たってくるだけのチームなら、もっと勝負できたと思います」

 向井監督は、そのときにチームが持っているものは出せたが、もうひと段階タフに戦えないとダメだとあらためて感じた。

「代表チームを鍛える。私はそうやってチームを作ってきました。それまでのジャパンより、もっともっと練習をしないと(世界では)勝てないぞ、と。でも、それでも足りなかった。あのワールドカップはそこと、日本らしさを磨くことの重要性をあらためて教えてくれたと思います」

振り返ってみれば、1991年のワールドカップと2003年の勇敢なる戦いは、2015年以降の日本代表躍進の礎になっているとあらためて気づく。




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ゲスト解説: 箕内拓郎 / 解説: 大畑大介 / 実況: 熊谷龍一

・2007年⼤会 カナダvs⽇本   7⽉12⽇(⽇)午後3:30[WOWOWライブ]
ゲスト解説: 大野均 / 解説: 大西将太郎 / 実況: 住田洋

・2015年⼤会 南アフリカvs⽇本   7⽉19⽇(⽇)午前11:50[WOWOWライブ]
ゲスト解説: 田中史朗 / 解説: 斉藤祐也 / 実況: 熊谷龍一

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ゲスト解説: 立川理道 / 解説: 大西将太郎 / 実況: 赤平大

2019年⼤会 ⽇本vsロシア 7⽉23⽇(木・祝)午後2:30[WOWOWライブ]

・2019年⼤会 ⽇本vsアイルランド 7⽉24⽇(金・祝)午後0:30[WOWOWライブ]

・2019年⼤会 ⽇本vsスコットランド 7⽉25⽇(土)午後0:30[WOWOWライブ]

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解説: 薫田真広 / 実況: 鈴木健

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解説: 薫田真広 / 実況: 四家秀治

・1999年⼤会 オーストラリアvsフランス  7⽉11⽇(土)午後0:00[WOWOWライブ]
解説: 薫田真広 / 実況: 鈴木健

・2003年⼤会 オーストラリアvsイングランド  7⽉18⽇(土)午前10:00[WOWOWライブ]
解説: 斉藤祐也 / 実況: 四家秀治

・2007年⼤会 イングランドvs南アフリカ 7⽉23⽇(木・祝)午前10:30[WOWOWライブ]
解説: 大西将太郎 / 実況: 鈴木健

・2011年⼤会 フランスvsニュージーランド 7⽉24⽇(金・祝)午前10:30[WOWOWライブ]

・2015年⼤会 ニュージーランドvsオーストラリア 7⽉25⽇(土)午前10:30[WOWOWライブ]

・2019年⼤会 イングランドvs南アフリカ 7⽉26⽇(日)午前10:00[WOWOWライブ]

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