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【再録・ジャパン_04】田村 優 [2010年12月号/解体心書]

2020.06.26

「明治FWに関しては、誰より注意をはらって、誰よりよく知っているつもり。彼らをいかに動かすかが、明治のスタンドオフの仕事だから」(撮影:髙塩 隆)

*『ラグビーマガジン』にかつて掲載された2019年日本代表選手のインタビューを抜粋して再録。

【父の背を追いかけて。】
[連載・解体心書]田村 優(明大4年)

 快進撃を続ける紫紺の司令塔である。父もまた20数年前、真紅のジャージで関東大学対抗戦を沸かせた。
 帝京大が初めて早大を破ったときのスタンドオフ、現在豊田自動織機監督を務める田村誠氏がその人である。
 強制されたことは一度もないが、小さい頃から、ごく自然に「ラグビーをやる」と決めていた少年は、最終学年の今年、宿敵である早大を倒して対抗戦優勝、そして大学選手権制覇を目指す。父と同じく早大を破り、父を超えて頂上へと駆け上がるか——。(文:森本優子)
※年齢、所属などはすべて当時のもの。

 
 今シーズン好調の明大。9月19日、この2年敗れていた筑波大を22―16で撃破。この後、11月3日慶應、21日帝京大、12月5日に早大とビックゲームが続くが、慶明戦、早大—帝京大が行われる11月3日の秩父宮は、チケットはほぼ完売。「メイジ復活」は、ファンの足をラグビー場へと向かわせる欠かせない要素でもある。

 好調を維持する紫紺にあって、1年生から10番を背負っているのが田村優だ。父は帝京大でSO/CTBとして活躍、初めて早大を破り(’83年度)、「赤い旋風」を巻き起こした田村誠氏。トヨタ自動車で監督、部長を務め、今季トップリーグに昇格した豊田自動織機の監督を務めている。

 本人の凛々しい顔立ちは、沖縄出身の母・真奈美さんから受け継いだもの。小学校までは毎年夏休みを沖縄の太陽の下で過ごしていた。

「小学校時代、夏休みのほとんどは浦添市のおばあちゃんの家に行ってました。1日じゅう外で遊んでたので、真っ黒。海に行って泳いだり、おじさんに素潜りで獲ってもらった貝を食べたり。夏休みが終わるころ、岡崎の家に戻るんですけど、帰りたくなかった。小さい頃は泣いてたと思います」

 育った岡崎にも自然は残っており、小さい頃から、ザリガニやクワガタ、かぶと虫捕りに熱中していたアウトドア派の子供だった。

「幼稚園からクラブチームでサッカーをやっていました。中学でもサッカーを続けて、高校の誘いももらっていたんですが、中学に入ったときから、高校はラグビーと決めてました。父が通っていた國學院久我山だと中学からの経験者が多いので、國學院栃木に行きました。吉岡監督が、父と久我山で同期でもあったので」

 父親からラグビーをやるように言われたことは一度もない。高校でラグビーをやりたいことを伝えると、父は「分かった。やるからには頑張れ」とだけ言われたという。

「サッカーは自分でやってる分には楽しいけど、試合を見るのは面白くない。小さい頃からトヨタの試合を見ていたんですが、ラグビーは見ていても面白かったから」

 かくして親元を離れ、栃木へ。そこでの3年間は、吉岡監督によると「青春を謳歌していきましたよ」

 田村にとって吉岡監督は、人生でもっとも影響を受けた人物だ。今でも時間ができると栃木へ足を運び、グラウンドを訪れる。

「ラグビーはまっさらの状態で来たから、教えやすかった。父親に似て、ポン、と軽く蹴っただけでボールが羽が生えたように飛んでいく。そりゃあ大したもんでした」

 が、名を馳せたのは、部活動だけではなかった。恩師が振り返る。

「高1の夏、校内球技大会があったんです。クラス対抗でトーナメントをするんですが、学校中が熱狂するイベントなんです」

 高1の種目はサッカー。田村のクラスは決勝まで進んだが惜しくも敗れ準決勝に終わる。しばらくすると、監督が担任の先生から呼ばれた。

「保健室に行ってみたら、あいつが泣きじゃくってる。クラスの期待に応えられなかった悔しさからでしょう。担任の手に負えなくて私が呼ばれたんですが、“なんだお前、全国大会で暴れ回ろうって栃木に来た男が、校内大会で負けたくらいでワンワン泣きやがって。お前も大した男じゃねえなあ”と言ったら、すぐに静かになった。けっこうカッコつけるところもあるけど、根は純情で負けず嫌いな男なんです」

 何かをしでかして監督を叱る時、最も効いたのが「ラグビーを辞めさせるぞ」の一言だった。

「坊主になって正座して、“ラグビーだけは続けさせてください”ということが何度もありましたよ」

 楕円のボールは、僅かな時間で少年の人生になくてはならないものになっていた。

「ラグビーから逃げようと思ったことは1度もないです。吉岡先生は厳しかったけど強制はしなくて、コクトチは自分たちで考えるタイプのチームだったから、自分に合ってたんだと思います。寮の先輩たちもよくしてくれて、高校生活は楽しかった」

 高校3年間、花園に出場。進路先は、恩師の勧めに従い明治大学へ。

「明治は特に行きたいとは思わず、流れの中で…なんで明治にしたんだろう(笑)。でも早稲田には進められても行かなかったと思います。早稲田はすごく強くて、強いチームに行っても変化は少ない。色々変化があったほうが楽しいだろうと」

 入学した年の監督は藤田剛氏。1年目からレギュラーに抜擢され大学選手権ベスト4に残るが、翌年は大学選手権にも出場できずと、本人の希望通り? 山あり谷ありの日々。それでも日を追うごとに八幡山の色になじんでいった。

 昨年、吉田義人監督が辞任。2年ぶりに大学選手権ベスト4へ。今季は最上級生として、対抗戦優勝、そして選手権制覇を目指す。

「4年になって楽になるかなと思ってたら全然違った。これまで好き放題やってたのが、考えることがたくさん出てきて。

 今年は人生で一番きついことをやってます。“これだけきつい思いをして勝ってなかったら、どうやって勝つんだ”というくらい練習している。

 監督の吉田さんもヘッドコーチの細谷さんも“今年、明治が優勝できなかったら終わりだ”と言われてますが、自分も同じ思いです」

 吉田監督は田村を「ラグビーに対して非常にまじめ」と評する。高校時代、学校中の先生の手を煩わせた少年は、ラグビーを通して人生の階段を上っている。吉岡監督も「会うたびにチャラチャラしたところがなくなって、しっかりしてきた」と成長を認める。「中学までほとんど話さなかった」という父も今では頼れる先輩だ。

「父にはいろんなことを相談してます。自分のプレーに対して、厳しくも言わないし褒めもしない、その中間。自分は誰の意見でも聞く、というタイプじゃないんですけど、父のアドバイスはすごく的を射ている」

 最近は、父に相談するより4年生どうしで話し合う機会が増えた。

 世界の主流のラグビーって、あるじゃないですか。入った頃は、それに近づけたかったけど、明治には北島先生がおっしゃった“前へ”という言葉がずっと生きている。ここでは世界の主流のスタイルより、明治の文化と伝統のラグビーが先に出る。“世界はこういうラグビーをやってる。明治もそれができるだろうな”と思ってやってみて、できなかったのがこの3年間。僕は北島先生に教えてもらったわけじゃないけど、今年はみんなが思っている明治のラグビーに近いから、ここまで結果が出ていると思います。

 明治に入った頃は“早くBKに出せよ”と思ってたんですけど、やっぱり最後はFW。ゴール前までは自分たちがボールを運ぶから、そこから先はお願いします、という感じ。FWの表情、言葉、態度…。何かあったら、すぐに分かります。今年はFWがのってる試合が多いので、すごく楽しい」

 授業と練習の合間を縫って、豊田自動織機の試合に足を運ぶ。10月16日、秩父宮での対クボタ戦。スタンドには、正装をした田村の姿があった。釜利谷でのジュニア選手権に向かう途中、「30分だけでも見たいと思って」寄ったのだ。

「織機はすごくいいチーム。昇格して勝つのは大変だと思いますけど、試合を見ていると父の目指すラグビーが分かる。今年、一番応援しているチームです」

 小さい頃、トヨタの監督を務め、家を空けることも多かった父だが、その背を見て育った息子は、何も言われなくとも、同じ道を選んだ。そして今年、父の果たせなかった選手権制覇に挑む。

 シーズンを終えたら、しばらく訪れていない沖縄に、ラグビー部の仲間と一緒に旅行するのがいま一番の楽しみだ。

File
●名前/田村 優(たむら・ゆう)
●生年月日/1989年1月9日
●身長・体重/181㌢・87㌔
●学歴/愛知県岡崎市梅園小→甲山中→國學院栃木高→明大文学部考古学専攻
●家族構成/父・誠さん(豊田自動織機監督)、母・真奈美さん、弟・煕(ひかる)さん(國學院栃木2年・U17日本代表)
 
Rugby
●ラグビーを始めた年/高1
●ポジションの変遷/FB、CTB、WTB(高1)→FB、SO(高2、3)→SO、FB(大学)
●一番印象に残っているゲーム/2年生の早明戦。(大学選手権に出場できず)シーズン最後の試合で、めちゃくちゃ気持ちが入った
●尊敬する人物/両親
●目標とする選手/父
●もっとも敵にしたくない相手/千布亮輔(東福岡/4年)。3年間、溜めていたものを爆発させると思う
●どこに勝つのが一番うれしい?/早大
●影響を受けた人物/吉岡肇先生(國學院栃木監督)。人生に必要なことを教えてもらった 
●気に入った遠征地/ウエールズ(U20候補合宿)。街がオシャレだった
●好きなラグビー場/国立競技場。早明戦をやる特別な場所だから
●好きな海外チーム/オールブラックス。真っ黒でカッコいい
●ラグビーのゴールは?/明治で日本一
 
自分のこと
●好きな食べ物/鮨
●苦手な食べ物/牛乳
●好きな映画/「おいしいコーヒーの入れ方」(村山由佳)
●好きな俳優/ペン・バッジリー
●好きな音楽/CLAUDE KELLY「ALONE」
●携帯の着メロ/富川昴(同期)の声
●趣味/ショッピング
●ニックネーム/ゆう
●もしラグビーをやっていなかったら/ちょっといきったヤンキー
●いちばん落ち着ける場所/自分のソファー、茅島(同部屋)のベッド
●試合前のジンクス/スパイクを磨く、吉弘(3年)とウイニングイレブンをする
●無人島に3つだけ持っていけるとしたら/iPhone、愛犬(シェパード)、千布亮輔。「俺持ってけよ」と言ったので
 
My Favorite
①今年の春卒業した石丸剛也先輩のグアム土産。「同じ部屋だったので買ってきてくれたんです。お守りとして部屋に置いてます」
②國學院栃木20周年記念試合のジャージー。「大学1年の2月にオール久我山と対戦したときに着たものです」。背番号は10番
③早明戦の日、メンバーに渡される試合に出られない4年生からの手紙。「国立競技場に行くとロッカールームに置いてあるんです」。目を通すのは本人だけ。これまで3年間出場、3通もらったが、もう1通は1年生のとき4年生だった同じポジションの日永田(現三洋電機)から渡されたもの