ラグビーリパブリック

【コラム】 平和の反対に反対なのだ

2020.06.18

国民からファーストネームで呼ばれる首相、ジャシンダ・アーダーン(左/Getty Images)

■4年半前の新宿。分断を最少化してきた年下の上司が「いつでも待っています」と声をかけてくれた。

 ニュージーランドにラグビーが戻ってきた。スーパーラグビーの同国加盟チームによる、スーパーラグビーアオテアロアだ。

 6月13、14日に行われた計2試合では相次ぐ攻守逆転、スリリングな空中戦を交えたハイテンポなキックゲームが繰り返された。

 代表チームはワールドカップで過去優勝3回。かねてスーパーラグビーでも近年は上位をほぼ独占。そんなニュージーランド勢のバトルだからゲームの質は上がるのも自然と言えるが、今回、試合をしたのは、長い自宅生活明けの選手たちである。

 ラグビーでは激しい衝突と選手間のコンビネーションが求められる。だから試合をするのに幾多の下ごしらえが必要なはずだから、プレーする選手の背景と実際のパフォーマンスとのギャップには驚かされるばかりだ。

 アオテアロアは、ニュージーランド国家としての底力の発露でもあった。

 各種報道によれば、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスの脅威に対し、同国政府は3月下旬から市民の給与などを保証したうえでの都市封鎖を開始。感染が収まるにつれて段階的にその規制を緩め、今回、感染者がゼロになったのを受け、当初無観客となる予定だったスタジアムに発熱地帯ができたのだ。

 かたや日本のラグビーマンたちは目下、都市封鎖ではなく活動自粛という形でトレーニングの制限を余儀なくされてきた(いる)。

 列島の施政者はなるたけ経済活動を維持しながら感染を防ぐという指針を掲げ、『STAY HOME』という文言を国民の良心に問いかけ、結果、もともと維持されるべきだった市民の暮らしには亀裂が生じてきた。

 そのさなか、1月から5月までの国内トップリーグが最初に「延期」を発表したのは2月下旬のこと。以後、さまざまな理由で3月中の中止、シーズンの不成立が順次、決まってきた。

 ウイルスの猛威を受けたタイミングの異なるニュージーランドと日本の政策を単純比較するのは難しいとしても、スポーツは平和でなければできないという事実は再認識できたのではないか。

 平和という言葉に明確な対義語はなさそうだが、平和と趣を異にしそうな単語のひとつに分断がある。本来繋がり合っていたものが分かれる状態を指し、人間関係における差別や対立を表す際にもこの単語は用いられる。

 さまざまな国の選手が文化や国境を越えて一丸となっていた先の日本代表を好む読者の方なら、まさか自主的に分断を促したいとは思わないだろう。

 ただし分断は、人々が無意識的に起こしうる現象でもあるような。この春に営業していた飲食店のドアに営業をとがめる紙を貼る行為も、動機が正義感だったとしても分断を助長しうる。

 政府や自治体の情報発信で分断の領域に含まれるのは、いわゆる「夜の街」に関する談話だろう。これらは感染経路が追いにくいとされるウイルスの感染者のうち、ある程度感染源の特定された一部業態の店舗の従業員、顧客のみを糾弾の対象にしかねない。

 日本代表が南アフリカ代表を下すワールドカップイングランド大会の開幕から約3週間前まで、筆者は長らく政府見解で言うところの「接待を伴う飲食店」であろう業態の店で日銭を得ていたのである。

 給与の一部が日当で支払われており、いま以上にニーズの少なかったラグビーライターというビジネスを維持するのに都合がよかった。いや、はっきり言って、その日当がなければ未来がどうなっていたかさえわからなかった。

 当時の執務中の体験はスリルを帯び、こちらの話を聞いた編集者に「貴方の原稿より面白い」と喜ばれたことも一度や二度ではない。普段着ない形のワイシャツやスラックスをつけて原価率が未知数の「カクテル」を作ったり、店先の門番係をしている時に貴金属を腕に付けた恰幅のよい歩行者から「埋めてやんぞ!」とすごまれたり。

 約2年の勤務を経てイングランドへ向かう直前、もうそこへは戻るまいと心に誓いながら「長期休業」を店に願い出た時だったろうか。はたまた、日本代表の歴史的3勝などを見届けて帰国後に報告へ出向いた折だったろうか。

 接客スペースの奥にある男性従業員の作業スペースにて、さまざまなバックグラウンドの従業員間の分断を最少化してきた年下の上司が「いつでも待っています」と声をかけてくれた。

 この瞬間は、それに応じるのは本来の自分の生きる目的とは違うだろうという建前に基づく決意と、帰る場所を示してくれたことへの掛け値なしの安心感がないまぜになった。はっきり言って、ここで働くことは本意ではなかった。ただし、ここで働いたことは悪い経験ではなかった。

 ただし、ウイルス禍で社会が変わってからは、背筋を凍る思いをしたのも事実だ。

 あの頃にいまのような事態が訪れていたら、いまのようにラグビーライターを続けられただろうか。

 ラグビー界の大きな愛を背に戻ってもよい場所へ戻らずに済んでから、4年半の月日が経っている。閉塞的な状況下、どこまで周りを助けたり、背中を押したりする動きができているのかと言われれば答えに窮してしまう。

 ただし、自分のためにも、ラグビーを愛する人のためにもこれだけは約束したい。

 くれぐれも、分断を促す者に権力を与えないよう努める。

 もし新しい施政者が決まった際も、その施政者が分断を促しているのかどうかをよく見ておく。

 筆者を含めた日本国民がラグビーを楽しむ環境を維持するためだ。

 何せ、一大スペクタクルのアオテアロアが開かれたのは、かの地の施政者が分断を生まない政策を打ち出したからではないか。平和であれば、ラグビーはできる。

 あの店が入っていた私鉄沿線駅前の雑居ビルでは、いま、「テナント募集」の看板が白くくすんでいる。