創部92年目で初の女性主務である。
奥英理乃(おく・えりの)は裏方の筆頭として、立命館大を切り盛りする。
経済学部に籍を置く。関西風に言えば「4回生」だ。
「先駆者的な存在になりましたが、責任は重大です。みなさんの信頼を得て、女性でもできるんだ、ということを示したいです。後悔のないように完全燃焼します」
ラグビー部ができたのは1929年(昭和4)。関西ではトップエイトのAリーグに所属するそのクラブも、例外なく新型コロナウイルスの影響を受ける。大学は休校。クラブは活動停止になった。
その中で奥は、学内の7つの重点強化クラブに団結を呼びかけた。
「このような状況ですから、スポーツから盛り上げていきたいと思いました」
ラグビー、野球、アメリカンフットボール、サッカー、陸上、男女のフィールドホッケーの主務たちと共闘する。管理するTwitterやFacebookなどのSNSを使い、現況の報告やこれからの動きなどを伝えていく。
「各部のトレーニングなんかもひとつにまとめたいと考えています」
競技特性が似て、隣のグラウンドで活動しているアメリカンフットボールとはすでに企画が始まっている。学内のクラブ活動に横串を通す発信はさらに広げていく。
主務についたのは昨年12月。関西リーグを6位で終えた後だった。奥の同期は23人(女性は5人)と少なかった。事務方に回るより、プレーに集中したい部員もいた。
「学年の垣根を取っ払って0から考え、挙がってきた候補でした」
ラグビー部GMの高見澤篤は振り返る。
副務として大学3年目を過ごした奥は実績があった。高見澤は説明する。
「手間のかかる部のホームページのリニューアルを1年かかってまとめあげてくれました。デザイン会社などに話をつけ、あとはこちらからパーツを出せばいいだけにした。部にとってはビッグ・プロジェクトでした」
同世代の学生だけではない。大人に対してもしっかり意思疎通ができた。奥が尽力したホームページはじき公開される。
還暦を越えた高見澤は奥を評する。
「女性を表現する形容詩として、的確かどうかは分からないけれど、今の学生にしては珍しく気骨があります」
愛らしい黒い瞳とは裏腹に、強い心も秘める。そのキャラクターがより磨かれたのはニュージーランドである。
高2の1年間、立命館宇治からキングスウエイ(KingsWay School)に留学する。
学校は国内最大都市のオークランドから北へ車で1時間弱のところにあった。
「日本人は私ひとりでした」
その状況でも逃げなかった。立命館宇治ではIMコースに所属。1年間の留学は入学前からわかっていた。
自己分析する「明るい性格」で地元に溶け込もうと、選手としてのラグビーを考える。立命館宇治でもマネージャーをしていた。
「チームに入ったのですが、マオリの大きい女の人に吹っ飛ばされて、やめました」
先住民族の体格の良さに、153センチの身長では身の危険を感じた。
「だから、今でも選手をしている人たちを尊敬しています」
運動クラブはバレーボールに落ち着く。背丈は低くても、トスを上げるセッターのポジションがあった。スポーツでも英語を使うことで、自身の語学力も上がって来る。
ホームステイ先の父親代わりはロジャー・ダストウ(Roger Dustow)。警官になる前は、フッカーとして州代表はノースハーバー、スーパーラグビーはブルーズに所属していた。楕円球に近い家は居心地がよかった。
「楽しく過ごすことができました」
留学で一番の学びを話す。
「異文化を理解する、ということです」
現地では裸足でスーパーマーケットに入って来る人を見る。びっくりした。でも、やってみたら、芝生の上は特に気持ちがいい。
「色々なことに興味を持つことや視野は確実に広がったと思います」
受容の広がりは、人間性に結びつく。
帰国後、大学でもラグビーからも離れなかった。
「全国で戦えるのは魅力ですし、高校時代、テレビで見た選手たちと一緒にできます」
この6月に解禁になった就職活動はメーカーを中心に考えてはいるが、ラグビー関係にも興味はある。
今年の目標を口にする。
「関西優勝をしたいです」
立命館大が関西を制したのは2013年が最後。主将はHOの庭井祐輔だった。日本代表キャップ8を持ち、今はキヤノンに所属。共同主将をつとめている。その間6年、頂点に立てていない。
奥は言う。
「サポートは無限大です」
初の女性主務の誇りを胸に、チームの勝利のため、大切な最終学年を過ごしてゆく。