■でも、この数か月間の空白は、「何もしなかった時間」とは違う。絶対に。
もとより自宅が作業場で、外で仕事をするのは取材や打ち合わせがある時くらいだから、リモートワークは慣れたものだ。丸一日、一歩も外出せずにパソコンの画面をにらみ続けることだって以前からざらにある。自粛要請により近所の穴場店を巡る楽しみはしばらくおあずけになったが、おかげで自炊のレパートリーはずいぶん広がった。
何もかもが不便で苦痛だったかといえば、そうでもない。こうなってよかったとは絶対にいえないけれど、こうなったことで、今までできなかったことに手をつける時間ができたのも事実だ。
ただ、自分の意思に関係なく行動を制限しなければならないことが、これほど辛いとは思わなかった。好きな時に、好きなところへ出かけられる自由が、いかに貴重でありがたいことか。あらためてそれを思い知った。
そしてスポーツの、ラグビーのない日常が、こんなに寂しく味気ないものだということもひしひしと痛感した。楽しいことがなかったわけではないのに、この3か月の記憶の中の風景を振り返ろうとすると、どれも色彩のない古びた写真を見ているように感じる。ふたたびグラウンドでキックオフの笛を聞く時、いったいどんな感情が湧き上がってくるのか。いまは想像もつかない。
5月25日に国内のすべての地域で緊急事態宣言が解除され、街には徐々に活気が戻りつつある。同31日には日本ラグビー協会から、競技活動再開に向けたガイドラインが発表された。6月13日からはスーパーラグビーのニュージーランド5チームによる国内大会、「スーパーラグビー2020 アオテアロア」が始まり、7月3日からはオーストラリアでも同様の国内大会がスタートする(つくづくサンウルブズが参戦できなかったことが悔やまれる)。ラグビー解禁の足音は、着実に近づいてきている。
そこでイメージはふくらむ。久しぶりにチームで集まった時、選手たちはどんな顔をしているだろうか。ピッチを踏みしめるスパイクの懐かしい感触は、きっと格別だろうな。澄み渡る青空に、高く蹴り上げたボールが吸い込まれていく――。そんなシーンを思い浮かべただけで、胸が詰まりそうになる。
少し前のことになるが、緊急事態宣言が発令されて間もない4月中旬、東海大仰星の湯浅大智監督に電話で話を聞いた。その時の言葉が印象に残った。
「こんなにラグビーをしたい、みんなで集まりたいと思うことなんて、いままでなかったと思います。これほどのモチベーションを、コーチングで持たせることは到底できません。もろ手を挙げてチャンスとはいえませんが、この機会は生かしたい」
その一方で、こうも語った。
「特に3年生にとっては、一度しかない年という気持ちは痛いほどわかります。でも僕自身、レギュラーではなかった子が卒業後にグンと成長する姿を、これまで何度も見てきました。もちろんラグビーで人間力を高めるという面もありますが、こうした経験でも人間は磨かれる。ラグビーに携わる指導者として、それだけは伝えたい」
本来ならできていたはずのことが次々とできなくなり、ひとりぼんやりと考える日々の中では、なかなか前へ進んでいる実感をつかみにくい。自分の現在地を把握できない状況は、「このままでは目標に届かない」という焦りにもつながるだろう。でも、この数か月間の空白は、「何もしなかった時間」とは違う。絶対に。
きっと多くの選手、指導者、スタッフたちが、さまざまなストレスと向き合いながら、長い辛抱の毎日を懸命に過ごしてきたはずだ。そうした苦難を乗り越えて再開のスタートラインに立ったことを、どうか誇りに思ってほしい。できなかったことばかりに目を向けるのではなく、できたことを見つめて、自分を励ます糧にしてほしい。
待ちに待ったチーム練習再開。休止期間中の遅れをいち早く取り戻すために思い切り体をぶつけ合いたいのに、悔しいけれどそれはもうしばらくかないそうにない。他チームとの実戦は、練習試合ですらいつからできるようになるのかわからない状況だ。インターハイに続いて夏の甲子園大会までもが中止となる中、ターゲットに定めてきた大会が開催されるのかという不安もあるだろう。もちろんウイルスの脅威もなくなってはいない。
そんな現在の状態は、いわば悪路でブレーキをかけながらアクセルペダルを踏み込んでいるようなものだ。そこで無理をすれば、知らず知らずのうちにため込んでいたフラストレーションが暴発し、思わぬ方向へハンドルをとられかねない。
今後のチームづくりについてオンラインでかわした激論は、グラウンドや教室での熱気を帯びたミーティングと何ら変わらない意義がある。ラグビーのできない悲しみを味わって、ラグビーをできることのありがたさを知った。それは、「できなかった時間」を過ごしたから見える境地なのだと思う。