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【再録・ジャパン_03】ピーター・ラブスカフニ [2018年9月号/解体心書]

2020.06.02

「サッカーのワールドカップで日本が世界を驚かせたのは、ベルギーとの素晴らしい試合だけでなく、整然としたロッカールームや、試合後にスタンドのごみを拾うサポーターの姿。日本は、競技のパフォーマンスだけではなく、そういう資質や影響力を持っている」(撮影:髙塩 隆)

*『ラグビーマガジン』にかつて掲載された2019年日本代表選手のインタビューを抜粋して再録。

【祈りの戦士】
[連載・解体心書] ピーター・ラピース・ラブスカフニ(クボタスピアーズ)

 南アフリカからクボタに来て3年目のバックローが、サンウルブズで存在感を放った。起用は11節までの期間限定だったが、出場7試合にはすべてフル出場、攻めても守っても、献身的なプレーでファンの心を奪った。ワールドカップイヤーには代表資格も得る好青年は、いま、赤白フープのジャージーを切望している。(文:成見宏樹)
年齢、所属などはすべて当時のもの。

 家族を愛し、仲間を愛し、ラグビーを愛する。

 穏やかで真摯な人柄は、彼と同じような表情をした家族に囲まれて育ったからだろうか。クボタスピアーズの選手、スタッフ、みなが「ラピースはいいやつ」「ラピースは体を張る」と言うナイス・パースン。

 あなたの宝物を持ってきてください、という編集部のリクエストには、えび茶色の聖書を持参した。ページをめくると、あちこちに書き込みやマーカーの跡がある。

 一方、そのタフさでは、猛者が集うサンウルブズのメンバーも一目置く存在だった。2月、チームの結束を狙った別府合宿の自衛隊体験では、多くの選手が心理的に追い込まれた過酷な訓練の中、淡々とタスクをこなし、仲間に手を差し伸べた。激さない、しかし絶対にへこたれない。

 ピーター・ラピース・ラブスカフニは、ノンキャップの南ア代表選手として2016年にクボタに加入、主力として3シーズン目を迎えるフランカーだ。今年、初めてサンウルブズに招へいされると、序盤から背番号7をつけて活躍。スーパーラグビーの週間ベスト15に選出されるなど、傑出したパフォーマンスを見せた。今季、過去最多の3勝、初の連勝、初のアウェー勝利など、着実な成長を示したサンウルブズは当時、9にまで伸びる連敗にあえいでいた。10節、11節ではゲーム主将も務めた。

 12節のBYEウィークを挟んで、チームが今季初勝利を挙げたのは13節。契約の都合でラピースはすでにチームを離れていたが、まさに、生みの苦しみを支えた選手の一人だ。

 来年夏には、居住3年の日本代表資格も得る。開催国の代表に挑む気持ちは密かに高ぶっている。目の前で突然、扉が開けるような今の感覚は、これが初めてではないという。

 まさか、もう一度スーパーラグビーの舞台に身を置くとは思っていなかった。 

 すでに49試合のスーパーラグビー経験があったが、サンウルブズのオファーがあったのは、日本に来て2年目を終えたタイミング。起用7試合を、すべてフル出場でまっとうした。

「チーターズ、ブルズでは、基本同じメンバーでスーパーラグビー、カリーカップを戦います。これまではそこで慣れ親しんだメンバー、同じコーチのもとでプレーしてきた中、サンウルブズでの経験はとても新鮮でした。いろいろな国やチームから選手が集まっていて、私も新しく違ったスキルを学んだ。多くの友人も得ました。

 ゲームキャプテンについては、自分が何かをしたということはありません。チームは2人の主将がしっかりまとめていたし、システムも選手に浸透していた。私は周囲の選手から大きなサポートを受けながら、やってきたことを続けただけです。振り返れば、別府の合宿から大枠は何も変わっていません。リーダーシップグループも確立していて、自分たちが何をするべきかを知っていた。そしてチームみんなが、負けても、負けてもハードワークをやめなかった」

 サンウルブズは、ラピースがこの国をより深く知るチャンスにもなった。選手のバックグラウンドはさまざま。それでもチームには日本を感じていた。

「サンウルブズが他のどのチームとも違うのは、メンバーがずっと一緒に過ごすことです。期間の長さではなく、濃密さ。自然に選手同士も互いを理解するようになる。それが独特の団結を生んでいると感じます。サンウルブズが劇的な試合をすることと、チームの文化には関係がある。このスコッドははじめから強かったと思っていますが、結果だけが出ずにいた。ただ、着実に築き上げる文化があった。毎週、毎週、改善する。努力をやめない。このチームの将来に、私は楽観的です。間違いなく、もっと高いレベルにいけると思う」

 ラピースがラグビーを始めたのは7歳の時。ラブスカフニ家の長男として生まれ、プレトリアのロフタス・ヴァースフェルド・スタジアムには少なくとも3歳から通っていた。ブルーブルズ、ブルズの応援には一家総出。

 2人の弟のうち一人はラピースと同じく熱心にプレーし、もう一人の弟は、自らボールを持つことはなかったが、ブルズのシーズンチケットや応援グッズを買い込む熱狂的なラグビーファンに育ったそうだ。

「南アフリカの家庭では珍しくないことです。父が、スタジアムに飾ってあった優勝カップと一緒に撮ってくれた私は、まだカップよりも小さかった」

 入学とともに小学校のラグビークラブに入った。

 練習だけでは飽きたらず、休み時間であろうと下校中であろうと、誰かがボールを取り出すとタッチフットが始まり、やがてボールを奪い合うラグビーにもつれ込み、近くにいる子はみな引き寄せられるようにプレーに加わっていた。

「母によく叱られました。制服のままでラグビーをするので、シャツのボタンがちぎれてなくなってしまう。もみくちゃになって遊んで、帰りに気が付いたらボタンが3つ飛んでいたり」

 キャリアとしてのラグビーを自覚したのは高校卒業時。ブルズとジュニア(U21)の契約をした。ただし、勝負はそれから3年のうちにシニア契約に漕ぎ着けるか、どうか。より厳しい競争が待っていた。

「結局、シニアの契約は逃してしまいました。フリーステート大学には元々通っていたのですが、これからは、ラグビーのプロは諦めて、勉強をより頑張ろうと切り換えました。大学代表のチームに選ばれていて、一つ上の学年には、のちにサンウルブズで共同キャプテンを務めるヴィリー・ブリッツがいました。

 ラグビーのキャリアは、ままならないものですね。選手に実力がある場合でも、それを見てくれている人や、巡り合わせが、進路を左右することもある。私の場合は、思わぬ時に、ぱっと扉が開いたんです」

 大学でプレーしていたラピースの姿が、たまたまチーターズ関係者の目に留まった。トライアルのあと、格式のあるカリーカップに向けた練習に参加しないかと声がかかった。その後も活躍が認められ、スーパーラグビーのプレーヤーとなった。チーターズ、やがてブルズと、50近い試合経験を積んだ。

「自分は常に懸命にプレーしてきて、ある時期までは、『ラグビーがすべて』の生活を送っていました。シニアの契約が取れなかったとき、落ち込みました。ただそこで、ラグビーが私のすべてではない、人生には他の道もあるんだと理解した。その時に、神と私の関係は始まったんだと思います。私なりの努力を続けていたら、突然、扉が開いた」

 キャリアの先には日本があった。所属のクボタは2016年は12位、2017年は11位。ここでも毎週ベストを尽くしていたが、脚光を浴びたのはやはりサンウルブズでの活躍、3年目に入ってからだった。

 ぶれずに積み上げる。戦い続ける。

 サンウルブズのものとして語られた美点は、ラピース自身の姿勢に重なる。そして、月日を重ねるうちに、その場所に親しみと敬意が湧くのを感じている。

「日本に来ることを決めたのは、妻と一緒に、新しい環境で質の高い生活を送ろうというイメージでした。1年プレーして、この土地と人々を理解できるようになって、好きになりました。

 一番の素晴らしさは勤勉さをすべての人が持っていること。もしかすると、皆さんにとっては取るに足らないことかもしれませんが、どこかが壊れたり、不具合を起こしたとき、翌日になると必ず手当てされている。誰がやってくれたのか分からないが直っている。皆さんの環境がそうさせるのでしょうか、気さくで、僕らのような異邦の人にも愛をもって接している。

 人に対する配慮、気遣いが、バスでも電車でも、どこへ行っても感じられる。これは素晴らしい、とても得がたいことだと思います。

 するべきこと、超えるべき壁がまだまだありますが、チャンスをもらえるならば、ブレイブ・ブロッサムズのジャージーを着て、この国と人々の代表として戦いたい。そう思うようになりました」

 開かれた扉を順に進んでいくと、ワールドカップ開催国の代表ジャージーが視野に入ってきた。

「サッカーのワールドカップで日本が世界を驚かせたのは、ベルギーとの試合だけではありません。整然とした選手たちのロッカールームや、試合後にスタンドのごみを拾うサポーターの姿も。日本は、競技のパフォーマンスだけではなく、そういう資質や影響力を持っている。

 日本は敗れてなお、大きな足跡を残しました。あんな出来事を来年、ラグビーでも起こすことができたら素晴らしい」


FILE
●名前/Peter  “Lappies” Labuschagne
●出生地/ブルームフォンテイン
●生年月日/1989年1月11日生まれ、29歳
●身長・体重/189㌢、105㌔
●学歴/Schweise-Reneke PrimarySchool、Grey College Bloemfontein、University of the Free State
●クラブ歴/同上­-チータース-ブルズ-クボタ
●代表歴/南アフリカ(キャップなし)
●家族構成/妻・レネさん、長男・ルア(5か月)


RUGBY
●ラグビーを始めた学年/小学校1年
●ラグビーを始めた頃の憧れの選手/ルーベン・クルーガー(南ア代表FL)
●尊敬する選手/リッチー・マコウ
●プレーしたいチーム/ブレイブ・ブラッサムズで日本代表としてプレーしたい!
●好きなラグビー場/ロフタス・ヴァースフェルド(地元)
●好きな海外チーム/南ア代表
●ラグビーのゴールは?/自らの人生に変化をもたらし、インパクトを与えること


自分のこと
●好きな食べ物/ステーキとフライドポテト
●好きな日本食/そば
●好きな本/『The boys in the boat』(和訳本に『ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち』ほか)、『Wild at heart』(和訳本・同名)
●好きな映画/『The Guardian』(2006年アメリカ)『The Ultimate Gift』(2007年アメリカ)
●好きな俳優/ジェラルド・バトラー
●趣味/アウトドア活動なら何でも!
●ニックネーム/ラピース
尊敬するスポーツ選手/マニー・パッキャオ(フィリピンのプロボクサー)
試合前に必ずやること/特になし
●ラグビーをやっていなかったら/何かの形で、スポーツに関わっていただろう
●いちばん落ち着ける場所/カセドラル・ピーク・リゾート(南アのリゾート地)
●ディナーに3人招くことができるとしたら
ソロモン(旧約聖書に登場する古代イスラエルの王)「彼の知恵と理解に触れるため」
ウォーレン・バフェット(アメリカの投資家)「投資について話し合うため」
エリス少年「1823年のフットボールの試合でボールを持ったまま走った時、何を考えていたのかを聞きたい」
宝物/聖書。アンダーラインが引いてあるところもあり、教科書のよう。「自分と神様のつながりが宝。それは形がないものなので、聖書を持ってきました」。妻のレネさんとの写真も。