ラグビーリパブリック

幸せを生む言葉はどこにある? NTTコム諸葛彬の伝えたい生きざま。

2020.05.25

オンラインで自身の体験を伝える諸葛彬(写真提供:NTTコミュニケーションズシャイニングアークス)


 いまを大事に、最後まであきらめずに頑張れ。

 メッセージこそ簡潔だが、その背景に深みがある。

 ラグビーの韓国代表でプレー経験のある諸葛彬(チェガル・ビン)は現在、2014年から3季プレーしたNTTコムのスタッフを務める。アシスタントリクルーターとして母国の韓国ラグビー界とつながりながら、自身のキャリアをもとに講演活動をおこなう。

 タイトルは「幸せな障がい者」。話の軸は、2016年10月からのリハビリ生活だ。先発していた鳥取でのトップリーグの試合中に脳梗塞で倒れてからの日々を、当時の映像を交えて本人が振り返る。

 5月23日には、初めてオンライン上でスピーチした。東京のワセダクラブの少年ラグビーマンを画面の向こうに見る。

「試合中、頭が痛くなって倒れました。救急車に運ばれて行きました。これが最後の試合になるともわからず、試合が終わりました。手術して、起きた(目が覚めた)のは、5日後でした」

 リハビリには苦しんだ。足に少ししか力が入らず、最初は手すりに寄りかかりながら一歩、一歩を踏みしめるのがやっとだった。

 しかも当初は「半年くらいで治るだろう」と構えていたものの、やがてそうではないことに気づく。後になって、目を覚ます前に家族と担当医師がしていたシリアスな話を知った。

「左目が見えなくなり、しゃべるのも難しくなるかも。本人に伝えますか?」

「彬なら絶対に立ち上がれるし、起きられる。伝えないでください」

 選手としての復帰が難しいのがわかり、気持ちがふさぐこともあった。しかし、「私が辞めたら、母と弟が残念な気持ちになる」。結局、訓練を止めなかった。

「最初は棒(手すり)を持ちながら、歩く練習をしました。ひとりでは歩けなかったので、(介助役に)横でサポートをしてもらって、歩きました。だんだん、その人がいなくても歩けるようになりました。たまに、あきらめたくて、つらくて、なんで私にこんなことが起きたのか、と、もうやりたくない、と、思いましたけど、ずっとリハビリをしました」

 退院後も登山に出掛けたり、長い階段を上ったりと、あえて負荷のかかる道を選んで足を動かした。

「歩くだけで幸せになると思って、ずっと歩きました」

 するとどうだ。いつしか、千葉県内にあるチームのグラウンドでランニングまでできるようになったのだ。ここまでの経緯を振り返ったうえで、こう締めるのだった。

「ずっとあきらめなかった結果は、自分が考えるよりも異常な結果になりました。皆さん自分の夢があると思うけど、あきらめないで頑張ってください。いまを一番大事に思って、やっていってほしいです。前だけ見て、いまを後悔しないように1秒1秒、頑張っていってください。これが私の伝えたいことです。ありがとうございます」

 現役時代はアウトサイドCTBやWTBとして力強く駆けてきた紳士の足跡には、体験に基づく学びが多く詰まっている。

 ラグビーを始めたソウルのサデブ高では、実家の経済が苦境に陥っていたことに奮起して猛練習に励む。かくして地元きっての名選手となったが、「私を止められる奴はいるかなという、生意気なことを考えました」。すると「3年生の頃の大事な試合」で大きなミスを犯し、心にもやもやを残したままスランプに陥る。不調のきっかけが自らの「生意気」な発想だったから、周りに相談しづらかった。

 ここで打開策となったのが、「自分に手紙を書く」ことだったという。自分と向き合い、自分の思いを文字に残し、折に触れて読み返す。その作業を繰り返すことで、若者は不調を脱したのである。

「いまの状況、生意気なことを考えるとどんな結果になるか、自分がなぜそんな考えをしたのか、自分に怒りながら手紙を書きました。誰にも言えなかったけど、自分に手紙を書けば心が軽くなったので、毎日書きました。(スランプを)乗り越えた後にまた(以前と)同じ考えになった場合、その手紙を見ながら自分の考えを正そうと思って、書きました。毎日、やりました」

 やがて名門の延世大から韓国軍チーム・尚武を経て、NTTコム入り。自分と向き合う「手紙」の習慣には、いまでも助けられる。心が荒んだ時には、まだ歩きづらかったあの頃の「手紙」を見ては「いまはこんなによくなった」と己を奮い立たせるのだ。

 現在は講演活動に本腰を入れるべく、読書やYouTubeでの関連動画の視聴に時間を割く。自分の言葉で自分を救ってきた30歳は、「私の声を聞く人が幸せになるよう、人がどんな言葉で幸せになるのかを学んでいます」と前を向く。

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