内なる負けん気を創造性に変えた。
2019-2020シーズン限りで現役を退くリコーラグビー部の小松大祐は、国内最高峰トップリーグの戦士にあっては身長173センチ、体重86キロと小柄なWTBだった。
しかし、妙技で生き残ってきた。攻めては自身を取り囲む防御の群れに対して順に「1対1」を仕掛けたり、守備範囲の広い外国人選手がいたらその隣に立つ選手の周辺をめがけて走ったり。
他人には内緒で使ってきた技もある。捕まえにくる防御の胸元や脇に自分の腕を差し込む動作がそれ。相手のバインドをわずかに解いている間、加速力を活かして数センチは前に出られるようだ。
創意工夫の原点は、高校時代にあった。
宮城県に生まれ育った小松は、小、中学校まで野球少年も県立の佐沼高で楕円球と出会った。野球部に仮入部届を出しに行く道すがら、ラグビー部の先輩方に呼び止められたためだ。
部員数が各学年約5名ずつと少なかったため、1年時から「無理矢理、ラグビーを身体で覚え」られた。同じ宮城の仙台育英高など東北の実力校との実戦を通し、プレースタイルの礎を作れた。
「僕の高校時代は皆が小さく、大きいチームに勝たなきゃいけないことが多かった。考えないと、小さい選手は勝てない。タックルは低く、アタックでは(芯を)ずらして当たるとか。誰かに教わったんじゃなく、『こうしたら抜けるかな』と、高校時代からやっていたことを進化させてやっていました」
格上へ臆せず挑む性分は、やがて将来設計も変化させる。進学した立正大では卒業後の一般就職を目指して不動産会社からの内定ももらったのだが、3年から4年に上がる間際の2006年3月、23歳以下日本代表の候補合宿へ欠員補充のため参加することとなった。
埼玉の自軍のグラウンドでおこなわれたこのキャンプでは、参加者による三つ巴のセレクションマッチがあった。
突然の招集に驚いたという小松は、世代有数の有名選手に混ざって「いいプレーができて」。最終的に畠山健介、佐々木隆道、有賀剛ら後にワールドカップを経験する戦士が正規メンバーとなったが、小松は選手として高みを目指す思いを再燃させる。
就職活動を本格化させる前には、ラグビーでの進路決定をしないと表明していた。それでも意を決し、大学の堀越正巳監督に頭を下げた。
「やはり、ラグビーが続けたいです。できる場所はありませんか」
元日本代表SHでもある指揮官の伝手で、たまたま試合をよく見ていたというリコーの練習に参加。当時のマネジメントサイドに存在を認知された延長で、2007年、晴れてトップリーガーとなる。
1年目から先発出場を重ね、2年目こそ下部リーグでプレーもトップリーグに復帰後は長らくクラブの主力として持ち味を発揮する。社員からプロに転向したのは2010年のことだった。
主将就任3シーズン目だった2014年のシーズン開幕前には、当時の日本代表ヘッドコーチであるエディー・ジョーンズへ接触する。
ジョーンズが別件で世田谷区内の本拠地に訪れていたところ、当時在籍していた代表経験者の池田渉に背中を押されながら「代表になるには何が必要ですか」と直接、問うた。
「トライの獲れるWTBは見る」といった旨の回答を得て臨んだトップリーグでは、けがで離脱するまでの間トライ王争いを演じた。この時期は、もっとも無心でプレーできた。
年齢を重ねるにつれて若手へアドバイスをする機会も増えたが、それも向上心の表れだったのではと思う。
「若い選手が頑張ってくれると、自分も負けず嫌いな部分があるので頑張らなきゃいけないと思うんです。もしかしたら、(若手への助言は)自分に発破をかけるためにやっていたところもあったんじゃないかと感じます」
スパイクを脱ぐと決めたのは昨年11月頃。神鳥裕之ゼネラルマネージャー兼監督へ、2020年1月からのトップリーグを最後にすると伝えた。
ちょうどその頃、堀越から母校の女子選手のヘッドコーチ業を依頼されていた。さらに、クラブが共同主将の濱野大輔、松橋周平を中心に互いを律せる集団になっていたことにも背中を押された。
「もう(自分が)やることはないな」
ラストシーズン。2月2日の神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場での第4節(対NTTコム ●17-33)ではトップリーグ通算100試合出場を決める。
「(記録を)達成しなくても悔いなく(選手として)できた」という小松だが、約7000人の来場者に祝福されたことには感謝した。何より、自身が大台を超えたことで全国の名もなきファイターにエールを送ったことに価値を見出している。
「有名な選手に負けたくないという思いに加え、無名な選手にも頑張ってもらいたいという思いがあって。無名な選手でも頑張って続けていれば100試合出場を達成できると伝えたかった。自分のチームで試合に出ていない選手にも、少しでも何かを感じてもらえれば」
第二の人生は6月から始まる。いまから出会う全ての選手たちへ、無数にあるプレーの引き出しと同時に「出し切る」ことの大切さを授けたい。