ラグビーリパブリック

【コラム】変わる、変える。災後のラグビー

2020.05.22

スポーツは、社会情勢や災害などの影響を受けながら変遷し、その経験をばねに発展してきた。終戦直後のラグビーは、関西に人的、物的な資源が集まった時代(写真は2019年関西大学Aリーグの天理vs同志社戦/撮影:太田裕史)

 徐々にラグビーが再開される日が近づいてきたのだろう。新型コロナウイルスの広がりは一旦の落ち着きを見せている。学校の授業や部活動が解禁された地域もある。また感染の波が襲来するかもしれないが、楕円球の弾む音は徐々に響き始めるはず。一方で歴史を振り返れば、「災後」のラグビーはそれ以前と大きく変わることが分かる。配慮すべき「不平等」が生じることも見えてくる。

 日本でラグビーが今回より長く中断された時期が過去にある。太平洋戦争の激化で各種のスポーツが禁止される中、ラグビーも1943年度の半ばから公式戦がほとんど中止になった。練習さえも学徒出陣や訓練などで難しくなっていった。

 スポーツの暗黒時代を破る号砲はラグビー界から響いた。終戦から僅か1か月後の1945年9月23日。銀閣寺に近い京大のグラウンドで、三高(現京大)と関西ラグビー倶楽部が戦後初のスポーツの試合を行った。

 人々はよほど待ち焦がれていたのだろう。事前の告知がなかったのに、3000人強の観衆が詰めかけたという。若者が自由にボールを追い、駆け回る姿は、見る人の心を勇気づけた。関西ラグビー倶楽部の一員だった早大OBの言葉が残る。

「何年ぶりかで見る自由闊達な試合に感激、抑圧されていた人間感情が一気にこみ上げて『ワアッ』と驚くような大歓声となってこだまし、自由と平和が来たという喜びが雪解けの水のように奔流したようであった」。コロナの第1波を乗り越え、再びラグビーに触れる選手や観客も似た喜びを味わうのかもしれない。

 この翌週には、戦後初の学校対抗戦となる京大対三高戦も行われている。素早い「復活」は、他の地域や他のスポーツの人を勇気づけもしただろう。ただ、関東で初めてのラグビーの試合は11月にずれ込んだ。他競技でも野球や大相撲の本格的な再開はやはり11月まで待つ必要があった。京都のラグビーが先行して再開できた理由は何か。京大の部史が複数の要因を指摘している。

 大都市が米軍の大空襲を受ける中、原爆の投下候補地として「温存」されていた京都の被害は比較的、軽かった。スパイクなどの用具は焼けず、整備の担当者がグラウンドを良く手入れしていた。

 焼け野原になった東京などとは大違いだったし、同じ地域でも学校ごとの差が際立っていたようだ。旧制浦和高(現埼玉大)の部史を見ると、1945年はスパイクが全く手に入らず、「冬でも霜柱をハダシで踏んで走った」という。聞くだけでしもやけができそうな話。12月、戦後の初戦となる一高(現東大)戦に臨む。用具を備えた相手に対し、「泥濘の中でツルツル足がすべり、チャンスをものにすることもできず遂に完敗に終った」と記されている。当時の状況からするとやむを得ないが、公平な条件とは言いがたい試合だった。

 さらに京都が恵まれていたのが「食」だった。食べ物の確保が難しかったこの時代。慶大ラグビー部の、試合が近づいたある日の朝食は、ご飯1杯と味噌汁、千枚漬け3枚だったという記録がある。

 京都は食糧がまだ手に入りやすかったうえ、ラグビー部への支援も手厚かった。京大の場合は、応援してくれる地元の食堂がご飯を提供。大一番の前にはOBがすき焼きを振る舞った。友人の結婚式と練習が重なった部員に対し、「練習より披露宴で栄養を取った方が試合に役立つ」と主将が送り出したという逸話も残る。

 京大は翌1946年度、快進撃を見せる。早大、東大、慶大、明大と関東勢に全勝した要因に、当時の人は栄養面の充実を挙げている。「補給戦の優位性から体力に自信を持つと、同時に頭脳戦の面でも余裕のあるプレーに結びつく。(中略)心憎いまでのゆとりをもって、戦後復活した伝統ある対抗戦に臨んだのである」

 戦後の混乱は部員獲得の面でも格差を生んだ。従来は親元を離れて関東に進学したはずの学生が、食糧難で関西にとどまるケースが増えた。出征した学生の卒業を簡単に認めなかった国立大では復員兵が部に戻った一方、私立大は戦力の「流出」に悩まされた。

 戦後と今回のコロナ禍では状況が違う。ただ、災厄の後にスポーツを再開する時の不平等は今回も出るだろう。

 緊急事態宣言が早く解かれた地域と長引いた地域の選手では、練習量や試合前の準備に差が生じる。肉弾戦が多い競技だから、コンディションの違いはケガに直結する。県境をまたぐチーム同士の対戦には特に配慮が必要になるだろう。マスクや消毒液の確保、各種検査の受けやすさにも、学校ごとに差が出るかもしれない。

 ラグビーを続けること自体が難しくなることもあるだろう。家庭の経済状況が悪化したりアルバイトの口が減ったりして、部活どころではなくなるケース。希望の進学先を諦めざるを得なかったり、進路が見つからない学生も表れるかもしれない。「弱者」への支えはこれまで以上に必要になる。

「#ラグビーを止めるな2020」。

 高校生のプレー動画にこの文字を添えてツイッターに投稿し、選手の進路の開拓につなげようという取り組みが始まった。発案した日本ラグビー協会リソースコーチの野澤武史さんは「大学の(部員獲得を担当する)リクルートの人から『いい選手がいないか』と頻繁に聞かれるようになった。それなら高校の先生も学生の進路を探すのに困っているだろうと思った」と説明する。

 スタートから約1週間。当初想定していた高校生だけでなく、大学生や指導者らからの動画投稿も相次ぐ。情報が共有された回数は1万回を優に越えた。

 この取り組みは若者の心の糧にもなるのではないか。コロナの影響で、学生のスポーツ大会が次々に取りやめになっている。野球では春の甲子園大会に続き、夏の中止も決まった。高校生活最大の目標を失った選手からは悲痛な声が漏れる。その絶望を思うとき、慰める言葉はなかなか見つからない。

 ラグビーでも既に春の選抜大会などが中止になった。高校3年生は冬の「花園」の行方に気が気でないだろう。何のために練習するのか、見えなくなる時もあるはず。「『ラグビーを止めるな』が学生のモチベーション維持にもつながれば」と野澤さんは願いを込める。

 公園でのパスを投稿している高校生がいた。試合ができなくともグラウンドでの活動が認められれば、撮影できる映像のパターンはさらに増える。動画撮影は自分のベストを出す一種の試合のようなもの。そう思えれば、不透明な未来より自分を高めるための「今」に集中できる。

 同じ取り組みは今、バスケットボールやハンドボールなどにも広がっている。さらに他競技にも広げようという動きが水面下で進んでいる。75年前と同じように、スポーツの苦境を打ち破る動きがラグビー界から出てきたことになるのだろうか。

 先日、1つの「発見」が話題になった。ツイッターに流れていた1枚のヤスデの写真に、針の先ほどの白い点があった。目を留めたのがコペンハーゲンの生物学者。「新種の菌かもしれない」とひらめき、研究の末に仮説を証明した。新しい菌はツイッターにちなみ、トログロミセス・トゥイッテリと名付けられた。

 SNSの情報の海を漂う、砂粒より小さな点でも、見る人が見れば金の卵。ましてや今は、選手や指導者の思いのこもった動画がたくさん流れている。埋もれてはいけない、あるいはこういう時だからこその「新種」が次々と生まれてほしい。