*『ラグビーマガジン』にかつて掲載された2019年日本代表選手のインタビューを抜粋して再録。
【本気でやるなら。】
[連載・解体心書] 堀江翔太(帝京大学4年)
ウエイト・トレーニング室に入れば、どちらを向いても「大学日本一」の文字が躍る。昨年は対抗戦3位。この春の練習試合では明治を57-19、関東学大を47-45で破るなど、好調を保つ帝京大。FW第3列から、その一群のダイナミクスを巻き起こすのがスキッパー・堀江翔太だ。幼い頃から、心は『本気』を求めてきた。勝負の年に証明するものは、ラグビーを選んだ日から変わらぬ思い。(文:大友信彦)
*年齢、所属などはすべて当時のもの。
今度は本当に台風の目になれるのか。今季の帝京大の話である。
春のオープン戦は、まず売り出し中の横山ツインズ擁する拓大を69-17で一蹴。6月17日には早大と対決。14-31で敗れたものの、前半20分までは14対14の同点、今季の帝京大は、もはや要注意チームの域を超えているのだ。
そんな赤い軍団を主将として引っ張るのが堀江翔太である。2004年のU19世界選手権では早大の五郎丸歩や畠山健介、慶大の山田章仁、関東学大の朝見力弥らとともに、史上最高の7位に食い込んだチームにあって、パワフルなNO8としてフル出場。大学ではFLに転向してディフェンスにも開眼。万能ぶりにはますます磨きがかかった。そして今季は、高校時代以来のNO8に復帰した。
「やっぱりFLとはちょっと違う。でも、FLで会得したブレイクダウンの絡み、地味なプレーはNO8でも活かせると思う。アタックでは、『困ったらオレに放ってくれ、何とかするから』くらいの気持ちでいます。マークされるのは分かってるけど、それでも前へ出られるようにしたい」
万能FWにして仲間の信頼厚いスキッパーが、帝京大を悲願の大学日本一へ導こうとしている。
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堀江が生まれたのは大阪府堺市。体重4000グラムの大きな赤ちゃんだった。
「子供の頃は太ってました。親がお菓子を買ってくれなくて、ごはんをいっぱい食べてましたね」
幼稚園のとき吹田市へ引っ越し、高校3年で堺市に戻った。
最初に出会ったスポーツはサッカー。通っていた『ひじり幼稚園』には、昼休みも練習するほど熱心なサッカーチームがあった。
「憧れは断然カズです。友達といつも『ヴェルディに入ろうな』と言いあってました」
幼稚園ではFW。小学校に上がってから通ったYMCAサッカークラブではゴールキーパーに転向した。流れが変わったのは、小4で学校のサッカークラブに入ってから。
「痛がってオーバーリアクションしたり、カッコつけたがる先輩がいて、何か合わなかったんです。僕は真剣にサッカーをやりたかったけど、そういう雰囲気じゃなかった」
かくしてサッカークラブを1年で去った少年は、5年生のときは何の運動もせず。「ブクブク太りだして、親が『何かスポーツせんとヤバイぞ』と言い出して」。東芝SO廣瀬俊朗らを輩出した吹田ラグビースクールに5年生の途中から通い始める。
「ラグビーはぶつかり合いがあるから、気を抜いてできないじゃないですか。サッカーみたいに痛がったりできないのがかえって合ってた」
その頃、並行して始めたのがバスケットボール。6年生のとき、友達に誘われたのがきっかけで、南千里中学でもバスケット部に入ったのだが、一途な堀江少年はクラブ選択にも悩んだ。
「中学にラグビー部があれば良かったんだけど、吹田はないんですよ。小学校のバスケ仲間には誘われたけど、RSも続けていたから、中途半端になったら嫌だなあと。友達には『高校に行ったらラグビーをやる。そのためにバスケをやるんだ』と言ってました」
憧れは啓光学園。吹田RSの同学年で断トツに上手く、仲も良かった上野裕己(法大3年)が中学から啓光に進み、ときどきスクールに遊びに来ては常勝軍団のエキスを嗅がせてくれた。だが両親への負担も考えた堀江少年は私立を諦め、「公立でやるなら島本だ」と決断。日本代表の廣瀬佳司(トヨタ自動車)、前田達也(元NTT関西)を輩出し、花園出場4回を数える『府立の星』に身を投じた。
「吹田RSはエンジョイ系でしたから、スクールでやってたと言ってもモールも知らないし、オーバーとかラグビー用語も知らなかったんです。でも、身体が大きかったからちょっと有名だったみたい。一緒に入った1年生に『吹田スクールのヤツやなあ、一緒に頑張ろうなあ』と声を掛けられました。その3人とはずっと仲が良くて、僕はその頃タックルができなかったけど、その1人のタックルを見て覚えたんですよ」
本人曰く「素人」の堀江だったが、高1の夏からリザーブ入り、秋の花園予選ではLOでレギュラーに食い込む。1年では準決勝で大阪桐蔭に負け。2年もLOで、やはり準決勝で啓光に負け。だがNO8に移った最終学年は、私立の雄・大阪工大高を準決勝で破る金星を挙げた。初めて進んだ決勝では東海大仰星に敗れ、花園の夢は潰えたが、予選の活躍で堀江には違う将来が開けた。12月に行われるU19アジア大会の代表候補に、急遽招集されたのだ。
この学年は、前年夏にU17代表候補合宿を行い、3年の8月には高校日本代表で豪州へ遠征、ツアー4戦全勝の快挙を達成した逸材揃いの代なのだが、堀江は3年の秋まで一度も合宿に呼ばれたことのない無印。それが、花園予選のパフォーマンスで抜擢されると、12月のアジア大会、翌年4月の世界大会ともNO8で全試合フル出場。最終戦でスコットランドを破り、史上最高の7位になった世界大会でも「一番通用していたのはホリエ」という声が選手間からも聞かれたほどだ。
「高3のときはLOからNO8に下がったこともあって、いろんなスキルを覚えようとしました。サッカーをやってたこともあってドロップキックとタッチキックは蹴らせてもらったし、パスやステップもできるようになりたかったんです」
目標としていた選手は「特にはいません。身近な人が素晴らしい技術を持っていたら、それを真似たいと思う方です」という。手本はチームメイトや対戦相手が見せた個々のプレー。高校時代は島本の2年先輩だったCTB須田浩平(帝京大→JR西日本)のステップをまね、大阪大会で見た1学年上の啓光学園SO曽我部佳憲のロングパスもマネてみた。U19代表のときは、高2で選ばれたCTB森田尚希(啓光学園→同大)のパスダミーもじっくり観察した。だが別格の存在だったのが「仙波(優)さんです。トヨタの試合をテレビで見て、強いし速いしステップはキレキレ。メチャメチャ凄かった」。
身近な人の具体的な技術を目標に置く主義の堀江だったが、’90年代の日本ラグビーを駆け抜けた怪物ランナーは、電波を通じてもハートを掴むオーラを発していたのだ。
「いやあ、仙波さんのプレーをマネたいと思いましたね…」
その気持ちは、徐々に現実化していった。南アフリカを舞台に開かれたU19世界選手権でも、深紅のジャージを着て臨む秩父宮の対抗戦でも、どれだけタックルされても前へ突き進もうとする堀江のプレースタイルは、なるほど仙波と重なる気がする。
ところが、帝京大への進学はブレイクの1年近く前、高2の終わりには決まっていたという。帝京が初めて大学4強に進み、臨んだサントリーとの日本選手権1回戦。花園での試合前日、自チームの練習を終え、第3グラウンドで行われていた高校生の試合を眺めていた岩出雅之監督が惚れ込み、その場で「ウチに来いよ」と即決してしまったのだ。U19入りの後で逸材を知った某伝統校が獲得に動いても後の祭りだった。
「大学ラグビーは見てなかったし、どこが強いかもよく知らなかった。関西に残るか関東に出るかでも迷ったんです。でも、本気でやるなら関東だと思った」
伸び伸びとラグビーに取り組んだ高校時代とは対照的に、大学では緻密に組織化されたラグビーを知り、FLの仕事も叩き込まれた。1年時の辻井主将には「1回ビックタックルしても4回ゲインラインを切られたらダメ。5回ともゲインラインで止めて、ボールに絡んで相手の球出しを遅らせるタックルの方が価値があるんだ」と諭された。
「ボールを持つのは前から好きだったけど、今はラストパスを出したり、ジャッカルして味方にトライをさせたりするのも同じくらい好きです」。8番を着る今季は豪快な突進が増えそうだが、同時に渋い仕事をこなし、周りを活かすのが堀江の目指す理想のイメージなのだ。
——ところで進路は?
「まだ決めてません。悩んでます」
——日本代表への意欲は?
「それは、そのときの監督の考えがあるから…選ばれればもちろん嬉しいですが。ただ、自分が上を目指すにはHOもやってみたい。自分の知識も増えるし、ラグビーがまた楽しくなりそうだなあ……と」
常に新しいものに挑む。それも、必ず本気でやる。旺盛なチャレンジ精神は、21歳をこれからどんな高みへ連れて行くのだろう?
File
●名前/堀江翔太(ほりえ・しょうた)
●生年月日/1986年1月21日、大阪府堺市出身
●身長・体重/180㌢・97㌔
●学歴/千里新田小(島本ラグビースクール・中学も)→南千里中→島本高→帝京大経済学部4年
●代表歴/’03U19アジア選手権、’03ジュニア世界選手権、’04U19世界選手権
●家族構成/父・慎一さん、母・則子さん、兄・大地さん
Rugby
●ラグビーを始めた年/小学5年
●ラグビーを始めた頃の憧れの選手/大八木淳史さん
●ポジションの変遷/LO→FL・NO8
●一番印象に残っているゲーム/2005年度・慶應戦(関東対抗戦)
●尊敬する選手/辻井将孝(帝京大→神戸製鋼。堀江が1年時の4年)
●目標とする選手/いない
●目指すプレースタイル/キレキレ!
●負けなくないライバルがいれば/すべてのラグビー選手
●どこに勝つのが一番うれしい?/すべてのチーム
●影響を受けた人物/仙波優(故人・日本代表/松山商→関東学大→トヨタ自動車)
●気に入った遠征地/NZ
●好きなラグビー場/秩父宮
●好きな海外チーム/クルセーダーズ(NZ)
●ラグビーのゴール?/ゴールは、なし
自分のこと
●好きな食べ物/魚肉ソーセージ、フィジーク(サプリメント)、母のお好み焼き
●苦手な食べ物/なし
●好きな映画/ターミネーターⅡ、タイタンズを忘れない
●好きな俳優/モーガン・フリーマン
●好きな音楽/JAZZ、ROCK
●携帯・メールの着メロ/Reel Big Fish
●趣味/ケン玉、ギター
●ニックネーム/ホリエ、ショウタ
●これがなければ生きていけない!/白メシ
●故郷のお国自慢/みんな優しくて、面白い
●いちばん落ち着ける場所/家族
●無人島に3つだけ持っていけるとしたら/釣竿、米、マッチ。「生き延びるために必要なものって言ったら、これですかねえ…」。小学校入学前からボーイスカウト活動(ビーバースカウト)に参加、現在も所属している。「リーダーシップについても習いました。上に立つ者は、自分は動くな、指示を出せ——とか。感覚的には、まず自分が動きますよね」