レジェンドが、ラグビー選手としての人生にピリオドを打った。
大野均、42歳。
2020年5月18日、19年在籍した東芝ブレイブルーパスが現役引退を発表した。
ブレイブルーパス公式サイトの選手紹介ページで、座右の銘・好きな言葉という項目にはこう書かれていた。
「灰になってもまだ燃える」
大野均の熱い闘争心は、チームメイトを鼓舞しただけでなく、観る者を魅了した。
1978年5月6日、福島県郡山市生まれ。清陵情報高校では野球部に所属していた。3年間、レフトの補欠だったという。日本大学工学部に進学し、そこでも野球をするつもりだったが、ラグビー部の先輩から熱烈な勧誘を受けて18歳からラグビーを始める。東北リーグでひたむきに楕円球を追った青年は、日本代表歴代最多の98キャップを誇るラグビー界のレジェンドになった。
身長192センチ、体重105キロのロック。とにかく激しいプレーでチームを引っ張った。常に100%。密集戦での痛いプレーもためらわず、果敢なタックルを繰り返し、体を張り続けた。FWのパワーハウスとなり、スクラム、ランアウトでも奮闘。足を止めず、走り続け、倒れたらすぐ立ち上がる。その運動量ゆえ、1試合で体重が7キロ落ちることもあったが、ラグビー界屈指の酒豪は試合後、ビールをまるでガソリンかのように豪快に飲み、エナジー満タンとなって、またフィールドで圧倒的な仕事量を見せた。
日本代表デビューは2004年5月16日、秩父宮ラグビー場での韓国戦だった。それから13年間、桜のジャージーを着て勇ましくプレーし、2016年6月25日に東京・味の素スタジアムでおこなわれたスコットランド戦が日本代表としての最後のプレーとなった。
テストマッチ98試合出場で60勝に貢献。ワールドカップは3大会(2007、2011、2015)に出場し、世界を驚かせる歴史的勝利となった2015年9月19日の南アフリカ戦でも背番号5をつけ大男たちを相手に体をぶつけた。
日本代表として100キャップの大台には届かなかったが、かつてこんなことを言っていた。
「100という数字に関しては特別に意識することはないです。ただ、最多キャップホルダーとしての自覚はしっかり持って、恥ずかしくないプレーをしたい」
ニックネームは「キンちゃん」。鬼の指揮官として知られる元日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズもそう呼んだ。キンちゃんは謙虚で、ハードワーカー、たくましくて、優しくて、笑顔がステキで、誰からも尊敬され、愛された。
東芝ブレイブルーパスには19年在籍。
日本選手権の栄冠に輝くこと3回、トップリーグでは5回の優勝に貢献した。リーグ戦出場は通算170試合に達し、ベストフィフティーンには9回(2004、2006、2007、2008、2009、2010、2011、2012、2013年度)も選出されている。2009-2010シーズンにはリーグ戦MVPも受賞した。
そして、サンウルブズでも奮闘。2016年と2017年にスコッド入りし、南半球の猛者たちと戦うスーパーラグビーに挑み、計14試合に出場している。
なお、引退会見は5月22日におこなわれる予定。
東芝ブレイブルーパスは大野のほか、10年在籍した元U20日本代表のLO松田圭祐(32歳)、副将を務めたこともあった元日本A代表のSH大島脩平(31歳)、大島と同じく9年在籍した元ジュニア・ジャパンのCTB増田慶介(32歳)、南アフリカ出身のFBコンラッド・バンワイク(32歳)、ニュージーランド出身LOリンドン・ダンシェア(28歳)の退団も発表。
トッド・ブラックアダー ヘッドコーチは、「今シーズンでチームを離れる選手たちには、これまでのチームへの貢献に感謝するとともに、今後の挑戦に対しての幸運を願っています。また、選手のご家族の協力や貢献に対しても心から感謝いたします。これからも東芝ブレイブルーパスの一員です。この経験を糧に誇りをもって歩んでいってほしいと思います。長い間、本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございます」とメッセージを送った。