渡部洪(わたべ・ひろし)さんは2014年の春まで(当時71歳)、都立国立高校ラグビー部の監督を30年以上に渡って務めた人だ。
ラグビーマガジンでは2013年5月号の『巻末インタビュー』に登場していただいた。
自身は、国立高校時代は柔道部(ときどきラグビー部でプレー)。大学時代は演劇研究会に所属した。29歳のときにライブハウス「曼荼羅」の経営を始め、33歳でラグビークラブを作る(曼荼羅クラブ創設)。40歳で国立高校ラグビー部の監督に就任した。
吉祥寺を中心にライブハウスなどをいくつも経営。曼荼羅クラブの監督も務める。
教員ではなく、ライブハウスなどの経営を本業に、31年間ほぼ毎日、夕方になるとグラウンドに足を運んだ。週末は同校ラグビー部と曼荼羅クラブの活動に足を運んだ。
教育者とは一線を画す実力者。教え子たちは、頭をモールのどこに突っ込めとか、ラグビーの指導についてはほとんど覚えていない。
決して行儀の良くない大人が発する、人間臭い言葉が胸に残っている。いつも、社会で生きていくための術でなく、リーダーとして生き抜くための気迫を説いた。
ライブハウスとラグビーのグラウンド。どちらにも、不器用で、熱く、力をもてあましている人間が渦巻いている。
「社長」と呼ばれ、愛された渡部監督はいつも、若者にエネルギーと可能性を発散させる場所を与えたいと思っていた。
【渡部洪監督の金言】
毎春、入部する少年たちに言う。「おめでとう。キミたちは最高の選択をした」
毎春、卒業生たちに語りかける。「おめでとう。これからも仲間だ」
「やめたい」と申し出る部員には、こう伝える。
「わかった。俺はなにひとつ損はしないけど、お前は損をするぞ」
東大に行きたいから、ラグビー部での活動は続けられないと言う部員も。
「そう言って辞めて受かったヤツなんていねえぞ、と忠告してあげる。辞めたら、その後の人生の中に、きっと挫折として残る。そういうものを背負って生きるのはかわいそうじゃない」
大人へと変わろうとする若者たちが目の前にいる。
「ラグビーを通して、その手助けをしてあげたい。きわめて個人的な付き合いをしていると思っている」
「試合を終えれば、(部員たちは)応援の保護者のところに挨拶にいく。こんなこと言うと、また嫌われちゃうんだけど、俺は行かなくていいと思っている。だって、負けた姿を見られるなんて嫌じゃない。それじゃあ、家に帰っても落ち着かないよ」
「毎年の主将を決めるとき、誰だっていいと思っている。だって、みんな魅力的な人間なんだよ。誰だって、いいリーダーになる。ラグビーを3年間やり終えた顔を見たら、ほんと惚れ惚れするような男になっている。(だから私は)30年、一度もグラウンドに行くのが嫌だと思ったことはない。みんなの、昨日の続きが見たい」