ラグビーは、すごい。
幼稚園の年長から楕円球を追う濱野隼大がそう感じたのは2015年。中学2年の夏休みだ。
ニュージーランドはロトルアボーイズハイスクールに短期留学も、最初はなかなか友だちもできなかった。しかしほどなくして、ラグビーの力で状況を変えた。
校内で実施された14歳以下対象のゲームに「残り15分くらい」のタイミングで出場。自陣10メートル線付近でパスを受けるや、大外へ回り込んでそのままトライラインまで一気に駆け抜けた。
50メートル走のタイムは「6秒ちょっと」と自信があった足で、応援に駆け付けた一般生徒にも鮮烈な印象を与えたのである。すると……。
「次の月曜日になったら、学校へ行ったら名前を呼ばれて、皆と友だちになって。ラグビーって、すごいなと思いました――」
それどころか、ロトルアボーイズハイスクールのコーチ陣に留学期間の延長を要請され、8月末の全国大会に出場。翌年2月からの約4年間、ロトルアボーイズハイスクールで腰を据えることとなった。
2019年に帰国したのは、2020年から神戸製鋼に加わるため。19歳の誕生日を迎えるよりも前に、日本のトップクラブでプロ契約を交わしたのだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が日本の経済活動に大打撃を与える前の段階で、こう話していた。
「去年の4月くらいにロトルアの監督が神戸製鋼のデイブ(・ディロン ヘッドコーチ)と友だちで、見てもらって声がかかった。それで12月から1か月くらい練習に参加させてもらって。ニュージーランドの大学に行くことも考えたんですけど、レベルの高い神戸製鋼でやっていきたいと思いました。ダン・カーター(元ニュージーランド代表SO)がいたのは、大きいですね。プレーを見てもらって、皆がラグビーをやりたいと思ってもらえるような凄い選手になりたいです」
兵庫県出身。通っていた三田ラグビースクールがオーストラリアのシドニーと交流を図っていた関係で、小5、6年で渡豪。「言われてラグビーをやっているというより、楽しんでラグビーをやっている感じ。それが楽しかった」と、海外への憧れを強めた。
ロトルアボーイズハイスクール時代は学校の寮に住んだ。青春をラグビーに賭けて他国からやって来た生徒は自分以外にもいて、その多くがフィジーやトンガなどの大型選手だった。
トップレベルの衝撃に耐えられるよう、体重は4年間で約20キロも増やした。何より、細かいスキルや加速力を磨いて他との差別化を図った。
その積み重ねを発揮したのは、帰国後の2020年3月である。
フィジー・スバでのパシフィック・チャレンジにジュニア・ジャパンの一員として参加すると、タックルで首尾よく相手に身体の芯を当てるためのコース取り、自らの仕掛けで引き付けたタックラーの背後へ通すパスなど、無形の力で試合を引き締めた。
現在の公式サイズで身長180センチ、体重93キロと決して小柄ではないが、身体能力だけには頼らない。
もともとオールブラックスことニュージーランド代表を志していたが、いま目指すのは日本代表だ。2019年のワールドカップ日本大会で初の8強入りを果たしたチームに、1日でも早く仲間入りしたい。
何より社会人として、これまで支えてくれた人に恩返しもしたい。例えば銀行員の母は、2年前に再婚するまで自分と兄(関西学院大3年でトレーナーの凌大)を祖父母とともに支えてきた。
次男は笑みを浮かべる。
「留学生の学費は高かったみたいで。裕福じゃないのに行かせてもらって、親には感謝しかないです。その時は『貯金を使うから、老後は面倒を見てください』と言われました」
肌で感じたラグビーの力を信じ、自らの人生を作ってゆく。