扉は自分で開くもの。
藤本健友(ふじもと・けんゆう)は、そう教えてくれる。
成蹊大学の4年時は関東大学対抗戦Bで戦った。そこから精鋭集うキヤノンイーグルスに加わり、7シーズンに渡ってプレーした。
「必死に、ガムシャラに走り抜けました。毎日やり切った」と言える時間を過ごした。
プレーヤーとしての生活を終える意志は、自分からチームに伝えた。30歳になる年に、仕事中心の生活に切り替えたい。そう考えてきた。
その思いを理解してもらった。
海外も含め、各地にある工場の生産性を上げる。管理側として、それをミッションとする仕事をしている。
世界にも出たい。そのタイミングを考えての決断だった。
生産性向上のための鍵は各工場で違う。この仕事に取り組むとき大切なことは、そう理解することだ。
「それぞれの拠点で、それぞれの改善の仕方がある。だから、各工場の人たちとコミュニケーションをとり、方向性を決めていくことが大事です。人とつながる。チームワークです」
ラグビーで当たり前にやってきたことが生きそうだ。
ラストイヤーに1試合でもいいから出たい。そのために万全のコンディションを整え、備えた。
シーズンの途中打ち切りもあってその願いこそ叶わなかったけれど、幸せなことが詰まった日々を7年も過ごすことができた。感謝の気持ちでいっぱいだ。
将来ある若者たちに言いたい。
「学生時代でプレーを終えるのはもったいない。チャレンジできる人、チャレンジしたい人はトップリーグを目指してほしい。ラグビーのおもしろさを、あらためて知ることができるから」
充実した人生は、上へと続く道の扉を自らノックしたことから始まった。成蹊大学在籍時、サントリーサンゴリアスが独自におこなったトライアウトに参加した。
同チームへの入団は成らなかったものの、フィットネスの高さが各チームの採用担当者の間に広まった。
キヤノンとの縁が生まれ、入団に漕ぎ着けた。
当然、入団直後は周囲との力の差を感じた。強豪校出身者にワールドクラスの外国人選手とプレーし、競い合うのだ。
2シーズンはほとんど出番がなかった(1試合、11分だけ)。
ただその時期に、「試合に出るためには何を強みにするか」、「このチームで生き残るための役割はなんだ」と、じっくり考えたのがよかった。
自分なりに導き出した答が、「人がやりたくないことを率先してやる」だった。
例えばディフェンス時のブレイクダウン。そこに頭を突っ込み、毎回ターンオーバーを仕掛けた。
キックチェイスでは毎回100パーセントで走った。
「5回に1回、成果につながればいいようなプレーです。そこに全力を注ぐ人はあまりいない。自分が生きる道だ、と思いました。運動量を多く。泥臭いプレーを積極的に。練習試合でそれらをやり続けました」
CTBで入団も、そこは実績のある外国人選手たちも多くいて層が厚い。「試合に出られるならどこのポジションでもやります」とコーチに伝え、WTBでの出場機会を得た。
そのチャンスに、積み上げてきたものを出し、信頼を獲得していった。
年齢に関係なく誰からでも学び、吸収し続ける。その姿勢を貫いた。
トップチームの公式戦は、練習試合のレベルとはまったく違う。成長し続けないとやっていけない。そう思った。
そんなとき、日本代表キャップ81を持つ小野澤宏時が加入する。多くのことを教わった。
「イチからWTBのことを学びました。小野澤さんは、すべてのプレーが言語化されていました。感覚的にやっていたディフェンスのポジショニングも、意図を持ってやらないとダメ、と。そうすることで相手のアタックを限定できる。スッと入ったわけでなく、そういうものを試合で経験し、理解していきました」
2017-2018年シーズンの神戸製鋼戦のことをよく覚えている。
6戦全勝でその試合に臨んだ相手と、1勝だけの自分たち。しかし、フルタイムまで4分の時点で5点リードという展開になった(31-26)。藤本は先発で14番を背負い、最後までピッチに立った。
「全員が体を張り続けた試合でした。インジャリータイムに入り、30フェーズぐらい守り続けました。それに耐え抜いて勝った。その瞬間、チームがひとつになった気がしました。あらためてラグビーっていいな、と思いました」
成蹊中から成蹊高、大学、そしてイーグルスと、その感覚が好きでプレーを続けた。
国内最高レベルで、「ラクビーっていいな」と感じる興奮を知る者として、何度でも言いたい。
トップリーグはいいぞ。
チャレンジしようぜ。
トップチームでプレーしていない人だってやれる。
「自分もトップリーグに入って初めて、通用するところもあると気づきました。飛び込んでみないと分からない。そこには、最高におもしろいラグビーがあります。強豪チームでなくても、自分がいる場所でレベルアップして、気持ちがあればチャレンジすべきです」
そうしないともったいない。
これからは、週末に時間を見つけ、後輩たちのいる吉祥寺のグラウンドに向かおうと思っている。
そこでも繰り返し言うつもりだ。
藤本健友と同じように、扉を開く若者を見たい。