神奈川の公立校(生田高校)から早大進学を目指すも、入試突破ならず、一浪して成城大学へ。
努力家のビジネスマンみたいなプロフィールは、実は大型FWのものだ。
キヤノンイーグルスのLO、FLで8シーズンに渡り活躍してきた湯澤奨平が、この春、引退することになった。186センチ、105キロの体躯を誇る男は、トップリーグに入るまで知らなかったレベルでのプレーを楽しんだ。
記憶に残っているプレー、試合が3つある。
まず、ルーキーイヤーの練習試合、パナソニック戦でヒーナン ダニエルに片手で吹っ飛ばされたシーン。
「その前の実戦は、大学時代の最後の試合、学習院大戦でした。対戦相手がもの凄く違う。それで、衝撃の一撃。大学時代、そこそこやれていたので、調子にのっていたんですよ。(トップリーグでも)やれるんじゃないかな、と。でも、瞬間的に違うな、と思いました」
ただ、転がされたとき、笑っていた。楽しい世界に来たぞ。おもしろいぞ、と。
2年目、トップリーグでパナソニックに勝った試合(23-18)もよく覚えている。先発のFLで出場した。SOアイザイア・トエアバのプレーも凄かったが、チーム全体も気持ちがこもっていた。「勝った瞬間、あんなに喜んだことはない」と笑う。
3つ目も、チーム一丸となった勝利の試合だ。2015-2016シーズンのトヨタ自動車戦。町田で、いつものメンバーとは違う布陣ながら結束して勝った(26-10)。
「自分自身は最後の10分くらいしか出ていませんが、試合前からいい空気で、チームがひとつでした」
悩んだこともあった8年だけど、楽しいことはその何倍もあった。
成城大時代は、4年間、関東大学対抗戦Bで戦った。
同期の仲もよく、最終学年時はみんなで強くなるぞ、と誓い合ったのに膝の前十字靭帯を断裂し、最終戦の数分間しかプレーできなかった。
それでもトップリーグチームへ加わることができたのは、イーグルスの佐藤一弥GMが生田高校OBだったことがきっかけだ。同GMが湯澤の存在を耳にして、永友監督に連絡。同監督が(明大の先輩でもある)成城大を指導していた松尾雄治監督と話し、3年生の12月に進路が決まった(GM、2監督とも当時)。
「縁ですね。感謝の気持ちしかありません」
もともと前向きな性格。
「憧れていた関東学院大卒の山本貢さん(HO)や竹山浩史さん(FL/WTB)、NZ代表のトエアバとプレーできることが嬉しかった」と萎縮することはなかったが、ワールドクラスの外国人選手や強豪校出身者を相手と競い合うのだ。「エリートには負けたくない」と強い気持ちを胸に秘めていても、辛いことはあった。
それを乗り越える時、いつもパワーになったのが応援してくれる人たちの存在だ。
「生田高校のOBの方々は熱心です。成城でも、僕は大学だけなのに、高校の先生とか、成城ラガー倶楽部全体で応援してもらいました。自分だけのラグビー人生じゃない。それが力になりました」
人のために頑張ろうと思ったら、自然と前に出られた。
相手が全力で向かってきても、前に出る。「タックルで引くようになったら辞めようと思っていた」との信念があった。しかし、結局その時は訪れなかった。
まだまだ楽しみたい。まだやれる。でも、「(自分がいま)日本代表になっていたらもっとプレーを続けられたのだから、そうなれていない以上仕方ない」とチームの判断を受け入れる。
「(年齢も重ね)ここ何年かは、『もし次の日にプレーできなくなってもいい』という気持ちで毎日練習してきました。そういう意味では(引退も)悔いはないのですが、満足はしていません」
その情熱をこの先は、後輩たちに向けようと思っている。
時間を見つけ、成城大学に足を運ぼうと考えている。プレーを続けながらA級コーチの資格も取った。「トップリーグでやっていました、だけでは学生に申し訳ない。その方が、学生たちも納得するでしょう」と思うからだ。
「ラグビーからいろんなことを学ばせてもらいました。本気でやったから、いつまでも仲の良い友だちができた。本気でやったから、楽しいこと、辛いことがあった。いろんなことを学べた。だから、学生たちにも本気でやらせてあげたい」
あちらこちらにいる、ごく普通の学校でプレーする若者たちにも伝えたい。
「頑張っていれば、誰かが見ていてくれる。チャンスをくれる。環境を言い訳にせず、ラグビーが好きなら頑張れ。諦めるな」