就任1年目から試練を強いられた。
「準備していたものがあって、それを進めていて、まだまだしなきゃいけないことはたくさんあるんですけど…。しょうがないですよね。世界的な問題になって、死者、重症者も増えていて。これは、どこかで止めないといけない。スポーツどころじゃない」
話をしたのは伊藤鐘史。今季から、前年度までコーチをしていた母校の京産大で監督となっていた。
このほど、昨年まで47年間指揮を執っていた大西健前監督の軌跡を振り返る『ラグビー指導の哲学 ―大西健の「楽志」と京都産業大学ラグビー部の軌跡 1973-2019』を上梓したばかり。関西きっての名物指導者からバトンを引き継いだ元ラグビー日本代表LOはいま、新型コロナウイルス感染拡大の影響で活動規模の縮小を余儀なくされていた。
「ラグビー部独自で一回、自主練習期間を設けていたんです。新チームをスタートさせたのは2月25日からですが、(全体練習をしたのは)3月4日まで。翌日から19日までの2週間は自主練習期間にしたんです」
さらに状況が厳しくなったのは、活動再開後の3月30日。前日に一般学生の新型コロナウイルス感染がわかったことを受け、大学側が一切の課外活動を禁止としたのだ。部員たちは換気しながら使っていたトレーニングジムはおろか、グラウンドにも立ち入れなくなった。折しも、1年生部員が入寮したてだった。
新指揮官は、就任前から構築していた年間計画を大幅に書き換えることとなった。できることは、一人ひとりの学生に自主性を促すことだけだった。
「自主練習とはまさにこのこと。自分でいかに考えてトレーニングできるか。休止前最後のミーティングで選手に伝えたことは、『まず健康を守ることと、無症状でも他人にうつすリスクがあると念頭に置くこと。そのうえで、自分でできるトレーニングをクリエイティブに考えてみなさい』ということ。今回はいろいろな規制があるなか、より自主性、創造性が求められますよね。(練習メニューの提案は)現段階ではあえてしていません」
京産大、リコーで主将経験のある伊藤は、神戸製鋼に加入して4季目にあたる2012年の春に初の日本代表入りを果たす。31歳で国際舞台へデビューし、2015年にはワールドカップイングランド大会に出場。ラインアウトの安定化を下支えした。20代の頃はおもにFL、NO8で活躍したとあって、運動量と低い姿勢でのブレイクダウンワークにも定評があった。
引退後はコーチへ転身し、京産大でも昨季まで2シーズン、ラインアウトの指導を任された。そしてこのほど、恩師からバトンを受け継いでいた。
温故知新がテーマだった。前任の大西が「ひたむき」をモットーに掲げて無印の選手を猛練習で鍛え上げてきたのに対し、伊藤はその哲学を保ちながら練習の設計やプレースタイルに独自色を加える。
満足に練習のできた時期は学校が春休み期間中だったとあって、朝から夕方にかけ短時間のセッションを3度繰り返す「3部練」を実施した。
競技力の根幹をなすタックル、肉弾戦の技術は道場で鍛えた。リコー時代も2008年に着任していたトッド・ローデン ヘッドコーチのもと砂場でぶつかり合いをおこなっていて、日本代表でも総合格闘家の高坂剛氏によるレスリングセッションで粘り腰を磨いていた。経験を活かす。
何より、スタイルそのものをブラッシュアップする。スクラム、モールといったお家芸を維持しながら、フィールドプレー中の素早いリアクションと位置取りを促す。プレースピードを高める意識を「アクセル」と名付け、その具体的手法をトレーニングとミーティングで落とし込む。現実から目を背けない。
「ボールインプレーを増やすのはもちろん、相手が蹴り出した後のラインアウトの開始の速さ(を意識)。お互いが疲れているところでいかに速くアクセルできるかを突き詰めていきたいです。僕の理想と選手が実際に身に付けていける現実を照らし合わせながらやっていきます。理想だけで進めていくと身になっていないパターンもある。学生の場合、人によってそのスピードがゆっくりだったり突然、速まったりもする。そこをうまく見ながら…というのはコーチ時代に学んだ。そこは大事にしたいです」
ここにたどり着くまでには、辛酸もなめてきた。リコー時代にはクラブの下部リーグ降格を経験し、神戸製鋼に移る際は当時新天地で試合に出るのに必要だった移籍承諾書を受け取れなかった。
思うに任せぬ経験をしてきたからだろう。
大学側への心ない苦情が相次ぐいまは、人々に平穏であることを求めていた。
「若干、社会の京産大への目の向き方も厳しくなっています。起こってしまったことは変えられない。ただ、それを誠実に公表し、感染経路を明確にすることで感染拡大を最小限にとどめる努力をする。大学は正しい行動をとったと思います」
練習再開は始業する5月11日以降となるか。伊藤はチーム戦法などを整理した資料を学生に配布し、「遅れた分をどう取り戻すかというプランニング」に時間を割く。いつの日かグラウンドに立つ日を思い、こう宣言する。
「ウイルスを気にしない時期が来てくれて、選手が思い切りプレーできて、ファンの方が熱く応援できる日が来れば。それまでにできることをやっておきましょう」