これほど家にいるのは、いつ以来だろう。
玄関に真新しいローファーが置かれたままだ。この春、娘が高校の入学式で履くはずだった。その機会も新型コロナウイルスの影響でなくなった。
ラグビーを楽しむ週末が消えて2か月あまり。あるはずだったものがなくなると、こんなに寂しいものか。
無趣味な自分にあきれている。ラグビーに触れることはいちばんの喜びで、仕事。いま、週末が退屈で仕方ない。
先日の取材の途中、ある指導者に言われた。
「長いですよね」
はい。
その人が大学2年生の時、司令塔として所属チームを初の大学日本一に導いた年にラグマガの編集長になった。
新しいチームで監督に就いた元10番は42歳になっていた。
私だけのラグビー。
現在発売中のラグビーマガジンに掲載している藤島大さんのコラムに、そんな記述があった。
家にいる時間が長いから、自分の人生を振り返ってみる。
大学3年の夏、菅平での練習試合を思い出す。
なぜだか、忘れられない。
相手は学生クラブ、明大MRCだった。
私は2番。3番がエガワだった。
プロ野球選手の江川卓に似ていたのでそう呼ばれていた高橋は、「公認会計士になる勉強をしたいので、2年間だけラグビーをやります」と言って入部してきた1年下の後輩だった。
暑い午後だった。
スクラムを押されまくった。土の専大グラウンドで泥まみれになり、0-30で負けた。
1秒でいいから耐えろ。
試合中、エガワに何度もそう言った。それでもぐしゃぐしゃにされ、青い空を見る羽目になった。
それがエガワについての唯一の記憶。なぜ、その試合をいつまでも忘れられないのかも分からない。
ゲームキャプテンに指名してもらったのに、試合後なにも話す気になれなくて、すぐに水飲み場に向かった。情けないな。
エガワ、どうしているだろう。
公認会計士になったかな。去年のワールドカップを見て、興奮したかな。自分もラグビーをやっていたと誰かに話したかな。
なんか、涙が出てきた。
ラグビー、見たいな。
膝が痛くて、もう自分ではやる気がしないけど。
混乱期で取材活動もままならぬ状況だけど、4月25日発売号の編集作業を進めている。
レフリーとしてリオ五輪の舞台にも立った川崎桜子さんと話した。まだ26歳も、病気でラグビーから離れる。
試合中はあんなに笑顔で、キリッとするところはキリッとしていたのに、試合が終わり、ひとりになると、いつも泣いていたそうだ。
こちらもリオ五輪に出場した女子ラグビーのトップアスリート、中嶋亜弥さん(旧姓・竹内)、いま、青森・弘前に住む。
夢先生として子どもたちと将来の話しをするとき、「やりたいことは、ひとつじゃなくていいんだよ」と話すという。みんなが仕事や職業で自分の未来を話そうとする。「海外に行きたいな、でもいいんだよ。それなら、いろいろな選択肢が見つかるよね」と伝えてあげる。
この騒ぎが大きくなる前の2月、新宿の居酒屋で高校時代の同期と久しぶりに会った。野球部にいた私が、大学でラグビーを始めるきっかけをつくってくれた仲間だ。
いつも一緒に通学していた脇元(FL)はラグビー部だった。ある日、「お前はラグビーに向いている」と言ったから、その気になって楕円球を追い始めた。
同席した嶋戸(SO)に、「川内商工との試合で、ループからトライをとったのを覚えているよ」と話したら盛り上がった。息子が都立高のラグビー部でプレーしていると嬉しそうだった。
コロナよ、はやく消えてくれ。
満員のスタジアムでラグビーを見たいんだよ。ぎゅうぎゅうのスタンドで。
密な空間で、密な時間を過ごしたいんだよ。
最近思い出したいろんなことを話しの肴に、居酒屋で、仲間とくっついて、飲んで、喋って、騒ぎたいんだよ。