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【ラグリパWest】斎藤久53歳。ひとつに絞る。[三重パールズGM]

2020.04.15

四日市工の監督を辞め、三重パールズのGM一本に絞った斎藤久さん。バックの日本代表ジャージーはパールズの主将でもある齊藤聖奈さんが着ていたもの

 斎藤久53歳。
 ひとつに絞った。
 三重県の高校教員を辞め、女子ラグビーの世界にまい進する。 

 四日市工のラグビー部監督とパールズGMの兼務、いわゆる「二刀流」を自ら解いた。定年まで7年を残す早期退職を選ぶ。
「教員を31年やって、高校ラグビーと真正面から向き合ったつもりや。女子は開拓されていない、可能性を感じる領域なんや」
 4月1日からはGM一本になる。

 その2日後にはチームの主な活動場所である四日市市内で記者会見が行われた。斎藤は色をグレーに統一したスーツとネクタイで穏やかに報道陣に応対する。

 パールズの正式名称は「Mie Women’s Rugby Football Club PEARLS」。創設は2016年5月。保健・体育教員でもある斎藤が四日市工に移って1か月後だった。前任校は朝明(あさけ)である。

 朝明への着任は1992年(平成4)。新卒からの3年を度会(=わたらい、現南伊勢高度会校舎)で過ごした後である。
 赴任と同時にラグビー部を作る。監督として、寮や照明設備、天然芝グラウンドなどを整え、無名の県立校が花園の常連に成長する礎(いしずえ)を築いた。

 朝明は冬の全国大会に8年連続10回の出場を記録している。その内の6回は斎藤の監督時代になされた。
 豊富な経験を買われ、パールズの立ち上げ時にGMに招へいされる。

「最初の2年くらいは二刀流もうまくいっていたと思う。でも、それ以降はどちらの比重も自分の中では大きくなっていった。二刀流は中途半端やないか、と悩み始めた」

 パールズは2017年11月、初優勝する。
 太陽生命ウィメンズセブンズシリーズの富士御殿場大会だった。7人制のメインとなる4大大会のひとつを創設から1年半という早さで制した。

 一方、朝明との2強の形成と指導者育成を期待されて赴任した四日市工でも一定の成果を収める。昨年を含め、3年連続で冬の全国大会の県決勝に勝ち上がる。2017年からは、12−41、17−21、8−35のスコアが残る。

「作った朝明と赴任した四日市工が全国大会出場をかけて張り合うステージにいる。そこで、『朝明をつぶせ』と言わんといかん現状に、居心地がええと感じんようになってきた」

 両監督、朝明二代目の保地(やすじ)直人と四日市工の後継者となる渡邊翔はともに、斎藤の元でコーチを経験している。
「すべて身内。俺としてはもっとほがらかにいきたい。どちらが勝っても、心から『おめでとう』と言いたいんや」




 指導者育成に関しては、母校の大体大に卒業生2人を送った。PR山本大雅、SO前田翔太郎は新2年生。この春、主将だったNO8の小倉空は関東大学リーグ戦の覇者、東海大に進む。
「四日市工を全国大会に出させてやれなかった残念な気持ちは残るけどな」
 それでもこれからは三重県ラグビー協会の強化委員長として心のままに行動できる。

 パールズでは現場の最高責任者であると同時にチーム運営にも軸足を乗せる。
「新しいスポンサー探し、選手の獲得、コーチ陣の充実やな」

 GM専任後のターゲットを口にする。
「専用のものがあればいいな」
 日々の練習場所は四日市メリノール学院や市内の中央緑地公園。ウエイトトレはコスモ石油の施設などを借り、選手たちは個別に生活している。すべてが所有できれば、強化はさらに右肩上がりになる。

 今年5年目に入るチームは、東京五輪の代表候補に伊藤優希を送り出し、2019年の15人制日本代表には主将の齊藤聖奈や玉井希絵ら5人が選ばれた。
 昨年の太陽生命シリーズは総合成績で12チーム中3位に入っている。

 ただ、今は新型コロナウィルスの感染拡大の影響で思い切った行動がとれない。
 五輪は来年に延期され、太陽生命シリーズも5月の東京と静岡大会が中止になった。斎藤も選手勧誘などを自粛している。
「コロナがおさまってくれば、色々なことにチャレンジしたいと思っているよ」

 家族は5人。妻の真紀は大体大の同級生だった。四日市西でラグビーを始めた斎藤は、FBとして長いキックなどを武器に関西代表(当時は日本代表の下)に選ばれる。真紀は器械体操部の主将だった。

 卒業後、2人は三重の県教員になる。真紀は現在、杉の子特別支援学校に勤務。斎藤をラグビーに打ち込ませるため、体育系大学を出ているにも関わらず、勝ち負けが伴うクラブ活動の顧問につかなかった。

 そして、不在の多い斎藤の代わりに3人娘を育て上げる。長女と次女は両親の背中を見て、小学校と高校の教員になった。
 斎藤が故郷・三重に戻ってからのラグビーの歴史はすなわち、真紀の家事、育児、仕事における3連立の歴史でもある。

 斎藤がパールズのGMとしてのみ生きることを決めた時、真紀は言った。
「楽しみなはれ。1回きりの人生です」。
 その「内助の功」に報いたい。


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