ラグビーリパブリック

【コラム】安楽椅子コーチ

2020.04.09

「このチームのコーチになったなら、どんなラグビーをするだろう」(Photo/Getty Images)

■もし自分がフィジー代表のコーチだったら、このところ温めてきた「バックパス戦法」をぜひ突き詰めて、実験、実践、吟味、再構築のサイクルに突入したい。

 アームチェア、安楽椅子と訳すのか。ゆったり揺れるやつなら脳がちょうどよく刺激されそうだ。ラグビーがひとときなくなったのでラグビーを考えることにした。世界のどこにも存在しない戦法を創造するのだ。

 と、ここまで書いたところで簡単に思考は止まる。いったい君はどこのチームを指導するのかい。標的はどこなのか。そう楕円球の先達たちの声が聞こえてくるのだ。そうだ。戦法とはすべて「そのチームの戦法」なのだ。だから世に戦術書はあってもない。それらは本当は戦術解説書である。

 もし自分がフィジー代表のコーチだったら、このところ温めてきた「バックパス戦法」をぜひ突き詰めて、実験、実践、吟味、再構築のサイクルに突入したい。中盤、あるいは敵陣やや深く、セットプレーを起点にラックをこしらえ、攻撃がどうも詰まったら、いや、詰まったからではなくあえてでも、背番号9か10で自陣後方にキックをする。あらかじめ備えたランナーがふたり、もうひとり、そこから自由にランを始める。15人制の試合に「7人制」をつくる。できれば「5人制」や「3人制」とさせて大きなゲインを狙う。

 ではフィジー国内のとあるクラブのコーチならどうする。結論。わからない。目標のタイトルと突破すべき仮想敵が定まらなければ戦法は決まらない。もし標的の相手が幻惑的で本能的なランこそを身上とするなら、あえて南アフリカ代表のごとき方法を築いたほうがよいかもしれない。押して破壊してグラウンドの真ん中に封じ込める。「敵陣に居座るというスポーツ」に撤する。

 彼我の比較でこちらのほうがサイズもパワーもスピードも劣り幻惑性でもかなわないなら。当然、スプリングボクスの模倣なんてとても無理なら。まず体力を醸成、簡単に書けばスタミナの鬼と化す。身体能力とは別領域の意識を高め「転んで起きる速度はフィジーでいちばん」をめざす。厳しい反復鍛錬があらわにする個性を見きわめ、苦しさを乗り越える心の動きをうまくいかしてチームワークを強固にする。

 それから地域でいちばんのサッカー選手を口説いてチームに迎え、敵陣コーナー深くにひたすらワンバウンドで蹴り出す。近隣の学校でいちばんの数学の秀才に頼んで仮想の相手のラインアウトのパターンや動作を丸裸にして、首の筋肉と関節が柔らかく顔を空と平行まで反らすことのできる細身の人間をチーム内で募り「盗人(ラインアウトのスティール専門)」に育てる。トライは数学君が趣味で発案したサインプレーでパッと奪う。

 と、いうふうにしか頭は働かない。現実世界の指導者には目標、仮に大学日本一や花園出場やトップリーグ昇格といったゴールがあり、そのためにやっつけなくてはならぬ対戦相手の具体像がある。そこから「戦法」の策定は始まる。

「1-3-3-1」。「2-4-2」。たとえばスクラムを組み、組み終わり、8人がいかにスペースに散るか。グラウンドを縦方向に分割、そこに数字の人数を配置する。いわゆる「ポッド」と呼ばれる戦法である。「1-2-3-2」も「1-3-1-3」もありうる。それもまた相手防御との関係、こちらの戦力、個性のありさまで変化する。そこについては、おのおのの立場でコーチや選手のリーダーが考え抜けばよい。

 戦法の解読はファンの喜びのひとつだ。酒場の話題にすると話が弾む可能性もある。しかし監督を含むコーチに大切なのは世界の潮流のコピーではとてもありえず「自分のチームはどうするのか」を明確に言語化することである。勝負の前線では「戦法=決断」なのである。

 2019年のワールドカップ王者、南アフリカ代表は大外のスペースを先回りでふさぐような前に出るライン防御を原則採用した。日本のラグビーにもまた国内用語の「シャローディフェンス」の長大な歴史がある。

 日米開戦の4年前、1937年度の早稲田大学主将、CTBの川越藤一郎(元日本協会会長)が競技規則を熟読して「防御は一線で飛び出すべき」との結論を得る。当時は防御側も深くバックスのラインを敷いた。「攻撃側に球が出るとは限らない」を根拠とするのだが、存分に攻め合って守り合う英国流美学というか常識も背景にはあった。「繊細巧緻」とジャーナリズムの称えた名手の川越が後年(1998年)こう語るのを聞いた。

「攻撃は(前へパスできない)ルール上、どうしてもボールが頂点にある。しかし防御は横に広がることも集まって止めることもできる。ラグビーは防御が攻撃を上回る競技だと思っていました」
 
 この革新的ラインディフェンスの誕生以後、グラウンドにスペースと攻撃側の余裕は失われ、華麗な個人技は発揮しづらくなった。「あれがラグビーをつまらなくしましたね」。取材者にそんなふうに語った。以後、日本ラグビーの中核的防御法として浸透していく。
 
 南アフリカにも「前へ激しく飛び出すディフェンス」の流れはあった。筆者がコーチ時代に集めた1970年代の同国の名場面集の映像にも、まるで同時代のジャパンのような勢いでタックルを仕掛ける瞬間が見られる。「白人(そのころのスプリングボクスや地区代表はみんなそうだった)もこんなに飛び出すのか」と驚いた。現在のスプリングボクスの「前へ前へ」とも切り離されていない。
 
 大昔の日本の大学生は、好敵手(明治大学)が総じて体格や足の速さや身体能力に優れていたことで打倒のために前へ出ようとした。近年の南アフリカ代表は、巨漢怪力の自軍FWの側に相手のアタックを仕向けようと外から内へ追い込み前へ出る。時代も事情も異なるが「自分のチームはどうするのか」という思考の源流は重なる。

 元日本代表監督、エディー・ジョーンズが日本国内に伝えたオーストラリア発の攻撃体系「シェイプ」は、複数のランナー候補と選択肢をあらかじめ配置しながらゲインを切り、外へ外へと振り切ろうとした。2011、12年度、国内のサントリーはこれで勝ち切った。だから、まさにサンゴリアスにとっての「自分のチームの戦法」だった。

 しかし、仮に高校生や大学生や草の根クラブが導入すると技術習得の時間との戦いに敗れるだろう。2000年代初頭、往年の日本代表主将で接近プレーの具現者にして勝つラグビーの伝道者、横井章の提唱した「ファーストレシーバーが3通りの選択肢を持ちながら確実にゲインを切る」方法のほうが簡潔で、練習環境や個々の経験および身体能力に限りのある多くのチームには「自分のチームの戦法」となりえた。

 システムやパターンの前後に「自分のチ―ムはどうするのか=おのれの客観視=まんべんなくを捨て去る決断」がなくてはならない。日本式シャローディフェンス創造のそれは「大きくて速くて運動能力に秀でる人間に考える時間と技量を発揮する空間を与えない」だ。スプリングボクスの外から内へ激しく圧力をかける根本思想には「世界一大きな男たちの築く巨壁を横に移動させる労力の省略」がある。

 ニュージーランド発の「ポッド」は、少なくともオールブラックスやスーパーラグビーのレベルにおいては「球技としてのラグビーの上手な人間が世界一ひしめく」王国ならではの着想が背景にあるように映る。

 縦に割ったレーンにあらかじめ小集団を配して効率的にボールをリサイクル、背番号9と10の判断を軸に左右に広く動かし、もちろん真ん中の空間も狙いながら、ともかく長くボールを保持する。そのうちにわずかなギャップや防御不得手な相手選手が見つかる。そこで幼少より培ったボール扱いや身のこなしで裏へ出てしまう。「同じことを繰り返していたら自然に個のラグビー感覚の差が生じる」という発想。たまたま入学した者だけでチームを形成する日本の学校クラブが高い目標を据えるに際しては不向きなシステムではないだろうか。

 ヤマハ発動機ジュビロも「ポッド」を用いて戦ってきた。ただしパターン導入の前提に「スクラム日本一=自分のチームの戦法」の信念がまずあった。FW前5人の押す仕事を除く仕事を限定、ボールを追いかけることをさせず走る負担をそぎ、持ち場の任務に撤するような配置と手順を考え抜いた。脚の力はスクラムにとっておく。ニュージーランド発のシステムを磐田の流儀に発展変化させた。

 揺れる椅子、本当はそんな結構なものはなくて、ただの質素なチェアだが、そこで戦法を考える。妄想含みの想像コーチング。もしオールブラックスのコーチなら。花園の夢を捨てない山陰地方の公立校監督なら。年にいっぺんんの打倒ケンブリッジにだけ燃えるオックスフォード大学の戦法創造を託されたら。ゼロから部をつくる九州の私立高校の指導を始めるなら。そんなふうに、ずっと頭蓋骨の中をくるんくるんさせる。ゲームのなくなった週末、案外、時間は過ぎる。