ラグビーリパブリック

【コラム】ダンスとパスと、コッペパン。

2020.03.26

その一瞬が、一生忘れられない記憶になることも(写真は2019年度全国高校大会埼玉県予選/撮影:黒崎雅久)

■隊列を組んだ約30人が激しく動き始めた。鍛えられた腕や太ももを上げ下げして踊るのは、エアロビダンス。ふんどし姿の見た目とのギャップに、集まった1年生は笑う。

 まもなく満開となる桜を背景に、楕円球を追う3人組がいた。先週末、東京都内の公園でのこと。

 1人がパスを出し、残る2人が抜き合いをしている。3つの笑顔は良く似ていた。年配の人は父親、他の2人は兄弟だろう。新型コロナウイルスで所属チームが休止している子供のため、父親が練習相手を務めていたのかもしれない。

 国内でもコロナの爆発的な感染の拡大が危惧される。トップリーグは打ち切りとなり、「見るラグビー」はお預けとなった。「するラグビー」の方も大きな痛手を受けている。試合や練習が長期間できないチームが出るかもしれない。

 この4月は本来、ラグビーを愛する人たちにとって「実りの春」となるはずだった。昨秋のワールドカップで国内のラグビー熱は急上昇。楕円球に触れたいという人が増えた。高校や大学のラグビー部にとっても、仲間を増やす絶好の機会になる予定だったのだが。

 練習ができなければ、入部を希望する人にラグビーを体験してもらうことは難しい。新入生の心理的にも、ウイルスへの恐れから身体接触のある競技を避けたくなる人はいるだろう。

 今年は新入部員を集めるチャンスもハードルも、例年の2倍増しといったところか。先輩部員たちには、潜在的な入部希望者をどう見つけ、その不安にどう寄り添って背中を押してあげるかが求められるのだろう。

 新人勧誘の季節、今もまぶたに焼き付いているシーンがある。

 1998年、京都の花の名所、円山公園だった。ライトアップされた満開の桜の下に、赤いふんどし一丁の集団が並んだ。ラジカセのスイッチが押される。流れたのは、相川七瀬さんのヒット曲『夢見る少女じゃいられない』。

 隊列を組んだ約30人が激しく動き始めた。鍛えられた腕や太ももを上げ下げして踊るのは、エアロビダンス。ふんどし姿の見た目とのギャップに、集まった1年生は笑う。周囲の花見客も手をたたく。1曲が終わると、広い公園の他の場所に回って踊り続ける。

 クライマックスは「祇園の夜桜」と呼ばれる巨木の前だった。滝のようにしだれ落ちる薄紅色の花。その下で舞う筋骨たくましい集団。観客からの拍手喝采。受験勉強を終えたばかりの新入生の目には、先輩たちがブロードウェイでスポットライトを浴びるスターのように映った。

 母校の大学ラグビー部が新入生勧誘のために毎年、行っていたダンス。毎年、これが決め手となって入部を決めた部員が必ずいた。新歓の策としては実に効果的だったことになる。

 踊るのは年に1度だが、準備は入念だった。振り付けはエアロビクスの先生に依頼した本格的なもの。人気グループのEXILEのように、縦に並んだ人が顔をぐるぐる回す集団芸は受けが良かった。「公演」までの1カ月間、ラグビーの練習後にダンスのトレーニングを追加。並び順にもこだわりがあり、動きのキレ、体格、笑顔の晴れがましさなど、見栄えのいい人を選抜してフロントラインに置いた。

 ラグビーは激しい肉弾戦があるため、本格的に始めるとなると敷居が高い。特に、人気が低迷していたこの四半世紀は、国内のほとんどのチームが部員集めに苦労しただろう。その分、各チームなりの創意工夫もあったはずだ。

 私事が続いて恐縮だが、高校の時もささやかな工夫があった。春、グラウンドの横を体格のいい生徒が通る。パスを失敗したふりをして、その人の前に楕円球を転がす。拾ってもらって会話の糸口をつくるところまでは良く聞く話。その後に少し変化を加えていた。

 ターゲットのところに2~3人で駆け寄り、「すいません」と頭を下げる。間近まで寄ってボールを受け取らないのがミソだった。5メートルほど手前で止まると、大抵の生徒はおぼつかない手つきで投げ返してくれる。

 「うわ!」「すごいパス!」「ラグビーやってたん?」

 「え? やってません」

 「信じられへん!」「センスあるよ!」「ラグビーやってみいひん?」

 15歳でも、こんなおべっかを真に受ける人はそういない。大切なのは、まず笑ってもらうこと。楽しそうな集団だと感じてもらうことだった。その後、教室に通って「見学だけでも」と誘い続けると、グラウンドまで来てもらえる確率は高かった。

 もっと昔の日本のラグビー人も、部員集めには苦労していたようだ。古参クラブの1つに、東京藝術大学ラグビー部がある。部誌『上野の杜のラグビー部』では、1949年に卒業したOBが当時の勧誘事情を振り返っている。

 太平洋戦争後の混乱期、人集めはいっそう困難だった。かねての部員不足に加え、十分に食事を摂れない選手も試合に来られなかったからだ。部外の学生を助っ人として募る時の報酬が、コッペパンだったという。「一つでは駄目でもコッペパン2つ喰わせると云うと時間の空いているのは皆きた」。その際にも秘訣があった。ラグビーのルールを教えるタイミングをギリギリまで遅らせることである。

 試合の前日では早すぎる。必ず当日まで引っ張る。会場まで電車を乗り継いで向かう場合は、最後の列車に乗ってからだった。「早く教え始めると乗換駅で(その人が)逃げる」。未経験者がいきなりタックルやスクラムをしろと言われれば、腰が引ける。直前の出場辞退を避けるための手段だった。現代の感覚からは強引に映るが、当時は許容範囲だったのだろう。

 同誌で別のOBは、助っ人を「俄(にわ)か部員」とも表現している。昨年のワールドカップの後、流行語にもなった「にわかファン」が、ラグビー界に新しい風を吹き込んでくれた。昔の「にわか部員」もクラブにとって大きな存在となったようだ。一度、プレーしたことで楽しさを知ったのか。コッペパン組10人のうち9人が正式に入部したという。

 コッペパンやダンスがいつの時代にも正しいわけではない。その時の環境、若者の気質に合った手段が必要で、列島各地の若いラガーマンが既に頭をひねっているだろう。今はSNSのように顔を合わせずにつながれる仕組みもある。選択肢は昔より多い。

 一方で、新しい仲間を集める時、変わらず必要とされるものもある。チームの哲学やラグビーの魅力を相手の心に届けるという本筋は言うまでもない。加えて言えば、遊び心や楽しさ、面白さも、新しい仲間の心を開かせるカギではないか。かつて、勧誘に苦闘した経験からはそう感じる。特に、社会の行く末すら霞が掛かったように見通せない、この春はなおさらだろう。

 ラグビーでは一つのタックルや会心の勝利、忘れられない敗戦でさえ、人生の糧になる。同時に、グラウンドの外での何気ない一幕、大笑いした場面も、一生の思い出になり得る。そして何年も後、ふとした時に心に喜びと余裕を与えてくれることがある。例えば、満開の桜にウイルスの影がちらついて見えるような時。夜桜の下で踊る人の姿がそこに重なり、やがて大きくなっていく。