毎年4月下旬から5月上旬にかけて福岡県宗像市で開催される高校ラグビーの国際大会、「サニックス ワールドラグビーユース交流大会」が、世界的に感染が拡大している新型コロナウイルスの影響により今年初めて中止となった。
2000年に始まったこの大会は昨年、20周年を迎え、記念誌には、これまで20か国・地域から累計約1万3000人が参加したと書かれている。日本代表の松島幸太朗や、アイルランドのジョナサン・セクストン、南アフリカのJP・ピーターセンなども出場選手として名前が記されていた。
取材した過去の大会を思い返す。すると、真っ先に浮かんだのは、ひとりの少女だった。
ニュージーランドのジャズミン・ホッサムだ。
この大会に参加した海外の選手で、彼女ほど泣きじゃくった選手を見たことがない。
2018年大会の女子セブンズ決勝後、初優勝を遂げた石見智翠館高校(島根)の部員たちが歓喜の抱擁を交わし、楽しそうに記念撮影をしていたそばで、ハミルトンガールズ ハイスクールの主将を務めたホッサムはチームメイトの胸の中でむせび泣いていた。
当時17歳だった彼女はその数週間前、世界最強といわれる女子7人制ニュージーランド代表“ブラックファーンズ・セブンズ”のトレーニングスコッドに最年少で選出されたばかりのシンデレラガールだった。
プロフィールには身長170センチ、体重65キロと書かれていたが見た目は華奢で、あどけない笑顔の持ち主であるホッサムは、サニックスワールドラグビーユース大会に本気で臨んでいた。そして、負けて悔しくて、いっぱい泣いた。
「毎年この大会に来ることをすごく楽しみにしていたんです。私にとっては今回で3回目でした」
ホッサムは14歳だった2015年に初めて来日し、ハミルトンガールズの優勝に貢献。そして2016年も参加し、2018年にも母国を代表して3度目の出場を果たしていた。2016年大会は3位だったから、トロフィー奪還への思いが強かったのかもしれない。
しかし決勝を制し頂点に立ったのは、ひたすら走って、ハードタックルを繰り返した石見智翠館だった。
「日本のチームがすごく強かったです。悲しい結果になりましたが、敬意を込めておめでとうと言いたいです」
インタビューをお願いすると、涙をこらえてキャプテンらしくしっかり受け答えしてくれたホッサム。その姿が健気で、励ますつもりで、でも心から素直に「ニュージーランドのチームはいつも、周りからすごく尊敬されています。今日は惜しくも優勝には届きませんでしたが、スピリッツはとても感じられました。すばらしいプレーの数々でした」とこちらが言うと、ホッサムは再び半べそになってしまった。
「ニュージーランドのラグビーをしっかり出し切ろうと思ってたんですけど……。日本のチーム(石見智翠館)がそれ以上のスピリッツを持っていたのかもしれません。彼女たちは勝利の瞬間、すごく嬉しそうにしていた。それを見て、彼女たちが勝つ運命だったんだなと思いました。この大会でとてもいい経験をさせてもらいました。本当に。心からお礼を言いたいです」
あれから2年。19歳になったホッサムは今年2月、ブラックファーンズ・セブンズの一員として、ワールドラグビーセブンズシリーズのシドニー大会で念願のデビューを果たした。2018年後半に肩の再建手術を受けた影響もあり、デビューには少し時間がかかったが、ホッサムはいま確かに、東京オリンピックを目指す候補選手のひとりである。
地元メディア『Newsroom.co.nz』のインタビューで、彼女はこんなことを話している。
「19歳である私の目標はスポンジになることです。選手として、そして人として成長するためにできる限り吸収するように心がけています。今年はオリンピックがあるため特別です。東京行きの飛行機に乗れる保証はありませんが、すべての機会に全力を出し切りたいと思っています」
2年前に宗像で泣きじゃくった少女は、東京でオリンピアンになれるだろうか。
金メダルを目指す誇り高きブラックファーンズ・セブンズには世界的スターがひしめいており、競争を勝ち抜いて黒衣を手にするのは簡単ではない。17歳で初めて参加した代表候補のキャンプで、ポーシャ・ウッドマンやナイアル・ウィリアムズの向かいに座ったとき、自分はチームの赤ちゃんのようだったと述懐するホッサムだが、「東京2020に参加したい」とハッキリ口にしている。
新型コロナウイルスにより暗い社会になってしまったが、アスリートたちは活動を制限されながらも、挑戦をあきらめてはいないだろう。
すべてのアスリートに大きな拍手を送りたい。エールを込めて。
そして、世界中の人々がスポーツを楽しめる日が一日も早く戻ってきますように。
東京でたくさんの笑顔を見たい。