ワールドカップ日本大会の選手登録枠は1チーム31人。初の8強入りを果たした日本代表でも、開幕前にはメンバー入りへの争いがあった。
ボーダーライン上で当確に迫った1人に、堀越康介がいる。身長175センチ、体重100キロの24歳。運動量と鋭いコンタクト、前向きなハートで評価されていた。
最終選考のためにおこなわれた8月の網走合宿では、ほとんどの実戦練習で控え組のHOに入っていた。
しかし最終日になると、その座から外される。代わりに入ったのは、それまで別メニュー組だった北出卓也である。
2人はともにサントリー所属で、前年度のリーグ戦では堀越が左PR、北出がHOでプレーしていた。当時チームを率いた沢木敬介(現サンウルブズ・コーチングコーディネーター)は、「将来、堀越は1番(左PR)でジャパンになる」と転向を決めた。
左PRもHOも最前列のポジションだが、役回りは異なる。HOはスクラムで両隣のPRをコントロールしたり、空中戦のラインアウトでのボール投入を求められたりする。
2017年度までは帝京大でHOをしていた堀越は、左PRとして存在感を示した2018年も「思うように、1番の体型にはならなかったんですよね。体重も増えないし」。日本代表のジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチからは「(左PRでは)優位性を活かせていない」と見られ、HOとして選ばれていた。コンバート後も、HOとしての特殊スキルを個人トレーニングで磨いていた。
「これは、ちょっと、あるな…」
最後の最後に蚊帳の外へ出され、嫌な予感がした。結局、チーム内でのメンバーアナウンスに先立ちジョセフに呼び出される。
「今回は、選んでいない」
プレッシャーを受けた状況下でのスローイングの精度が、最終決定を左右した。堀越は「2番(HO)としての実戦経験は大事だと思いました」と述懐する。
「落ち込みました。相当、落ち込みました。『なんで?』と、現実を受け止められない自分もいました。ただ、選ばれたメンバーには頑張って欲しいという、複雑な気持ちでした」
大会期間中はほぼ毎日、府中の本拠地で身体を動かしてきた。故障者の発生による追加招集に対応すべく、心技体を鍛えた。
日本代表の快挙について「素直に、感動しました。嬉しかった」と口にしたのは、大会閉幕後の12月下旬。特にアイルランド代表を19-12で破った9月28日の一戦には「震えたというか、興奮しました」という。
しかし、「やっぱりどこかで悔しさはあって、それはいまもあるんですけど…」。結局、メンバーの入れ替えはなく、代表デビュー前ながらメンバー入りの北出も出番なしに終わっていた。
2023年のフランス大会出場へ気持ちを新たにした2人のうち、堀越は、2020年に国際リーグのスーパーラグビーへ日本から挑むサンウルブズへもチャレンジできそうだった。しかし最終的には、サントリーの意向に沿う形で国内トップリーグに挑むこととなった。
指導体制が変化したチームには自らの要望を伝えていて、「僕的には2番でやりたいですと伝えています」。北出との定位置争いを望んだ。「過去のことをグチグチ言っていても仕方がない」と、未来を見据えた。
「あの場(ワールドカップ日本大会の試合会場)に立てなかったということは、何かが足りなかったんだと思います。なんで選ばれなかったのかを自問自答し、それと向き合って練習していきたい」
トップリーグ開幕を約2週間前に控えた2020年1月上旬、左足に肉離れを起こした。
復帰までに「8~10週間」かかると告げられるなか、同じポジションでは中村駿太、北出が活躍。復帰2戦目となる第7節では今季初先発の可能性も高かったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期が決まった。
順風満帆のリスタートとは言えなかったが、堀越は「ゲームに出たい。わくわくしている気持ち」。いま表明するのは、本番で力を発揮するのに不可欠な意志である。
「変な話、自分がゲームに出れば評価を得られるという自信がある。ちょっと出遅れたんですけど、この後のビッグマッチでいいプレーをすればジェイミーにも見てもらえる。いろいろな人に自信を持ってプレーしろと言われるので、そこを自分にも言い聞かせています。練習でもいいプレーができている時はできているので、準備段階で自信をつけ、試合では思い切りやる」
今度の延期に伴い、第7、8節はもともと休息週とされていた日に設定された。サントリーは3月15日から、約1週間おきに組まれた9連戦へ挑む。
有事に直面した格好。ただし堀越は、「自信」があるからばたつかない。