ラグビーリパブリック

三菱重工相模原の主将は病を乗り越えた33歳。土佐誠が示すラグビーの「価値」。

2020.03.03

勇敢なハードファイターである土佐誠(撮影:福地和男)


 命の恩人がいる。

 NECのラグビー部員だった2011年度のオフ、土佐誠は数名のチームメイトと食事をして千葉県内の寮へ戻る。どうも気分が悪いと思いながらシャワーを浴びていたら、意識を失った。

 もし、そのまま誰にも気づかれなければ。本人すら後にそう思い返したこの瞬間、たまたま様子の変化に気づいた同僚が田村優だった。後に日本代表の正司令塔となる後輩が救急車を呼んでくれたおかげで、一命をとりとめた。

「浴槽で亡くなる方も多いと聞くので…。気づいたら救急車のなか。よく助けてくれたな…。僕も気分が悪いままで、髪もびしゃびしゃで裸でした。だから『ここどこ? 寒いから早く帰らせろ』と言って『いや、それどころじゃない!』と怒られていました」

 搬送先では「てんかん」と診断された。脳の一部の神経細胞が一時的に異常な電気活動を起こし、意識を失ったり、発作を起こしたりする疾患だ。脳には原因不明の腫瘍があり、退院後はしばらく薬で治療しながらプレーした。メスを入れれば状態は変わると言われていたが、しばし、躊躇していた。

「白目をむいて口から泡を吹く経験は、あまり誇らしいことではないですし、手術を勧められた時も『それでラグビーはできるかな、そこまでしてやるほどラグビーって価値あるかな』という思いでした。ただ…」

 ロッカールームで隣同士だった元ウェールズ代表のガレス・デルヴが、自身のレベルズ時代のチームメイトの存在を教えてくれた。

 元オーストラリア代表ジュリアン・ハクスリーだ。ハクスリーは開頭手術でてんかんを治して競技復帰を成し遂げたと聞き、土佐は動画サイトでそのプレーぶりも見て背中を押された。2014年、アスリートとしては珍しい開頭手術に踏み切る。無事、成功裏に終わる。

 2017年に退社と渡豪を経て加入した三菱重工相模原では、入部2年目に主将に抜擢された。プロ選手としての活動、将来指導者になるための勉強と並行し、てんかんの関連イベントに登壇。体験談を話す。

「てんかんは日本ではあまり認知されておらず、偏見もある病気です。だから僕が行っているイベントの写真もお客様の顔が写ると…ということであまり公表はされていません。でも、東京、広島、札幌といろいろなところで講演させていただいています」

 ちなみに、イベントへ付き添うのはチーム広報の竹花耕太郎。土佐とは関東学院大時代の同級生で、不祥事に伴う活動停止が明けた2008年度は主将と主務の間柄となった。過ちを犯したかもしれぬ部員との信頼関係構築を巡り、よく口論を続けていた。

 社会人として土佐と再会した竹花は、その講話で「涙が出そうになる」こともあると言い、それを伝え聞いた土佐も「あいつとはお互いの苦労を知っている。僕も、あいつが話しているのを聴いたら泣いちゃうかもしれません」と静かに笑う。

 そして、現役選手が体験談を語る意味をこう述べるのだ。

「選手のうちは影響力が強い部分もある。自分がプレーしているうちに、人を助けたいという思いでやっています。ハクスリーのように、選手のうちに誰かを勇気づけられたら本望なので」

 三菱重工相模原は今季、2007年度以来となるトップリーグに挑んでいる。土佐は33歳になり、古巣NECとの第5節ではチームにとって初めての同リーグ勝利を経験した。

 最初の発作に倒れた時は、エディー・ジョーンズがヘッドコーチだった日本代表へ田村とともに呼ばれていた。病と向き合った体験は、自らのターニングポイントのひとつだと語る。

「自分のキャリアでも転機になったというか。100パーセントやり切って、引退したら会社に収まって…という考え方が変わった時でした」

 身長188センチ、体重112キロのNO8は、頭に手術跡を残して密集へ突っ込む。ラグビーの「価値」を示す。