「ぐいん」って音がしました。
その瞬間を立見聡明(たつみ・としあき)は擬音を交えて説明する。
右ひざの前十字じん帯が完全に切れた。
聞き慣れぬ響きが大学ラグビーの終わりを告げる。立見は初の学生日本一を狙う天理大のFBだった。
悲運に見舞われたのは2019年11月17日。同志社大戦だった。関西リーグ6試合目である。
終了5分前、ライン裏に抜ける。180センチ、83キロの体を外へもって行こうとした時、皇子山の天然芝に絡まれる。
担架で運び出される。55−6の試合後、マン・オブ・ザ・マッチでは我が名を呼ばれた。
「聞いたとたん、歩けるようになりました。自分にとっては初めてだったので」
悲劇に笑いを含む。関西で4年を過ごした性(さが)なのだろう。
自身のアクシデントと真逆。チームにとっては最長のリーグ4連覇を達成する。
以後、ウオーターボーイになる。
「最後までやりたかったですけど、なってしまったものは仕方がありません」
試合中、仲間に給水をしながら、インカムから流れてくるコーチ陣の指示を伝えた。
関西王者として臨んだ56回目の大学選手権は1月2日の準決勝で敗退する。優勝する早稲田大に14−52で敗れた。
「ワセダに勝つとかではなくてね、彼はBKラインで唯一の4年でした。それが出られないのはチームにとって痛かった」
監督の小松節夫は振り返る。
BKリーダーとしての精神的な部分だけではない。関西4連覇の直近3年の強さは、立見と3年生SOの松永拓朗による「ダブル司令塔」によるところが大きかった。
どちらかがラックなどに巻き込まれても、現場の指揮は混乱しない。この2人のゲームメイクが昨年度、2回目となる選手権準優勝(17−22明治大)の理由のひとつだった。
立見は元々SO。明和県央の時から注目されていた。
<攻守の中心。判断のよいキックとランでゲームを作る>
ラグビーマガジンの『第95回全国高校大会完全ガイド』に寸評が残る。
花園には3年連続出場。2年生からレギュラーになり、国体のオール群馬にも選ばれる。94回大会は3回戦で東海大仰星に0−55、翌年は2回戦で佐賀工に3−71と敗れた。2年時の3回戦進出は同校の最高戦績になる。
その出身は北関東の中心のひとつである前橋市。北東にそびえる1800メートル級の赤城山は緑や赤など季節ごとに美しい。
父・仁重(よしのぶ)は前橋商のラグビー部OB。市内三俣町にあるそばの「結城屋」の二代目だ。母・典子も店を手伝っていた。その母が中3の初秋に急逝する。
「学校のお昼休みに鬼ごっこをしていました。先生に呼ばれたので、怒られると思ったら、すぐ帰りなさい、と。太陽生命カップが始まる前の日、9月14日でした」
朝、元気だった母は昼には冷たくなっていた。突然の心臓疾患だった。
幼稚園の5歳から前橋ラグビースクールで始めた競技。その集大成の前日だった。
命のはかなさを15歳で知る。じん帯断裂時の達観もその影響が見え隠れする。
「オヤジは太っていたのにどんどんやせてガリガリになりました。かわいそうでした」
兄弟は3人。立見は真ん中だった。大学選びは自分の中でしばりをかける。
「強いチームで、かつ経済的負担をかけないという思いがありました」
奨学金受給の対象者になったこともあり、黒衣軍団の一員になる決心を固める。
「初めてやと思うよ」
小松が言うように、群馬県から天理大ラグビーの門を叩く先駆者になる。
関西人に対する印象は、関東人の誰もがそうであるようにネガティブだった。
「怖いし、めちゃくちゃしゃべってくる」
身構えた寮生活は3人部屋。4年生の永松哲平は千葉・市立船橋出身のWTBだった。
「静かな部屋でした」。
この空間と部屋長に助けられる。
天理大では右ひざ後十字じん帯損傷や右ひじ脱臼などにも見舞われたが、4年間、試合に出る。1年で関西学生代表にも選ばれた。松永の入学で2年生からFBに移動。4年間の学生生活は総じて楽しかった。
「全然よかったです。ラグビーもそうですが、おもしろい人間にたくさん出会えました」
同期のHO北條耕太やPR山川力優(りきゅう)はいつも笑わせてくれた。
立見は彼らとともに関西リーグを負けなしで卒業する。連勝記録は28。天理大の最後の黒星は2015年12月5日。10−13と惜敗した最終第7戦の対同志社である。
家庭の方も落ち着いた。
4つ上の兄・和雅は群馬大の大学院を出て、コンタクトレンズの研究をしている。2つ下の弟・斉之(ひとし)は調理師免許を得て、昨年から店に出る。三代目として修行中だ。
「そばは大学に入るまで食べませんでした。黒くてなんか好きになれなかった。父の料理では麻婆豆腐が最高です」
メニューにない中華が好き。このユニークさも立見の魅力のひとつである。
春からトップチャレンジの豊田自動織機に進む。3年生から声をかけてくれた。
ひざの手術は1月15日。走れるのは5月になる。今は装具をつけて歩いている。
社会人での目標を口にする。
「ランを含めたプレーで、負け試合の雰囲気を変えられような、そんな選手になれたら、と思います」
トップリーグ復帰の力にもなりたい。
「大学の同期みんなでこのリーグで試合をしようや、っていう話になりました」
言い出したのは主将のFL岡山仙治(ひさのぶ)。クボタに入社が決まっている。
その言葉を現実にするため、まずは水色ジャージーを1日も早くまといたい。