ラグビーリパブリック

【コラム】14人からの戦い

2020.01.04
日本航空石川に立ち向かった城東。クラブの文化を着々と積み上げる(撮影:早浪章弘)

日本航空石川に立ち向かった城東。クラブの文化を着々と積み上げる(撮影:早浪章弘)

■ 誰の人生なのか

やはり、伝わるのだ。日本代表として2019年のラグビーワールドカップ日本大会で8強入りした松島幸太朗と流大が、短文投稿サイトのツイッターを介して「花園」についてやりとり。大阪・東大阪市花園ラグビー場での全国高校ラグビー大会に出場する、四国の公立高校の名を挙げていた。

<負けちゃったけど、徳島県の城東高校も好き>(松島)

<あれは盛り上がったねー! 熱さが伝わってくる>(流)

 雨の降る12月30日の朝。2日前の1回戦で新潟工を21—7で破っていた臙脂とオレンジの城東は、第3グラウンドでの2回戦に登場。Bシードに遇されこの日が初戦という赤と黒の日本航空石川高に、0—39で敗れた。

 序盤こそスクラムハーフの遠藤岳歩、スタンドオフの三木海芽主将が鋭いキックで陣地を獲得したり、フランカーの林龍希のカバーディフェンスやプロップの臼田伊織のロータックルでミスを誘ったりと、県外出身者主体の相手を苦しめた。しかし、「体力の差は否めなかったです」と伊達圭太監督は言う。

 部員数は日本航空石川が54名なのに対して城東は22名。そのうち1名は県大会決勝の数日前に入部したばかりだ。ただでさえ選手層で相手と差があるうえ、3年生主体のレギュラー陣は消耗していた。稲垣宗員トレーナーとともに強靭さを身に付けていたとはいえ、過密日程下のぶつかり合いで筋線維は削られていた。
 
 かくして初の花園2勝には一歩、届かかなかった。選手が嗚咽を漏らしその場を後にするなか、グラウンド脇のテントで伊達監督が記者団の取材に応じる。時の人となった松島と流に称賛されていることなど、知る由もなかった。
 
「誰の人生だよ!!!」

 2006年度卒のOBでもある伊達監督が一昨季に就任して驚いたのは、生徒がラグビー部に入らない理由のひとつが「親の反対」だったことだ。
 
 徳島の県立高にあって指折りの入学偏差値を誇る城東では、朝7時からの「朝補習」から16時頃までの7限目まで授業が組まれ、夏休みにも「特別講習という名の全員参加の授業」がある。1949年創部のラグビー部は「特色選抜」という面接や実技のある入試方法で年に「4名程度」を入学させることができるが、活動に必要な人数を揃えるには未経験者の勧誘も必須。伊達監督と現役部員たちは時間を見つけて校内をリサーチするが、こう言われて唖然とすることもあった。

「手を怪我したらテストはどうするんだって、親が…」
 
 ワールドカップイヤーを迎えた今季は、ドラマの連続だった。3年生には三木主将ら「特色選抜」を使わず入学できた実力者を揃えるも、旧3年生が引退した直後の部員数は14名。試合をするには1人、足りない。新人戦ではサッカー部、テニス部の助っ人を出した。
 
 人の興味をひいたのは、そんな台所事情を抱えながら全国選抜大会へ出場したからだ。3〜4月に埼玉の熊谷ラグビー場でおこなわれた選抜大会では、助っ人勢のなかでもっとも最後に加わったテニス部新2年の齋藤壮馬をウイングに起用。指揮官はこう要求した。

「(相手が)来たら、怪我しない程度に止めてね」


 
 3戦あるうちの予選プール初戦では、留学生のいる札幌山の手と激突。県勢16シーズンぶりの同大会勝利を挙げる。終盤に追い上げられながら28−22と逃げ切る形で、伊達監督は「実質的に14人でやっているので、最後はどうしてもばてるんですよ」と明かした。もっとも15人目にあたる齋藤も、ハートに火をつけていた。続く東福岡戦を12—97で落とすと、自らクラブ共有のI padで試合映像をレビュー。正規部員から意見を募った。
 
 予選プール最終戦では、大学ラグビー界の古豪とリンクする慶応を21—15で下した。最終的には「一度やると決めたことは最後までやりたい」とテニス部へ戻る齋藤も、「楽しい気持ちが強くて、ホンマに60分(試合時間)が短かった」と笑った。
 
 試合後は、敗れた慶応の選手が伊達監督のもとへ訪れる。

「あの…人数が足りないなかで練習されていると聞いたのですが、どのように…」

 話しているうちに悔しさがこみ上げたのか、「絶対、勝てると思ったんですけどぉっっ!」と泣き出してしまった。その時の様子を問う記者に、伊達監督は「あの(質問に来た)子は将来、伸びますよ」と応じた。
 
 受難の季節は終わらない。複数の選手が10月の県予選を見据えて手術を決断したため、公式戦には未経験者も含めた1年生を起用する。さらに伊達監督が「これ以上、怪我人は出せない。私生活から気を付けるように」と訓示した矢先、アウトサイドセンターの渡辺開世が登校中の交通事故で意識不明の重体となる。最後は懸命なリハビリで奇跡の復活を遂げるのだが、報せを聞いた時は気が気ではなかったと伊達監督は言う。
 
 かような物語の最終章が、3年連続13回目となる花園出場だった。開幕前の12月中旬には中国電力との合同練習を実現させ、新潟工の得意なモールへの対策方法を練る。さらには同じ四国の高知中央とも交流を図り、普段はできない相手をつけた練習ができた。

 FWの選手を左右、中央に満遍なく配置するオーソドックスな攻撃方法をベースとし、フットワークのいいフランカーの伊藤優汰副将を外で待たせるなど、個性を活かす工夫が見られるような。新潟工を制した初戦では、個々の顔が見えるアタックが応援に駆け付けた在校生を沸かせた。

 ワールドカップが成功した日本ラグビー界では、開幕前からの課題が依然として横たわっている。そのひとつが競技力の地域格差だ。

 競技人気が高い一部の地域の強豪校が専門家のトレーニングと優秀な選手のリクルートの掛け算で白星を伸ばすのに対し、部員や練習場所の確保に苦しむチームは後を絶たない。花園では1〜3回戦で多くのワンサイドゲームが起こる傾向にあり、今季は100点以上の差がつく試合が1回戦で2つもあった。大会方式の見直しを訴える関係者もいるが、伊達監督はあくまで自分にベクトルを向ける。
 
「人数が少ないから、公立だからっていう言い訳をしたくなくて。指導者がこんなことを言うのもなんですけど、気持ちの部分も大きい。まず気持ちを上げて、こっちができる最高の準備をしてあげて、きょうの前半のようなゲームを60分間、していきたい。選手はよく頑張ったので、我々スタッフがしっかりやっていきたい、というのがありますね」

 こう口にしたのは、日本航空石川に敗れた直後の会見時。話すうち、透明の涙が頬をつたった。

「3年生に最初に伝えるとしたら、ありがとうです。選抜大会から始まり、色んな景色を見させてもらって、怪我も多くてしんどい時期もあったんですけど、本当に…充実していたかなと。…すみません。もう1個、本当は、勝たせてやりたかった…」

 味わい深い時間を過ごし、結果的にワールドカップ戦士の心を打った城東。地元へ帰れば、残された14人で新チームを始動させる。