身長178センチ、体重110キロと堂々たる体格の中野幹が、真っすぐに語る。東海大ラグビー部の副将として、主将の眞野泰地を支える。
「あいつに優勝してもらいたいとホンマに思っている。あんな主将、他にいないです」
ラストイヤーの大学選手権では2季ぶりの4強入りを果たし、1月2日には東京・秩父宮ラグビー場で昨季王者の明大とぶつかる。
ここまでの過程で、眞野や自身がけがで出られない試合もあった。それは11月30日、秩父宮での大東大戦だ。東海大は27-18と勝って加盟する関東大学リーグ戦1部の全勝優勝を決めるも、ミスを重ねて苦戦していた。中野は「泰地がおったらまとまる。でも、誰かが出ていないから無理…ということがあったら、日本一のチームにはなれない」と目に涙をためたものだ。
もっとも、登録メンバーに絡まない選手が試合前日も必死にトレーニングしているのだと皮膚感覚で知れた。嬉しかった。
「毎日、真剣に取り組めばもっとレベルアップできる。そこをフォーカスして、皆に言い続けたいです」
東海大仰星高(現 東海大大阪仰星)の中等部では野球部員。クリーンナップを打ち、競技そのものは好きだった。しかし、内部進学先で続けるかは躊躇した。
どこか、物事に本気で打ち込むのが当たり前の場所へ行きたい。そう思っていた中学卒業間際、焼き肉屋での「クラスの打ち上げ」で同窓のラグビー部員である眞野に「一回、高校生の試合、観に行こうよ」と勧められる。
「いいのか悪いのかはわからないんですけど、試合の前から涙しながらいろんなことを考えて、身体を当てる姿。これがかっこよく見えて…。無理ちゃうか? とかは考えなかったです」
最初は突進力が期待されるNO8だったが、食事とトレーニングを重ねるうちに3年間で約30キロ増。いつしかスクラム最前列の右PRに転向した。「別人みたいになって、小学校の時の友だちには誰だかわからないって言われます」。1年から2年に上がる頃、2年生の10月に、両足の前十字靭帯をそれぞれ断裂。2度目の故障からの復帰時期を想像し、「きっと高校では出し切れへん」と予想した。
2年時の3月。系列の東海大がおこなう「第24回松前杯争奪ラグビー大会」へ訪れた東海大の木村季由監督へ、松葉杖をついたまま「高校から始めたばかりで全然、強くないんですけど、入れて欲しいです!」と直訴した。驚かれたようにも映ったし、「お前みたいな奴が必要なんだ」と言ってもらえもした。
最終学年時は結局、大阪・東大阪市花園ラグビー場での全国高校ラグビー大会登録メンバーの「25番」に「入れてもらった」。1年時以来の日本一に輝いたが、「1試合だけ出してもらったんですけど、もう邪魔ばっかりしてたんです。それは自分でもわかってたんですよ。それが悔しくて、悔しすぎて、もう、あんな試合はできひんなって」。一方で芽生えたのは、当時も主将だった眞野への感謝の念だ。
「けがした時もいろんな人が支えてくれて、いま自分が頑張れていると本当に思っているので。正直、心折れそうになったんですけど、その時は眞野に言われたんです。『お前、本当にそれでいいんか。周りの皆がお前に期待しているのに、ホンマに終わっていいんか。けがを乗り越えたら、何か見えてくるものがあるかもしれへんねんで』って」
眞野のグラウンド内外での視野の広さや雑味のない言葉の妙は、多くの部員、首脳陣が認めるところ。その凄みを昔から知る中野だからこそ、迷わず「あいつに優勝してもらいたい」と言えるのである。
大学では3年時に先発へ定着。スクラムで細部にこだわる。言葉は尽きない。
「HO(先頭中央)が軸というか船の先端のようなイメージで、(その左隣の)左PRと一緒に『1時』の方向へアングルをつける。そして右PRが『12時』の方向に真っすぐ。そうすると、(互いの)寄せ合いで相手が勝手にばらけていって自分たちが真っすぐ組める。たぶん、どこのチームもそういう組み方を目指しているとは思うんですけど、僕らは細かいことを全部こだわっている。足の角度は●度から▲度の間で一番強い姿勢があるから、そこから動かさへん…とか」
卒業後はトップリーグの強豪クラブへ進みそうだ。採用を検討したあるクラブの関係者が、本人へ「将来はどうなりたい」と人生設計を聞く意味合いで問うたところ、返ってきた言葉は「日本一のPRになりたいです!」。真っすぐな情熱がまぶしい。
東海大では眞野が絶対的なリーダーとして君臨するなか、言うは易く行うは難い「ONE TEAM」の体現を目指す。情熱をプレーの細部に宿し、友と喜びを分かち合いたい。