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【ラグリパWest】ラグビーの王国で自分を磨く。 水谷咲良(ハミルトン・ガールズ・ハイスクール)

2019.12.31

ラグビーを極めるため、中2でニュージーランドに渡った水谷咲良。来年2月にはハミルトン・ガールズ・ハイスクールのイヤー12(高2)になる。着ているのはおそろいのチームパーカー。



 14歳になって2か月ほど。
 当時まだ中2。水谷咲良(さくら)はたったひとりでニュージーランドに渡った。

「ラグビーで自分が強くなりたかった。留学で変われるかなあと思いました」

 ハミルトン・ガールズ・ハイスクール。地元では「ガールズ・ハイ」と呼ばれる公立の女子校に転入する。

 2年を過ごし、来年2月から現地で「イヤー・トゥエルブ」(12年生)と呼ばれる高2生になる。新学期は日本より約2か月早い。

 さくらはラグビーを通して、言葉や文化の壁を乗り越えた。

 9月の15人制の全国大会では頂点に立つ。4チーム参加の「New Zealand Barbarians National 1st XV Championship」に165センチの俊足WTBはスタメンでフル出場。チームは2戦とも50点ゲームで圧勝する。

 日本人はさくらのみ。
「優勝して率直にうれしかったです」
 目じりが下がり、あどけない笑顔が現れる。

 さくらが栄誉に浸るまでの道のりは当然のことながら平たんではなかった。

「最初、英語は全然しゃべられませんでした。使えた言葉は4つだけでした」
 My name is Sakura.
 Yes or No.
 Thank you.

 さくらは振り返る。
「最初の1か月くらいは毎日泣いていました。帰りたい、帰りたい、って言ってました」

 涙声の電話を受けた母・愛はそのたびに同じ言葉を繰り返す。
「それやったら帰って来るか?」
 さくらは「うん」とは言わなかった。女子の意地があった。

「寮では日本から持ち込んだワークブックを必死でやりました。しばらくすれば日本人の留学生とも日本語で話さなくなりました」

 語学習得で大切なことは、その言葉をシャワーのように浴び、母国語を使わない。その真理を悟る。

 3〜4か月で少し聞き取れるようになる。若年の脳は柔らかく、吸収性に富む。日本で英会話に通った過去もあった。ラグビー用語が共通だったことも救いになる。

 当時は生きることに必死。今では周囲のすみずみまで目が届き、自分の意見を持てるようになった。
「もっと量を増やしてほしいです」
 ラグビーの練習日は週2回。月と金。15時40分から17時までの1時間20分しかない。

 若干の不満は持ちながらも、その少なさを補うため、寮の共同スペースで腹筋、腕立て伏せ、スクワットなどをこなしたり、寮や学校の周りを走ったりした。
「自分で考える力がついたと思います」
 自主性がこれまで以上につく。日本とは違う部活動との向き合い方に磨かれる。

 課外活動としてのラグビーの人気は当然ながら悪くはない。
「部員は7人制が15人、15人制は30人くらいいいます。顔ぶれが違います」
 さくらはどちらもこなしている。




 学校は北島のハミルトンにある。国内最大で唯一の100万人都市・オークランドから車で南に2時間ほど下った場所だ。
 留学生の受け入れは3か月などの短期だけではなく、1年以上の長期も可能だ。

「ニュージーランドの美しい自然もありますが、学校の周りに羊はいません。近くには映画館やスーパーが入ったモールがあるので、買い物などがすぐにできて便利です」

 さくらは2003年12月13日生まれ。2歳ずつ違う兄・健太郎と弟・康生がいる
 小4から三重・四日市ジュニアラグビーフットボールクラブで競技を始める。

 きっかけは家庭科や福祉教員の母が、朝明(あさけ)高校で斎藤久(現・四日市工業高校)の同僚になったことだ。斎藤はラグビー部を全国レベルの強豪に仕立て上げた。母も顧問になる。

 さくらは楕円球を持った当時を思い出す。
「やってみたら走ったり、タックルしたりできて楽しかったんです」
 3歳から始めたレスリングよりも、広い場所を走れる点で自由度が高く映る。

 母は現在、通信制の北星高校の教頭をつとめる。さくらのレスリングでの成功を語る。
「年長で初めて全国大会で優勝して、小学校の間も何度か全国で優勝しています。中学の時は全国で3位でした」
 持って生まれた運動能力は二刀流を可能にできるほど高かった。

 女子ラグビーチームの「三重パールズ」が2016年5月に始動してから、そちらでも練習を続ける。中学時代は三重県のスクール選抜。男子に伍して戦った。
 
 やがてラグビーに絞る。斎藤のアドバイスもあって南半球に飛んだ。
 そして、成果を積み上げている。

 今はクリスマスを含むスクール・ホリデーで帰国中だ。12月27日には大阪・花園ラグビー場を訪問した。第99回高校全国大会の前座であるU18花園女子15人制試合を母と弟と一緒に観戦。日本の同世代のプレーを目の当たりにし、刺激を受ける。

 高校を卒業すれば日本に戻り、大学に進む予定だ。
「オリンピックに出るのが目標です」
 留学当初に望んだ「強さ」は、逃げて帰らなかったことで体得が証明された。
 目標を実現させる力は十分にある。

今年9月にあったニュージーランドの15人制国内大会で優勝盾を持ちほほ笑む水谷咲良


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