息子たちにたずねられた。
「おかあさん、ラグビーのルールをよく知らないのに取材を受けてもいいの?」
大丈夫。まったく問題ありません。ノット・ロール・アウエーの説明は求めないよ。
西村麻子は今、ラグビーにはまっている。
すっとしたシルエットはトップアスリートの名残。笑顔は周囲の光度を高める。
「私はにわかファンみたいなものです。でも、ラグビーの楽しさを知りました。これからも見続けていきたいと思っています」
大阪のMBS(毎日放送)のアナウンサー。中1と小4の男の子2人を育てながら、テレビとラジオを持つ放送局で仕事を続ける。
楕円球をぐっと引き寄せたのは、息子たちと今回のワールドカップ日本大会である。
2人とも小学校入学後にラグビーを始めた。「授業でタグラグビーをやった時、すばしっこかったので誘われました。シュルシュルと逃げる感じです」
長男は中学で母がやった陸上に転向する。次男は継続中だ。
「小学生なのでみんなボールにわーっと群れます。それが子犬のようで可愛いです」
ワールドカップは日本×アイルランドをエコパスタジアムで生観戦をする。
チームの小学生や保護者ら50人ほどとバスを借り切って関西から静岡に向かう。
「夫と家族4人で参加しました。行きは『いいゲームをしてくれたらいいね』と話していたのに、勝って大喜び。帰りはビールを飲みながら、きゃあきゃあ言って帰ってきました」
19−12の金星はこの一団にもひとときの幸福をもたらした。
大人のラグビーの魅力を語る。
「迫力のすごさですね。大きな体が全力でぶつかって走る。他の競技とは違います」
西村がサブキャスターをつとめる報道情報テレビ番組『ミント!』でも日本代表を中心にワールドカップを大きく取り上げた。
放送日は月〜金のウィークデー。放送時間は午後3時49分から7時まで3時間を超えるMBSの看板のひとつである。
10月23日、代表解団直後、新大阪駅に着いたばかりの中島イシレリ(神戸製鋼)をスタジオゲストに呼ぶ。
「山中さんのおうちにも大吉(おおよし)がついて行かせてもらいました」
山中亮平(神戸製鋼)の自宅訪問をメインキャスターの大吉洋平がする。
「トモさんもVTRで出てもらいました」
トンプソン ルーク(近鉄)は行きつけの東大阪の食堂「まんぷくてい」に行く。
「日本のお母さんと呼ぶお店のおばちゃんが好物のオムライスを出して、『よう頑張ったなあ』って涙をこぼす。トモさんが『おばちゃん、なに泣いてるの』って優しく返すんです。私の好きなシーンのひとつです」
番組制作に責任を持つプロデューサーの岡墻(おかがき)正芳は天王寺から神戸大に進んだラグビーマンだった。西村を評する。
「彼女は本物のアスリート。血を持っています。でも、それをひけらかすことなく番組に携わってくれている。おかあさん目線もあります。この番組にとって大切な人間です」
西村は中高大と同志社に学ぶ。陸上部に所属。「日本一速い女子アナ」の異名を持つ。
高1と高2で全国優勝する。最初は東四国国体の少年女子Bの200メートル。翌年はジュニアオリンピックの100メートルだった。
両親も陸上選手。同志社OBの父・彰は母校の監督や五輪のコーチなどもつとめた。
パートは短距離だったため、ラグビー選手の走り方を専門的に分析できる。
「ラグビーは陸上と違って、腰の位置が低いですよね。陸上は高いんです。その理由は接地面積をできるだけ少なくして、地面をたたいて走るからです。空中を飛んでいる感じですね。ラグビーは人とぶつかるから重心が低くなる。タックルを受けても倒れない走りは見ていて爽快な感じを受けます。福岡さんなんて素敵だなって思います」
日本代表のWTB、キャップ38を持つ福岡堅樹(パナソニック)の名が挙がった。
コンマ以下の数字にこだわった学生の頃。ラグビー部はトラックの隣で活動していた。西日本で唯一大学選手権を制した部の思い出は大西将太郎であり、平尾誠二である。
1歳下の大西には入試で出会った。
「私は陸上部でスポーツ推薦受験者のタイムを計っていました。その中でずば抜けた子がいました。それが将太郎くんでした」
父からは命令が飛んでいた。
「いい選手がいたら、競技に関わらずこの大学を選んでもらえるように働きかけろ」
娘はその通りに動く。声かけをする。
その「入ってね」の言葉や美貌が決定打になったかどうかはさだかではないが、大西は同じ商学部に入学する。そしてCTBとして日本代表キャップ33を得る選手に育った。
今出川のキャンパスでは大学院に通っていた平尾を見かけた。ラグビー部の部員がその周囲をボディーガードのように囲んでいた。
「ダンディーやなあ、って思いました」
筋肉の盛り上がりがダークな色のスーツの上からでもわかった。
西村の入局は2000年4月だった。
MBSは地元開催の高校ラグビー全国大会を若干の中断はあったにせよ1960年(昭和35)から放映してきた。ラグビーは校技から社業に変わるが、実はその傍らにずっとあった。
採用は制作や営業などを担う一般職も先輩2人が産休に入ったため、アナウンサー職に転向した。そのまま異動をせず、結婚、出産、子育てを経験する。一連の流れを経ても、お茶の間には毎日その存在が伝わる。
岡墻は話す。
「4月から番組が始まって、ワールドカップとシンクロナイズド(同化)できて、番組自体もワン・チームになりつつあります」
良化には西村の貢献も欠かせない。これからも娘時代の陸上と同様、自分なりの全力を関わる番組に注いでいく。