「ホリエが来てくれてなあ、びっくりしたわ」
天野寛之は満面の笑みを浮かべた。
12月7日、大阪駅近くのオーバルホール。堀江翔太は高校ラグビー全国大会の組み合わせ抽選会に顔を出す。3大会連続のワールドカップ戦士。8強入りの歴史も創った。
66の日本代表キャップを持つフッカーはその島本時代、天野にラグビーを授けられる。前夜、偶然近くに宿を取った。抽選会を主導する恩師の元にあいさつに来る。
「あいつ、高校生たちから写真攻めにおうとったわ」
パナソニックにいる教え子の知名度を改めて目の当たりにする。うれしくなる。
天野は全国大会を総務委員長として実務方のトップとして取り仕切る。期間中は総務、放送、競技、記録、審判、医務と300人近い委員を束ねる。
「先輩方から受け継いだものをつぶさず、よりいいものにしないとあかん」
野々村博、荒井昭雄、井上哲夫、滝林賢次、岡本富三…。同じ職責を果たした先達の名前がすらすら挙がった。
総務委員長は忙しい。
「あらゆることに対応せんとあかん。クレームがいっぱいくる」
試合運営、応援の入退場。ケガなどのアクシデント、チームやメディアからの問い合わせなど数え上げればキリがない。
95回大会(2015年度)では2回戦で天理と常翔学園が激突。約3000席の第3グラウンドは飽和状態になった。ピッチの周囲の陸上トラックにまで人を入れ、あとは入場制限をかけた。試合は5−3で天理が勝利する。
「あそこまで入るとは思わんかった」
事前に対戦チームに応援団の数を確認してはいるが、優勝回数6の天理と5の常翔学園、さらに関西同士の名門対決は予想以上に一般ファンを呼び寄せた。
30年ほど前にも同じことがあった。67回大会(1987年度)では42年ぶり出場の北野と伏見工(現京都工学院)が3回戦で対戦。2世代前の第1グラウンドに2万人が押し寄せた。グラウンドのきわの芝生にまで人を誘導する。試合は16−12で伏見工が勝った。
「あの時は止め係やった。『もう入れませーん』って言うたら、『ウチの息子が出てるんや』ってケンカになりそうやった。消防法の関係で無理やったんやけどね」
天野はこの大会の歴史を知っている。
その生まれは1958年(昭和33)8月5日。ラグビーを始めたのは高校から。千里に入学後。大学は筑波の体育学群に進む。
筑波は明治維新後、この国の教員養成のために作られた東京師範学校を始まりとし、東京教育大を経ている。開学は1973年。ラグビー部の創部は1924年(大正13/東京高等師範時代)だ。
「オレは筑波の5期生やったね」
左PRとして、HOは1学年下の浮辺浩一郎(四天王寺学園教員、大会記録委員長)、右PRは1学年上の池浦文昭(八幡工前部長)とともに水色ジャージーの最前列を支えた。
当時、都心に出るにはバスで土浦まで行き、そこから常磐線に乗って上野へ出た。
「バスが20分、電車が1時間10分。秩父宮で試合がある時は前日入り。小旅行やった」
秋葉原から直結する「つくばエクスプレス」の開通は14年前、2005年のことである。
故郷・大阪府で保健・体育教員となったのは1982年。狭山を皮切りに、岸和田、島本、摂津で教員とラグビー指導者の生活を送った。今年3月に定年退職する。
現在は藤井寺にある大阪緑涼で教鞭を取る。部員7人の女子ラグビー部の顧問も兼務する。学校は2年前に女子校から共学になった。
天野には妻・由美子との間に3人の子供がいる。上の2人、長男の豪紀と次男の寿紀(としき)はトップリーガーになった。
「父親として、ラグビーをやってくれてうれしかったね」
ともに常翔学園から帝京大。兄はHondaでHO、4学年下の弟はキヤノンのSHだ。
2人が先発した直接対決は昨年9月8日、三重の鈴鹿であった。
「協会の人が『どっちのサイドに座りますか』って聞いてきて、結局真ん中に座ったよ」
試合は天の配剤か19−19の引き分け。兄は今年3月、32歳で現役を引退した。
一番下の妹の早紀も小6まで大阪ラグビースクールに在籍している。
楕円球に囲まれた日々を生き、気がつけば還暦をひとつ超えた。89回大会から引き継いだ総務委員長は11大会目を迎える。
「大阪の高体連を中心にして、みんなに助けてもらっているからなんとかなっている」
天野は大会を運営する全国高等学校体育連盟のラグビー専門部に感謝がある。
今は携帯電話の普及で、ホテルに大会本部を構えて、泊まり込むことはなくなった。
しかし、16ともっとも試合が立て込む12月30日には始発で花園に向かう役員もいる。
表面には出てこない無数の奉仕の中で、12月27日に開幕する大会は99回目を迎える。そして来年は節目の100回となる。
「今回は記念大会に向けて、色々と準備をしている前段階やね。だからたくさんの方に見に来ていただいて、成功させて来年につなげたい。環境整えて、準備して、スムーズに進行できればええなあ、と思っています」
主役が誰かというのは心得ている。
「大切なのは選手第一ということ。皆さんのいいプレーを楽しみにしているけど、ケガだけはせんようにしてほしい」
悲喜こもごも。たくさんのドラマをサポートする天野の年末年始がまた始まる。