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ヒーローになろうよ。 ~ある地域リーグ入れ替え戦の物語

2019.12.13

笑顔で記念写真に収まるICUの部員ら(写真提供:ICURFC)


 彼らはヒーローになりかけた。
 とびっきりのヒーローに、なりかけた。
 少なくとも3年前まで公式戦で勝ったことのないチームだった。15人をそろえて試合に臨むのが当時の目標だった。それが今季は2勝を挙げ、1部と2部の入れ替え戦に進んだ。
 相手は3年前、0-89の大敗を喫したチーム。その相手に、残り10分を切るまで勝っていた。
 全国地区対抗大学関東1区リーグ1、2部入れ替え戦。
 2部2位の国際基督教大(ICU)が、1部4位の東京外国語大に、勝ちかけた。

 きっかけは、あるコーチの問いかけだった。
 何のためにラグビーするの?
 ヒーローになろうよ!
 藤森啓介が人づてに頼まれ、一度だけのつもりでICUの練習場を訪れたのは5月だった。選手30人の大半は、大学で初めて楕円球に触れた。パスが2本続けてつながらない、つまりは素人集団。前向きな気持ちは伝わってくるのだけれど、勝つための方法論を彼らは知らなかった。
 藤森のコーチング熱は途端に高まった。
「僕、そういう子たちを教えることに関してはピカイチですから」
 34歳、現役時代はSH。早大学院、早大で故・大西鐵之祐の理論に接し、指導者の道に進んだ。早稲田摂陵高の監督に就き、やはりICUのような素人集団を激戦区・大阪で花園予選決勝に導いた。この春、東京へ。日本ラグビー協会のリソースコーチとして、元早大監督の中竹竜二を中心に指導やマネジメントを研究する「スポーツコーチングジャパン」のメンバーとして、新たな一歩を踏み出していた。
 「やみくもに練習してもダメ。『ゴール』の設定が必要」。監督不在のチームで藤森はコーチを引き受け、そこから手をつけた。総じて細身。フィジカル勝負は徒労に終わるだけ。ならば「サッカーのバルセロナのようにワイドに回そう」。志は高く。パスが下手なら、練習でプレッシャーをかけてたくさん失敗すればいい。そうすれば最低限のレベルまでは持っていける。
 いざ試合、プレッシャーの薄い位置に動いてつなげば、失敗はしないはずだ。人の配置で相手を抜く。偶然ではなく、再現性のあるスタイルだからこそ本当の力になる。「そのための練習を組み立てた」

 ゴール。むしろ、それはいわゆる戦術論ではない部分でこそ大切だというのも藤森の信念だった。何のためにラグビーをするのか。ただ楽しみたいからか、うまくなりたいからか。いや、違う。
 チームビルディング、チームトークを徹底。部員に考えさせた。部員は考えた。例えば「つきあいたい人は?」とか何でもいいからテーマを決め、コミュニケーションを図る。1年生と4年生、選手とマネジャー。あまり会話をかわす機会を持たなかった関係の部員が、嫌でも話すようになる。
 すると、気づいた。マネジャーは選手に、試合に出られない選手は出られる選手に、思いを託すしかない。託された選手には、その思いに応える責任があるのだと。
 誰かのためなら、人って想像以上に頑張れる。誰かのために頑張れるのは、カッコいい。壁を乗り越え、最後に勝ってヒーローになって、託し、託された思いを完結させる。藤森とチームが描いたストーリーだった。
 マネジャーはパス練習の相手までしてくれた。控え選手は試合の映像を撮影してくれた。「みんなのため、勝ちたい。昨季までなら、そうは思わなかった」。主将のFB川口諒太は振り返る。「勝つために、一つのチームになる」。ワンチームという言葉が流行する前からの決意だ。そうやってたどり着いた入れ替え戦だった。

入れ替え戦直前、マネジャーも加わって部員、コーチ全員で円陣を組むICU

 12月8日、駒沢補助競技場。観客席はない。澄んだ冬空の下、集まったのは関係者や選手の家族ら50人ほどだった。
 FWの胸の厚さ、足の太さは明らかに劣っていた。相手ボールスクラムを10メートル以上も押される。力業を浴び、いきなり2トライを失った。0-12。
 でも、心は折れなかった。小よく大を制するための術を携えていたから。根拠に基づいた準備を重ね、勝利への細い細い道筋を明確にイメージできていたからだった。
 体力の消耗を抑えるため、スクラムを組む時間は極力減らしたい。だからマイボールはNO8が投入、エイトの位置に入ったSHが素早くさばく。ラインアウトは1度、2度とおとりを入れて迷彩を凝らして確保する。
 限られた好機、クラッシュは無粋。ドリブルではなく、位置取りとパス交換で抜くバルサになるのだ。タッチライン際で必ず相手との2対1ができるように選手は散る。見ていて冷や冷やする大外へのロングパスも、実は理詰めなのだ。
 3トライを奪い返し、19-12と逆転。二つは高速パスアウトのスクラム、一つはダイナミックな運動量に裏打ちされた逆襲が起点だった。
 ハーフタイムの円陣。藤森は選手に語りかけた。
「さあ、ヒーローになろうよ」
 後半、PGで3点を積み上げた。点を取れる時に取るのは勝負の鉄則だ。しかし、25分を過ぎたあたりから疲れは隠せなくなった。足をつる。低く低く刺さり続けていたタックルが刺さらなくなる。捕まえたはずの腕をふりほどかれる。再逆転を許し、最後は22-33と点差を開けられた。

ICUを導いた藤森啓介

 泣き崩れる選手の肩をマネジャーが笑顔でねぎらうのが、いまっぽい。最後の円陣。後輩から先輩へ。部員から藤森へ。ささやかな花束が手渡された。素直な笑顔が、今度は全員に広がった。
 秋には手製のお守りがマネジャーから選手へ、感謝をつづった色紙が選手からマネジャーへと贈られていた。互いへのリスペクトを、照れもなく自然と表現できる集団になっていた。
「一つのチームになる。その意味を、改めてこのチームから学びました」。ちょっと涙目の藤森が穏やかに言った。
 89点差は3年間で11点差に縮まった。佳境を迎えるラグビーシーンの片隅で、素人集団がヒーローになりかけた物語。まばゆいスポットライトは当たらなかったけれど、それでも唯一無二の輝きを放った物語が幕を下ろした。

 数日後、部員から藤森に届けられたメッセージはどれも熱かった。
「負けることしか知らず、あまりラグビーに興味のなかった集団が、勝利のため、チームのため、チームメートのために努力できる集団になれた」
「勝つ喜びを知った。だからなおさら、最後、勝てなかったことが悔しい。来年は勝ちたい」
 きっと、物語には続きがある。

 忘れたくない余話がある。
 藤森とICUを結びつけたのは伊佐櫻子というマネジャーだった。幼なじみで早実出身の早大生アナリスト・井坂航を介し、みんながつながって、奇跡のレッスンのような成長は始まった。
 伊佐の名前の櫻の一文字、ジャパンの胸に咲くサクラに由来する。お父さんが大のラグビー好きで、そう名づけられた。寒風の吹きすさぶ秩父宮ラグビー場へ、よく親子で観戦に出かけた。気がつけば、マネジャーになっていた。
 こういう人たちに、日本のラグビーは支えられている。